"投げ銭文化"は貧困を救えるのか
最近気になって見ているティックトッカーがいる。
どこかの国の民族で、彼らは毎日配信ライブをしているのだ。
そしてなぜか視聴者が日本人だらけ。
彼らはすっかりTikTokライブに慣れており、
「ギフト」と呼ばれる投げ銭を受け取るとパフォーマンスしてくれる。
しかし、安いギフトのときは無視。
画面上にキラキラしたエフェクトがかかる高額のギフトでなければ喜ばなくなっている。
パフォーマンスと言っても「アーアーアーアー!」とわめいているだけで、初めは物珍しく見ていたが、いつも同じことしかしないので段々と飽きてた。
実際、配信中には「もう飽きた。」というコメントが散見される。
しかし、日本語が読めない彼らはおかまいなしで同じことを延々と繰り返している。
私もTikTokライブをすることがあるし、ギフトをもらった経験もあるので"投げ銭文化"自体は否定しない。
彼らに関しての情報は少なく、住んでいる国は「パキスタン」ではないかと言われているが真偽のほどは不明だ。
配信できるインフラは整備されているようだが先進国ではないのは明らかなので、その国の通貨にしてみればそこそこの金額になるのだろう。
その証拠に彼らはほぼ毎日、長時間の配信をして投げ銭を稼いでいる。
配信の投げ銭文化が裾野を広げたことで、貧しい国の人たちも外貨を稼げるようになったのは喜ばしいのかもしれない。
しかし、これは本当の意味で彼らのためになっているのだろうかとも思う。
私が彼らのTikTokをサポートするのなら、
「おい。毎日同じパフォーマンスをしていたらさすがに視聴者は飽きる。」
と物申す。
その上で、
「あなたたちの食事風景を配信してはどうか。どのように調理して、その食材をどのように調達しているのかをVlog風に配信してみたらもっと視聴者を惹きつけられるはず。」
と助言したい。
その方が日本で見ている視聴者の学びにもなるし、彼らの国と彼ら自身の認知にも繋がると思うから。
彼らは気づいていないかもしれないが、SNSのアルゴリズムというのはものすごいスピードで変化する。
そして視聴者が飽きるのもまた、ものすごいスピードなのだ。
配信ライブで収益を得るのは持続可能な働き方なのか。
これは彼らに限ったことではないのだけれど、次の一手を考えなければ明るい未来はないような気がして画面越しに心配している。