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ウェルカムな おばあちゃんが善き

母の暮らす有料老人ホームを何度も訪ね、職員さんと話し、
利用者さんの様子を見て、感じたこと。

「老人施設を恐るるべからず、まずは半年利用してみるべし。」

施設にも色々あるだろうし、利用者の性格とか事情も様々だろうが、
おばあちゃんの場合は、可能であれば
まず、半年暮らしてみるといい、と思う。
おじいちゃんの場合(おばあちゃんにも該当者あり)
人に依ります!入居が、もはや、やむを得なくて、他の選択肢がない
としても、支援職の話を聞かない人は一定数いますから。

施設にもよりますが、向こうはプロだ。利用者側の状況や希望を伝え、
サービスの変更や追加ができるかどうか、面倒がらず、すり合わせができるかどうか 利用しながら確かめていくのがいいと思う。

話の前提として、
歳をとることは、基本的にめでたい、ということ。
これは洋の東西を問わず、人類に共通する価値観だ。

え、?めでたいとは、思えないけど・・
そう思うのは、なぜなんでしょうね?めでたいはずなのに・・
それよ。
このアイロニーは、ずっと前から 西にも東にもあったのか?
あり続けたけれども、
それを言っちゃあおしまい、とスポイルされてきたようにも思えるし、
今の日本の医療の内実が、まさにアイロニーだと感じるし、
私自身も医療者として(ほんの少しの)給与を頂きつつ、老いを実感してもいる。
ゆーたら、
人類共通かもしれない、このアイロニーをどうするのか?

これまでも、noteで 取るに足らん私見を述べ続けてきましたが、
性懲りもなく、またも、考えたいと思います。

誕生日を祝うのも、年配者を敬うことも 世界のあらゆる場所で
宗教上の教えでもあり、慣習であり、連綿と行われてきた。
歳をとること、を祝っているのよ。
そう、
生きる事は、昔も今も なかなか大変な事だから
長く生きた、生かされたことは とても有難いことで
幸運なことだと。その幸運な偶然に感謝する。
その感謝の仕方は、古今東西 色々あるようだ。
一方で、
いつのまにか、体の中にできた悪い「ところ」を薬で小さくする、或いはメスで切ってしまう、という類の医学の実践は、
人間の回復力を信じて
(これには実証済みの論拠が後ろ盾として存しますが)
人を、長く生かすために
医師が知識と経験を持つ者として、高い倫理感の下一定の責任を負いつつ行う。
付記;
近代以前は、医術 とされるものが今とは違うし、社会構造や人々の意識も
全く異なるのでここでは取り上げない。更に、戦時下などの非常時に求められる医療(救命医療)も、条件が違うと思われるので、ここでは対象としないことをお断りしておく。

医療アセスメント、同意契約の認識が定着するまでの日本では、
治療を受ける側の知識や判断は、なんなら、なくてもよかった。
ほぼ先生にお任せ、でした、、少し前までは。
症状が何の疾患の病態で、検査結果がどうで、今後どうなると予想され、
どういう治療をすればどんなメリットとデメリットがあるか、
貴方は、どうしますか?というやり取りが、当たり前になったのは
割と最近です。
何より自分の体のことですから、
専門家から十分話を聞いた上で どうするかを自分で決めるのは
当然だと言えます。しかし、
未来のことは分りませんから、寿命も、治るか再発するかも、
正直言って医者にも誰にもわからない。
誰だって、
元気で生きて、生き抜いて、満足して人生を終えたいと思うもの、ですが、
何であれ誰であれ、いつも元気いっぱいではいられないし
生きたい、と選択した治療も、成果が出るとは限らない。

ぶっちゃけ、どこでどう生きているかということは、偶然であって、
医師のお陰で、とか、医師の責任とかよりも、ただ
偶然の重なりではないかと。
ここに生かされていることは、幸運でしかない、と思う。
医療ができることは手助けなんだ、ということは、忘れてはいけないと思う。

信心も持たない私が言うのもアレですが、
1日1日 今日も生かされて、何かのご縁を頂いて、
この時代を生きて note書けて とても幸運だと有難く思います。

毎日、祝ってもいいくらいだわ。かんぱーい

その延長にある
老いてからの人生は、幸運の賜物であることは間違いないが、
残念ながら 不自由さが増すので
助けてもらう、ことを想定しておかなくてはならない。

老いてうれしい、と感じることは難しいかもしれないけど

助けてもらうことを、嬉しいと、有難いと思うことができる人は、
老人施設で上手くやり過ごせる、寧ろ安心して暮らせる、と思う。

多くのおばあちゃんは、長年家事をやってきたから、
上げ膳据え膳で、掃除もしてくれる、パーフェクトでなくても
施設のサービスを有難い、ウェルカム!と思えるのではないだろうか。

施設職員は、助けるプロだから「助けるよ」のマインドありあり
です。「ありがとう」と受け入れたら それで だいたいまる、です。
うまくいく。
しかし、
おじいちゃんの場合、命令口調で優位に立とうとしたり、独断的で、
説明を聴こうとしない人もいて、
施設で暮らすこともサービスを受けることも難しかったりするのだが、
そういう人は、自分が誰かの役に立っていると感じることが縁になる、
場合もあるので、「教えてください」等、下手に出る声掛けで、
懐に入っていくと、心が開かれ、サービスを受容する気持ちになるかもしれない。有難く受け入れるべきなんだけど、素直になれない人には、
助ける手段を工夫したら、
アンマッチがなくなるんじゃないか、と思います。

歳をとって、出来ないことが増えても 
たぶん大丈夫。
それはやっぱりめでたいし、有難いことですもん。

おさんぽでした。











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