noteで届けたいもの
こんにちは、siroです。
私は今年の3月からnoteを書き始めましたが、だいぶ読み専の期間があったため
この前noteから「一周年記念」のバッジを貰いました。
私は何か目標があったり、確固たる動機をもってnoteを始めたわけではなく、
落書きをするような感覚で今までやってきました。
でも、文章を書くのがほんのり慣れくると次第に
理想の記事ってなんだろうか
っていうことを思う回数が増えてきて。
今回は、私の思う理想の記事について考えていきます。
情報かエッセイか
まず、各記事の分類の仕方について。
noteにはほんとに多様な記事があってカテゴライズできませんが、
あえて二項対立に押し込むとしたらこんな感じになるかと思います。
情報 ⇔ エッセイ
⇕
理性的 ⇔ 感覚的
情報(考えたこと系)の記事は、
極端に言えば心理学とか哲学とかを踏まえながら、自分なりの考えについて書いてあるような記事です。本みたいな。
エッセイは、
感じた印象について、自分の視点から眺めたり、考えたり。
情報より感覚的です。
noteの真骨頂はどちらでしょうか。
まず、情報の記事。
読み手視点になったとき、こういう記事は(私の記憶力の問題もあってか)そんなに頭に残りません。
あと、一番厳しいのが、本という上位互換がいること。
書きながら本でいいじゃん!って思ってしまいます。
ただ、書き手は自分なりに考えて、それを文字に起こすっていう素敵なトレーニングをすることになるので、私はむしろ、もっと積極的に書きたいと思っています。
総じて、結局自分の頭で考えないとあんまり意味がないし本もあるから、noteの真骨頂!とはならないかもしれません。
一方エッセイや日記は、各個人の世界観が露出します。
私はこの”世界観を味わう”っていうのが大好きです。
それは絵でも音楽でも小説でもそうなのですが
何かいつもの自分が実態を無くし、
霧になってその作品に溶け込んでいくようなあの感覚。
ささやかな衝撃に毎度くらっとしそうになります。
これは、たとえ物凄く文章が上手い人でなくても、すごい実績がある人でなくても、
寧ろ近しく感じるみんなの書いた文章のほうが
私は生々しくて素敵だなって思います。
つまり、私の思うnoteの真骨頂は
”世界観が味わえる記事”
です。
noteは世界観
では書き手として、文章に世界観を内包させるにはどうすればよいのでしょうか。
それは
”世界観を強くして、それを文章に露出させること”。
ここでいう強い世界観の定義は、
読み手と書き手の世界観のずれ
とします。
読み手と書き手の世界観の差が激しいほど、読み手は強烈な世界観に殴られることになり、
逆に差が少ないと共感できるため、優しい世界観に撫でられる感覚になると思います。
ただ、この差は書き手にとって認知できないもの。
だから例え自分の世界観が平均的だったとしても、
それが共感に繋がり誰かを安心させられたり、誰かにとっては新鮮で面白いことに成り得ます。
まずは自分の中にある正直な価値観や考え方を認知して、深めることが強い世界観に繋がっていくと思います。
そうしていずれは自分の世界観を言語化したり、素敵な世界観を取り入れたりして手入れしていくものでしょう。
そうして培った世界観を、比喩や記事の構成、筆致などで自然に文章に露出させられれば
すっと読み手の心を掴めるかもしれませんね。
これから
どうやらやっぱりAIの成長は凄まじいようで、
私たちはこれから、どのようにして人生を楽しむかを個人が考えさせられる時が来るのでしょう。
そんな時、揺るぎない自分だけの世界観は、感覚の次元に自分を留める命綱になってくれるかもしれません。
ともかく、これからを楽しむために身の回りのことを丁寧に考えていきたいものです。
さっきまで前期期末やってて、
久しぶりに書いたからめっちゃ時間かかった~
でもめっちゃ楽しかったしもうすぐ夏休みだからなんでもok!
あと、読書体験記?の受賞者の作品を読んでたんだけど、高3であんな物凄い文章書けるのやばい!(焦)
次の小説はハンチバッグ
thank you for leading~! …∠‾❀
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