夏目漱石「こころ」~遺志に反する先生の過去の公表について

「こころ」を最後まで読み、また初めから読み返すと、冒頭にとても引っ掛かる表現が出てくる。
青年が「私はその人を常に先生と呼んでいた」と語り始めるところだ。

『こころ』末尾の部分
 私は私の過去を善悪ともに他(ひと)の参考に供するつもりです。しかし妻だけはたった一人の例外だと承知して下さい。①【私は妻には何にも知らせたくないのです。】妻が己(おのれ)の過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいてやりたいのが私の唯一の希望なのですから、②【私が死んだ後でも、妻が生きている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、すべてを腹の中にしまっておいて下さい。】

青空文庫より

『こころ』冒頭部分
「私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚る遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。③【よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。】

ここから、2つの疑問が生じる。
まず1つめの、①、②について。

先生は、自分の過去を口外することを固く禁じたはずなのに、なぜ青年はやすやすと語り始めているのか?
しかもその書きようは、明らかに第三者に向けてのものだ。自分だけの記憶にとどめる手記ではないし、身内に向けてのものでもない。
これでは、世間に公表すると同時に、先生の過去が奥さんにも知られてしまう。

私は一瞬、「もしかして、奥さん、死んじゃったの!」と焦ってしまった。
しかし、奥さんはまだ生きていることが、本文中に明示されている。

そうすると、青年は、先生のいわば遺言に反して、自分だけに打ち明けられた秘密を公表している。
このことを、どう考えたらよいだろうか?

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