私のままを受け入れる(ふれる・touchリレー#2)
こんにちは。あきこです。
「ふれる」「ふれられる」苦手だった私と
子どもたちにすることで「ふれる」から学んでいる今を
少し紹介します。
■朝のコーヒーが大好き
朝のコーヒーがたまらなく大好きです。
ドリップコーヒーをいれる音
そして、そこからあふれてくる
コーヒーの香り
その香りは
大学のときにお世話になった
サンディエゴのホームステイ先の
家の朝を思い出すから
そしてその次に
夫が留学にいっていた
サンフランシスコのシェアハウスの朝を
思い出すから
コーヒーをいれるということは
日本でもある日常だけど
香りから連想する思い出と感覚がある
ここでは
私にはどうせ何もできない病で
引っ込み思案だった私が
はじめて体験したホームステイの記憶にふれる。
高校のときも
行きたい!!気持ちはあるが
「どうせ私はできない」
「恥ずかしい」
「そのためにテストを受けるのは嫌だ(当時の英語の先生も苦手だった)」
が先行してしまった。
そのホームステイのメンバーが決まって
行って帰ってきた友達の姿をみて
別世界にいる人を感じた記憶がある
そんな後悔も心に残りつつ
進学した大学でみつけた
パンフレット。
栄養士のための研修ホームステイとあった。
高校で通っていた教え方が大好きな英語の先生が言っていた
英語の世界をはじめて感じられる機会!
しかも、自分の専門分野で・・
出世払いでよいからこれに行きたいとはじめて思った。
■ふれる・つたえる・つたわる・はぐ!!
私の受け入れ先は
3人子どもがいるママ
子どもといっても2人のお兄さんは働きにでていていない
同じくらいの娘が1人と母1人。
シングルマザーでジムのインストラクター
パートナーがいるので、よくそのパートナーも一緒に遊んだり食事をした。
昼にホームステイ先についた。
まずお母さんが、あきこー!!とハグ。
ウェルカム感すごい・・って感じた。
そこでの生活はとてもあたたかいものだった。
日本では、、
「あっこ!朝!!起きなさい!!」
といってベッドからひきづり降ろされる・・
もはや起きることすらも自分の意志ではなく
引きづられるように1日がスタートしていたが
ここでは毎朝自主的に起きる。
それは気持ちのよいものだった。
朝、少し冷えたハンモック付きのひろーいオウムがいる部屋で
大きなコーヒーマシンに粉をいれて
コーヒーを淹れる
大きなマグカップに注ぐ
広い部屋にその香りが広がっていく・・・
清々しい朝〜!!
そのコーヒーは、お母さんが連れていってくれたスーパーで買ったもの。
「好きなものを選びなさいねー」(←好きなものを選ぶ感覚も乏しかった私・・)
と大きなスーパーで
大きなコーヒーの袋をかいこみ
大きなキッチンにドンと置く。
「朝起きたら、自由にいれてねー!」という
お母さんのあたたかく感じた声を同時に思い出す。
私がよかれと思った気遣いで
「私はあなたが嬉しいと思うことをしたいの!だから遠慮なくいって」
と手をにぎって本気で怒ってくれたこと。
「頑張って!」と背中にタッチしてくれたこと。
そしてお別れの包み込むようなハグ。
その肌感覚は私には今までないものだったけど
その肌感覚と一緒に言葉よりもっとなにか伝わるものがあった。
これが私の「ふれる」を感じたはじめての経験。
「私のままで受け入れてくれる」ことのあたたかさや
さて「私のまま」って一体なんだろう?を
肌感覚で感じて帰ってきた経験。
■そもそも触れられるのは嫌いだった
私は思春期くらいからかな・・
すごく人当たりもよくて、社交的にみえるキャラクターは今でもかわらないんだけど
触れられるのは嫌いだった
必要以上に近づかれること
ベタベタした人間関係
もちろん両親から触れられるのも・・
気持ち悪い・・と感じていた。
母からふれられそうになると
やめて!!といって避けた
今、そのときの母の気持ちを考えると
胸が痛くなるが
それが私のバリアだったと思う。
でもほんとは近づきたかったんだなって
今になって思う。
■長女が教えてくれたこと
長女はスキンシップが大好きだ。
うまれてからずっと。
離乳食がはじまって
しばらくして椅子にすわらせて食べていた。
食事の時間になると大泣き。
全然食べなくなってしまった。
いろんなことを試してみて
結果・・。
スキンシップでした。
ふれていたい。
安心の中で食事の時間を過ごしたい。
それでした。
(次女は全然そんなことはないです・・w)
わたしがふれていることが
離乳食のどんな工夫よりも大事なんだ・・
と気づかせてくれた。
■ゆかぽんのタッチ
私がタッチと出会ったのは
ママタチ仲間であるゆかさんからの情報と
そして鍼灸師のゆかぽんのタッチを実際に受けにいったのが最初。
すごく最近。
二人目を妊娠してから
長女が今までより我慢していることがいっぱいあったのは知っていた。
だけど私も自分のことに精一杯で
ちょっと動画みてて・・と横になることも多かった。
二人目がうまれて
やっとママが戻ってくる!と思ったら
私は赤ちゃんにつきっきり・・
この辺でいっきに
「保育園にいかない」が更に多くなった
長女がいかないといったら、
「絶対いかなーい!!」とひっくり返り続ける。
そんなときに出会ったタッチ。
長女に夜寝る前にふれる
長女の顔がふにゃーっとなって(実際にはふにゃーって言います笑)
日中にしていた緊張が和らいでいくような感じ。
するとたまに
今日はこんなことをほんとはしてほしかったんだ
と私がさらっと流してしまったことを伝えてくれるときがある
そして私も気づく。
その時の状況や娘の表情を思い出し
そっか、、ほんとはそう思ってたんだと思い返す。
あーこんな時間を
母ともてたら、私も母をこんなにふれることから拒絶することもなかったのかな・・
と思いつつ
この素敵な時間に「しあわせ」と
私自身もそのとき感じた感情をそのままそこにおいて
長女と一緒に「ここにいる」ということを感じる
■そのままの自分にふれる
コロナが流行りだしたとき
私はいつもお願いしている60代のファミサポさんに娘をお願いすることを控えた
相手も気にしていたし、
もちろん仕事の時間を確保できなくなったけど、それはいつもよくしてくれた
その方を思えば当然だと思った
ある日
知り合いママと、ファミサポさんどうしてる?という話をしたとき
私が控えているという話をしたとき
「まったく考えたことなかった」
と返事がきた。
もちろん、私とそのママとで置かれている状況とかも違うけど
それに私はズドーンとショックを受けて
心が乱されてしまった
「私はこうしたのに」
「私がこれだけ考えたことなのに・・何も考えない人っているんだ・・」
「ファミサポさんはどんな気持ちなんだろう」
そして最後のファミリーサポートを終え
これからどうしようか・・仕事は続けるのか・・
そもそも自分の仕事の前に大切にしなきゃいけないものがあるのではないか
働くってどうゆう意味をもつのか・・なんて
もんもんとと思っていたとき
いつも喜怒哀楽がはっきりしている次女が
楽しそうに笑いかけてきた
せっかく笑ってくれているので
こんな気持ちだけど・・とちょっと思いつつ
「タッチをしてもいいですかー?」
そしてタッチ、ふれて遊ぶ。
そんなことをしているうちに
そのとき感じたことをそのまま受け入れて
程よい具合に調合されていくような・・
感覚になった。
そうゆうことがあった。
私はこう感じた。
そんなパーツをもっているけど、
これからどうやってくみたてよう・・みたいな。
そのままの自分。
ここにいる。という感覚。
それを感じることができる。気がする。
「ふれる」ことの大きな力を
こどもがうまれてから意識しはじめた私。
これからも「ふれる」を通して
新しい自分
ホントの自分に会える気がする。
・・・・
〜プロフィール〜
永澤瑛子 ながさわあきこ
プリンセス好きで女子力高めの3歳女子と
よく笑いよく泣く0歳女の子のママ。
管理栄養士 離乳食アドバイザー
保育園、都内小児医療センター、保健センターで
母子栄養相談などを担当。
現在は離乳食のことを伝える教室
こどもと一緒に食べることをたのしむ教室をしています。
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