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なぜ、学級崩壊を経験した子持ち教師が、 管理職まで経験し、36年教師を続けることができたのか?

 初めまして、まませんと申します。
 私は、2023年3月、58歳で勧奨退職した元小学校教師です。
 退職した時の役職は、教頭でした。

 「なんだ、元小学校教師が何を始めたんだ?」
 そう不審に思われている方もおられるでしょう。
 そうです、私は現職の頃から「変わった」人でした。

 それの詳細は、後ほどお話しするとして
 9年間教頭生活を送った自分は、この先を考えて退職を決意。
 全く知らない「ビジネス」の世界に飛び込み、残りの人生、
 可能性に賭けようと思い立ちました。

 ここでは、私の経験談をお伝えし、同業の方や子育て中の方など
 「こんな教師もいるのか」とご参考にしていただけたら幸いです。
 10分ほどですみますので、どうぞお付き合いくださいませ。


1 子育て、義父母と同居、そして学級崩壊へ

    大卒で採用され、教職に就いた私は同業の夫と27歳で結婚、29歳で長男を出産、3年度男女の双子を出産し、3人の子持ち教師となりました。
 問題は、「育児休暇後の、子どもたちの世話をどうするか?」

 結論は、当時家から2時間ほどの距離に住む義父母との同居でした。
 義父は、職人気質の人で自分の思ったようにことが進まないと怒鳴る、罵るタイプの方。義母は、義父には何も言えないタイプの方でしたが、勝ち気方でした。もちろん、私とうまくいくはずもなく、夫はダンマリ、関わらず。

 そんな生活が10年続き、子ども達も大きくなってきたので、同居を解消。その後の夫婦関係も当然、微妙な感じになり今に至ります。

 それはさておき..

 その子ども達が、ちょうど手のかかる保育園時代、私は40人の6年生を担任し、研究主任を務めていました。

 5年生から、騒がしいクラスでしたが、6年生になると学校外のスポ少でのゴタゴタした人間関係を、学校までひきずってきました。子供達にしてみれば、当然ですけどそこに保護者も関わってきて、自分はどちらの肩も持てず、右往左往。

 確か、保護者と電話したり、教材研究したりして、22時ごろまで学校にいた記憶があります。電話で「先生は、何をしてるんですか!」とお叱りを受けたことも。

 そんな状態ですから、子ども達が私の指示に従うはずもなく、授業はさらに騒々しさを増していました。いわゆる学級崩壊です。そのうち、保護者が騒ぎ始め、7月末に保護者会を開くことになり、私はそこでボコボコに叩かれました。思い出すのも、苦しいくらいです。

 夏休み、もう続ける意欲を無くしていた私は、実家に子供達と帰省し、つい弱音を吐きました。

「もう、先生、やめよっかな・・」

 それまで、私のいつ終わるとも分からない愚痴に付き合ってくれていた母は、私の言葉を聞いてこう言ったのです。

「そんな人達のために、今まで築き上げてきたキャリアを捨てるの?
 それは、その人達に負けるってことだよ。
 ここで辞めたら、一生後悔するよ。」

今の私があるのも、この言葉のおかげです。その母は、2022年3月に永眠いたしました、合掌🙏

2 管理職試験の失敗

 教師になった頃は、管理職になるなど考えてもいませんでした。子供達との毎日が楽しくて、「管理職になったら何かつまんなそー」と思ってたくらい。

 ですが、30代後半の頃出会った教頭先生が素敵な方で、憧れたこととその先生から今後のキャリアについてアドバイスをもらい、「校長先生になりたいな」という希望を持ち、次の年教頭試験を受けることにしたのです。
 校長は、民間人以外は教頭を経験していないとなれませんので。

 さすがにその年は無理で、その後も2年かかりましたが、決意から3年後、教頭試験に合格し、はれて小学校に赴任。その時は毎日セブンイレブンの言葉通り、張り切っていたように思います。

 その後、2校目、3校目とキャリアを9年重ねました。
 校長試験の準備も進め、年齢制限である57歳まで受け続けるも二次面接で落とされ、敗北。
 周りがみんな合格していく中、挫折感を味わいました。
「なんで、ダメなんだろう?..」

3 早期退職の決意

 さすがに3回目の不合格は、応えました。結果を見た瞬間、ヘナヘナと座り込むくらいに。
 そして悟りました。

「試験は、人が判断するもの。何が影響しているか分からない。もう、夢だった校長試験は受けることはできない。ならば、次の道を見つけよう」と。

 退職を決意したのは、最終結果がきた2022年2月。それから1年間、その学校で勤務し、2023年退職しました。
 そして次の道は、当然「自分でビジネスを作ること、立ち上げること、稼ぐ力を身につけること」
 金融関係の本や動画に触れていた私は、これからの人生、今まで全く触れてこなかった「ビジネス」の世界に飛び込んでいこうと決めていました。

4 今も走り続ける

 退職してからの自分の行動は早かったと思います。
まず、読む専だったTwitterの運用を開始。
ツイートを1日3つをノルマとし、発信しています。
発信し始めるとフオロワーが少ないのが気になります。
増やすためにはどうしたら良いか、考えたり、勉強したりするようになりました。
 書くことが好きで、退職を決めてから始めたブログも、今はこのNOTEという便利なツールもあり、活用できます。

 そんな新しい挑戦を続ける毎日が、とても楽しいです。
 退職してから知り合った、仲間達とも会えますし。
 仲間といっても、自分の子供みたいな年齢層なんですけどね。
 そんなみなさんのお仲間に入れてもらえて、毎日刺激的に過ごしています。ボケてる暇なんてないですよ!
 夢は、「100歳のビジネスばあちゃん」です。

まとめ


 私が、36年間教師を続けられたわけは、

  1. 義父母と同居し、教師を辞めずに済んだこと。ただし、夫婦関係については・・?

  2. 学級崩壊の際、弱気の私にかけた母の言葉。これで、覚悟が決まった。

  3. 憧れの先輩からアドバイスを受け、管理職試験の後押しをしてもらったこと。

こう見てくると、全て周りの人のおかげですね。感謝しております。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
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