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「笑顔で、教壇に立ちたい」サークルで学び続けた共働き子持ち教師が、学級崩壊になりながら、諦めきれずに36年間教師を続けたストーリー

共働き3人の子持ちの私が、辞職の危機を乗り越え、58歳まで教師を続けた過程を全て見せます。
      〜あるきっかけで、教師を続ける覚悟を決めた話〜

初めまして。まませんと申します。

学級崩壊を経験し、もう無理だ 退職しよう
と思っていた私が、
ある考え方に出会い、
人生が大きく変わった話を

自己紹介も兼ねて
話していきます。

まずこれを読んでいるあなたは
教師としてお忙しい毎日を送っていることでしょう。
そうですよね?

自分の悩みに対して、
向き合い、何かを変えよう
このままではいけない。
そんな意識の高い方です。

30代の頃の私もそうでした。

毎日帰宅は、20時、21時。家庭での会話もそこそこに、家事をしたり、子どもの世話をしたり。そうしている間に、時間は過ぎ、気づいたら翌日。
重い体で起床して呟く。「休みまで、あと何日?」

こんな毎日では、あっという間に年を重ねてしまいます。大事なことが手のひらからこぼれ落ちていく・・当時は、そんな気持ちになりました。
何が大事で、何は後回しで良いのか。頭の中の整理が、できていませんでした。時間の渦に巻き込まれ、大事な自分のことは後回しにしていました。


でも、あなたはこうも思っているはずです。学級経営がうまくいき、子供達や保護者に感謝される、家庭も円満で心穏やかに過ごせる、そんな未来が
実現するはずだと。あるいは、先生を辞めてしまえばこんな毎日から解放されると。

そうです、誰だってうまくいきたい、幸せに生きたい、成功したいと思っています。心身が傷つき、病気になって退職せざるを得なくなる。そんな未来は望んでいません。でも過去の私は、そんな危機に見舞われました。だから、あなたにもできれば退職という最悪の選択はとってほしくないのです。

かつての私は、あなたと同じように家庭と子育て、そして仕事をうまく進めようとがむしゃらに働きました。
でも、この働き方は長続きしないと思い始めました。30代の後半になると体力の衰えを感じ始めたからです。


当時、義父母と同居していたのですが、折り合いが良くなく、そのせいもあって仕事に身が入らず学級崩壊になってしまいました。6年生40名の担任、そして研究主任として働いていました。

最高学年の担任は、行事でも子供たちへの指導事項がたくさんですし、6年生が全校に指示を出すための指導をあらかじめ、各行事ごとに行っておく必要があります。

当時はそのことを誇りに思うどこか変わった風潮が教師間にありました。私もご多聞に漏れず、それを半ば誇らしく思っていました。さらに、研究授業の準備などで学級以外の仕事も多く抱えていました。

4月から学級の子ども達は、指示を聞かず勝手に動き回る、おしゃべりを始める。それを止めさせる気持ちがわかず「どうにでもなれ」と思っていました。今なら、そんな教師、子供が舐めて当然ですが、当時はそんなことすら気づかないほど視野が狭くなっていました。

そして心身は疲れ果て、クラスのことをなんとかしようと考えると、他にすることもたくさんあって、何かにいつも追われる気持ちでした。
「早くなんとかしなくちゃ」

反面、「自分だけ何でこんな目に遭うんだろう」「私、何か悪いことしたかな?」そんなどこか他人事で、全てが裏目に出る、空回りしている感じでした。

目はうつろ、服もヨレヨレで化粧もせず、眠れないから30代なのに、ニキビが顔中にできている。その時の写真があっても、見たくありません。きっと今より老けて見えることでしょう。運動をする元気もなく、太っていましたから顔は二重顎でした。

教室では指示を聞かない、女子は気にいらない友達とは言い合いの喧嘩を始める、いじめる、男子は授業中大きな声で関係ないことを話し始める。授業が成立しなくなり、保護者からも「どうなっているのか」と問い合わせが来るようになりました。校外のスポ少の仲間内の揉め事も、学校に相談が寄せられました。

どちらの言い分を支持することもできず、もしくはつい同調するようなことを片方の保護者に言ってしまい、もう片方の保護者から「何を指導しているんだ」と責められる。その頃は、22時ごろまで学校に残り、保護者と電話で話したり、授業の準備をしていました。

ついに7月末、保護者会が開かれました。40人の保護者を前に、私は一人で保護者に責められ、自分を信用できなくなりました。一体今まで何をしてきたのだろうか?後で聞くと、私を応援してくれる保護者もおり、責めているのはそのスポ少関係の保護者だけだったようなのですが。

私は、すっかりやる気を失い、休日実家に子供を連れて帰った時、母に弱音を吐きました。「もう、先生やめようかな」


すると、それまで黙って私の言い分を聞いていた母が、真剣に私を諭したのです。
「そんな人たちのために、今まで築いてきたキャリアを捨ててもいいの?
今辞めたら絶対後悔するよ。負けたらダメだよ」

その時は、弱りまくっていたので、「そんなもんかな」と思って聞いていましたが、時間が経つにつれ母の言葉が私の中にどんどん大きくなっていきました。「そうだよな、大学4年も通って取得した免許。3人の子供達もまだ小さい。私が頑張らないと、この子達はどうなる?」

弱りきっていた自分に鞭打ち、覚悟を決めて2学期も勤務し始めました。あの時、母の言葉がなかったら、辞めていたと思います。絶対に。

その後、変わりない子供達の状態ではありましたが、多くの先生達から助けてもらって6年生を卒業させ、それを機に転勤。そこで、運命のA教頭と出会いました。

その方は、40代後半で若くして教頭となられた方で、穏やかですが芯の通った指導をされていました。私は2年後に教務主任として働き始め、隣にいて、「かっこいいな」と思い、「教頭の仕事って大変そうですね」と何気に話しかけました。すると・・

「いや、全然。むしろ楽しい。担任時代にはなかった経験ができるから」

私からすると、近隣でも有名な「変わった」校長に仕え、校長から突然「あれしろ」「これしろ」「あれはどうなった」と怒涛の指示と質問ぜめにあっているように見えたので、その答えは意外でした。

今から考えると、「教頭は職員の前で、弱音を吐いてはいけない。隙を見せてはいけない」と思って言った言葉かもしれませんが、それにしてもその鋼のメンタルに感心したのです。

また、こんなこともありました。私が50代のお局教員の、子どもへの接し方についての意見をA教頭に伝えたことがありました。その時、黙って最後まで聞いて一言「あなたは職場のお荷物になる、50代にはなるなよ」とアドバイスしてくださいました。

その後校長が変わり、A教頭と私が話す機会がふえ、「教頭の仕事もおもしろうそうだな」と思うようになり、校長にその意思を伝えました。すると、管理職試験の勉強をする場を与えてもらいました。

教務主任として働くようになり、初めは戸惑いましたが、慣れてくると各学年の動きや特徴、担任の性格までわかるようになりました。それは全職員と関わる機会が増えたからであり、やりがいも感じ始めました。

毎日充実していたので、数年前学級崩壊を起こしていたことも頭の中から消えていました。この頃は「自分はやれる、大丈夫」という気持ちで過ごしていました。本来の調子が戻ってきました。



その後、2年間勉強を続け、晴れて3年後、私は教頭として小学校に赴任しました。それから3校、9年間教頭を経験し、58歳で勧奨退職しました。それについてはこちらで詳しく述べています。

私は、学級崩壊の頃、その後の3年間教務主任、9年間の教頭時代のおよそ13年間を経てある考え方に辿り着きました。それは、「自分の意思が自分の運命を決定する」ということ。それに気づかせてくれたのは、母と出会ったA教頭です。

20年前の私は、自分の意思に目を向ける余裕もなく、時間に追われた毎日を送っていました。そしてどん底を味わいましたが、考え方を変えることによってその後20年教師を続けることができたのです。

私はこのことを、どうしたら再現性のある方法として多くの方に提供できるか考えてきました。正しい方向性で正しい努力をどれだけやっているか。

そしてそれを、どれだけ継続できる「環境」にいるか。

これだけなのです。

              次は、あなたが
              変わる番です。

私は昔の自分と同じように、将来に夢を持っている人、現状に不満を抱いている人に

心身ともに穏やかに教師を続け、子どもや保護者に感謝される
理想的な人生を送って欲しいからこそ
この記事を書いています。

そういう人は貪欲で
やり気があるし
何より私と話が合いそうですし。

どうしても今の現状や未来に不満があるのなら
今すぐ動くべきです。

そうやって自分の理想を求める中で
失敗や挫折はつきものです。

でも成功した後に振り返ると
ただの過程であって、良い思い出に
変わるのです。

諦めなければ失敗で終わることはありません。
その事実はただの通過点です。それだけです。

理想を目指して頑張るあなたをサポートするために
コンサル活動をしています。

なぜなら自分がどん底の頃を振り返って、一番感じたことは
一人で寂しく、砂漠を彷徨っているみたいに
方向性がわからずに努力している

「過去の自分のように
悩んでいる人がたくさんいる」
ということに、気づいたからです。

そんな現状を目のあたりにし、
私はこれから先で

そんな悩んでいる人たちのために
理想の教師生活を実現するための考え方の基礎を教え、
人生を変えるきっかけになりたい

そう思うようになりました。


           あなたの生活の先に

         後悔しない未来はありますか?

一度、この先の未来について真剣に考えてみてください。


そういう人の力になりたいと思って
この文章を書いています。

           
            人生は自分の選択


自分の選択に後悔のないように
責任を持って生きていきましょう。

あの時、○○していればよかった
そう思った時にはもう遅いです。

これを読んでくださった方が、

後悔しない人生が送れることを
願っています!

私の人生のテーマは
「人に感謝し、喜ばれる行動を継続すること」


仲間がいて、一緒に仕事ができるのは
最高に楽しいことです。
もうあなたは一人ではありません。

たった一度の人生を
最高のものにしましょう。

最後まで読んでくださった皆さんへ。

もしご縁があれば、いつか一緒にお仕事しましょう。
楽しみにしていますね。

それでは長くなりましたが、
ご覧いただきありがとうございました。

また!

PS

最後まで読んでくださって
ありがとうございます。

学級崩壊をして、3人の子育てをしながら
36年教師を続けた私が、

理想の教師生活と人生を手に入れる        
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