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50代元教員早期退職 イキイキライフ

こんにちは、まませんです。
初めましての方もいらっしゃると思います。
自己紹介いたします。

私は、2023年3月に36年勤めた小学校教員を早期退職し、今はフリーランスで活動しています。

29歳で結婚し、3人の子供を育ててきました。そのために、義父母と同居や夫との諍いなど、長い間苦しい時期を過ごしてきました。今は、幸せな気持ちで毎日を過ごしています。

4月から、自分の経験を若い先生たちに参考になればとお伝えする活動をしています。noteやX、Instagramの発信です。
今回は、note5作目になります。

ここでは次のような内容をお伝えしていきます。


1 自己紹介

 
 昭和の中頃、地方都市の公務員の家に三姉妹の長女して生まれました。小さい頃は、外で遊ぶより家で本を読んでいるような、静かで大人しい子供でした。

 読書好きで言葉や表現には関心が高い反面、人とコミュニケーションを取るのは避けていました。話すのは苦手だったと思います。


 小学校3年生の頃、社会科見学に徒歩で移動となると、あまりに体力がなく、帰ってくると寝てしまっていたそうです。

 中学校では、テニス部に入り、レギュラーを目指して練習しました。試合には出られるようになりましたが、市内大会止まりで上の大会に出るほどでもなく、卒業。運動は得意ではなかったです。

 当時はやった「ピンクレディー」「サザン」「金八先生」「ザ・ベストテン」などには見向きもせず、ひたすら勉強と読書の日々。それが苦ではなかったし、本人は楽しんでいましたが学校では「ガリ勉」と噂されていたと後で聞きました。話に入って行けませんでしたから。相当な「陰キャ」です。

 高校は、地域では進学校と言われるところへ。市外に通学することになり、開放感に浸っていました。新たな仲間もたくさんできました。

 登山部に入り、夏休みには軽井沢をベースキャンプに奥穂高岳や槍ヶ岳へ登りました。夜中にテントが倒れ、起きてみると空に綺麗な天の川がとても近くに見え、初めての経験に感激したことを覚えています。

 登山部での経験が、「自然の素晴らしさや怖さ」「仲間との協力」を教えてくれました。かけがえのないことを教わったと思っています。

 高校では、定期テストの結果が上位20名まで廊下に張り出されるシステムが残っていましたが、一度も載ることはなかったです。現在の、個人情報保護の視点から考えると、信じられないシステムです。

 3年生になり、受験をする段階になると特にしたいこともなく、困っていました。すると母が「学校の先生になったら良いのではないか」とアドバイスしてくれました。

 私も学校の先生に悪い印象はなかったので、軽い気持ちで地元国立大学の教育学部を受験することにしました。受かるかどうかは五分五分くらいの気持ちでした。

 幸いにも合格し、晴れて大学生に。この時、初めて一人暮らしを経験します。四畳半の大学近くの部屋を借りました。台所と風呂、トイレは共同でした。

 3年、4年の時は教育実習に行きました。中学校免許もとっていたので、大学近くの学校へ実習へ。この時は部活動もあり、「中学校教員は、私には無理だな」と思いました。

 4年生の夏、教員採用試験がありました。その頃、卒業してすぐに先生になることに抵抗がありました。周りは勉強していましたが、その流れに入っていくことができませんでした。昔から「人と同じことをしない」傾向にあります。自分から外れていくのです。悪い癖です。

 勉強に身が入らないまま、受験し失敗。民間の採用試験も受けましたが不採用。そのまま、卒業し自宅に戻って再度教員採用試験を受験。その頃の倍率は4倍くらいでした。

 母が、試験前日に合格のお守りをくれたのを今でも思い出します。「これを持ってしっかり頑張りなさい」と。母とは、ありがたい存在です。その母も2年前に他界しました。

 その年に無事合格。遠い雪国の小学校へ赴任が決まり、一人暮らし再開。両親が雪が多いのを心配して、屋根の雪下ろしをしに来てくれました。休日に1時間半かけて来て、1日使って雪を下ろし、また1時間半かけて自宅に戻る。

 その時のことを思い出すと両親の体力と愛情には、頭が下がります。自分は同じことを子供達にできるだろうか?それが3年間続きました。その地で、同業の1歳上の夫と知り合いました。

 教師5年目に結婚、6年目に長男が誕生。その頃は毎日夢中で、生きていました。実家の近くに住んでいたので、子供を預かってもらったり、時々惣菜を分けてもらったりしながら、生活しました。


 3年後、次男、長女の双子が誕生。それを機に夫の両親との同居を始めました。同居生活は10年ほど。3人の子供達を絶対に幸せにする、立派に育てるという決意だけはしっかりもっていました。

母が撮影してくれた、シャッターチャンスばっちりの3人の子供たちの写真。
今もリビングに引き延ばして飾っています。

 現在は、3人の子供達は家を出て社会人となり、夫との二人暮らし。子供達への決意は今も持っていますが、社会人になったらそれぞれパートナーもでき、私の役割は半分終わったようです。空の巣症候群になった時もありました。

カーブドッチの客室はクリーンで、眺めもよく快適

2 早期退職イキイキライフ

(1)旅

 退職して、まずしたかったことは「旅」です。私はなんと!海外旅行の経験がないのです。今時こんな人、珍しいですよね?長期休暇の家族旅行は、近場で済ませていました。温泉、TDL、隣の県の観光など。新婚旅行はオーストラリアの予定でしたが、延期。


松島の生牡蠣は最高でした!

 そのため、まず大好きなワインの産地である、新潟の「カーブドッチ」へ宿泊を予約。美味しいワインとお料理を食べていれば、幸せを感じます。


 また、次男が退職祝いに旅行クーポンをくれたので、その中から岩手県平泉の中尊寺金色堂や宮城県松島へ旅行に行きました。ここも初めて訪れた場所です。


 最近、御朱印帳を集めるのが、楽しくなってきて旅には常に携行します。金色堂の御朱印は、とても立派でありがたく頂戴してきました。

勢いのある金色堂の御朱印は、私の今後の人生のお守りです。

 先日、退職前から予約していた「日本一周の船旅」19日間から帰ってきました。7月29日東京国際クルーズターミナルを出発し、宮城県石巻、北海道釧路、小樽、函館、金沢、鳥取県境港、(福岡県博多市:台風で行けず)韓国釜山、沖縄県那覇、(高知:台風で行けず)東京のコースを8月16日に終了。

 
 海外はおろか、日本国内で行ったことのある場所は少なく、今回一気に回ろうと考えての旅です。いかに今まで仕事ばかりしてきたかと反省しました。これから、旅をたくさんしよう!

 初めての船旅で、刺激的な体験をさせてもらいました。19日は長すぎます。実はここの会社は、3ヶ月の世界一周旅行もあり2024年4月のクルーズを予約していたのですが、今回の船旅が長すぎてキャンセルしました。

 お客さんの中には、世界一周クルーズを10回も20回も行っているリピーターがいてびっくり。年に3回、3ヶ月出かけていますが、帰るとすぐに次のクルーズに出かけるのだそうです。

 日本一周の船旅で、途中韓国の釜山に寄港。初めての海外旅行でした!後悔したのは、ハングル語が全くわからず看板や標識などが読めなかったこと。驚いたのは、日本円でも買い物ができたこと。

 洋服や靴、サンダルは安くて可愛くて良いものがたくさんあり、また行きたいと思いました。化粧品は、美容パックを60個も爆買いしている日本人がいました。

 次回は、翻訳アプリを活用して買い物に行きたいと思います。


World Pacific号で、夏の思い出ができました。

 

(2)発信

 退職して、twitter(X)、Instagramを始めました。今までは発信しないようにしてきました。時々読んではいましたが、「つぶやいて何になるの?」「炎上したらどうしよう?」という気持ちでした。考えが浅いですね。

 twitterは、140字の中に価値提供と一貫性をもたせ、他者を不快にしない表現を心がけています。反応をいただくのは、とても少ないのですが、たまにいただくと嬉しく、コツコツ継続していこうと思います。

 この140字にまとめることが、思考を促してくれて良い刺激になります。

 インスタは、写真をそのままキャプションをつけて投稿できますから、気楽に続けています。自分の思い出の記録にもなります。

 前から書くことは話すより好きですから、noteの存在も4月以降に知り、書き始めました。後輩の皆さんに、自分の経験を語り「頑張って!」「一人じゃないよ!」というメッセージを込めました。

 自分も学級経営で苦労しましたし、義父母との同居で苦労しましたし、管理職としても困難がありました。幸い、子供達は母が忙しいのを知ってか、あまり手がかかることを起こすこともなく、大きくなってくれて感謝しています。

 7月には、初kindle「ママ先生だってキャリアアップ」を公開しました。「女性なのに」「黙っていろ」と言われながら、腐らず、止まらず、負けずに続けた自分の泥臭い記録です。


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(3)運動

 退職して家にいるようになると体力が低下するのを恐れ、ウォーキング、ジョギング、筋トレを週3回市の健康教室に通い、解消しています。万歩計は肌身離さず、一日8000歩以上が目標。

 ヨガで体をストレッチし、呼吸を整える意識をしています。瞑想をしても良いです。精神が整う感じ。睡眠は、6時間程度とるようにしています。


こんなデータが取れるアプリに記録が残ります。

 さらに、幸せなことに8年前の高校の同窓会で「ゴルフクラブ」が発足し、そこに入れてもらいました。下手くそですけど、お盆やGWには10人くらいで集まって⚪︎⚪︎杯と名付けたコンペをしています。

 皆さん、20代からゴルフしてるから上手いの!会社社長とかもいるし。私は40代から始めたので、腕はまだまだですけど、その会に参加するのが楽しみの一つです。

 皆さんが、退職したら平日のリーズナブルな料金で行き始めるのではないかと期待しています。今は、休日祝日料金で回ってます。

 幹事さんから「老後の楽しみ仲間の一人ね」と言われた時は、嬉しかったです。そんな仲間がいるって幸せだなと思います。お互い中学、高校時代の話をおもしろおかしく喋りながら、たまに「黙って!」と叱られながら回っています。


(4)ボランティア

 先日、近くの公園の除草ボランティアに参加しました。知らない人と会話して、公園も綺麗になって気持ちが良かったです。爽やかな気分になりました。

 この経験から、これからも地域のボランティアに参加し、コミュニティに入らないと人と話すことがますます苦手になっていくと感じてます。家で過ごしていると、話す機会が本当に少なくなったと思います。

 人に喜んでもらう、貢献する、頼りにされるのが人の幸福につながると聞いたことがありますし、そうだと思います。自分も頼りにされる存在になりたいのかもしれません。
 

(5)一人暮らし86歳の父のケア

 2022年3月、7年ほど認知症だった母が亡くなりました。82歳でした。女性の平均年齢から考えると、早かった、まだ生きて欲しかったと思います。母のアルバムの整理をしていたら、涙が溢れて仕方ありませんでした。

 そのため、現在86歳の父は一人暮らしです。働いていた頃は、家事は全て母任せでしたが、母の認知症によって料理、洗濯、掃除など全てをするようになりました。そのせいか、頭はしっかりしていますし、ゴルフにも出かけます。

 しかし、年齢には勝てません。忘れ物が増えましたし、弱音を吐くようになって来ました。反面、昨年新車を購入。まだまだ、遊びたい気持ちがあるようです。本人は「医者に行くためだ」と言っていますが。

 免許更新時の認知症診断では最高得点を取ったと自慢しています。そんな父に時々、惣菜を届けたり、旅行に誘ったりしています。父は、もう一度ハワイに行きたいとさかんに言っていますから、実現させてあげたいと思います。

 
 高齢なので免許返納を勧めた方がいいと思う反面、楽しみを取り上げるようで強く言えません。車がなくなったら、ゴルフに行けなくなります。高齢の父に親孝行するのが、跳ねっ返り娘のご奉公だと自覚しています。

父といただいた初めてのわんこそば。全部平らげました。

3 これらから挑戦したいこと

 
 教員という立場を離れてみて、この仕事についていて幸せでしたし、この年齢まで勤められたことは奇跡だと感じています。今まで仕事上の問題は、これまでのnoteにも書いているくらいたくさんありました。

 この仕事を勧めてくれた母、応援してくれた家族には感謝でいっぱいです。また、出会った子ども達が私を成長させてくれました。こんな素晴らしい仕事はないと思っています。

 これからは、今までと違った立場で、人と出会い、自分という資源を活かす場と方法はないかと4月から考えてきました。

 そして、精神疾患で5000人が休職に追い込まれる教員受難の時代に「希望をもって教員を続けるキャリア形成」「教員生活を全うする心の切り替え」ができる、「心を安心して解放できる」コンサルの場をオンラインや面談でやっていこうという考えに至りました。

 現在、メンタルセラピストの勉強をしています。先生達の心の声に耳を傾けていきたいと思っているからです。私も現役時代は、そういう場が欲しいとずっと願っていました。

 さらに、元気に退職を迎えた先生達と一緒に、お仕事をしていけたら幸せだなと思います。ビジネスパートナーです。セカンドキャリアとしての場も提供していけたらいいと夢を膨らませています。


 今後とも、先生達の応援をしていきます。ご期待くださいませ。


最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
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