完璧主義者だと言われる:間違い探し(ダスト・エッセイ)

完璧主義者だと言われる。


サイゼリヤのお子様メニューには超難易度の高い間違い探しがある。高校生の頃、どんなに疲れていても、周りが断念しても、僕は10個見つけるまで粘り続けた。それは、卒業後も変わらずにいた。



半年前、一人でサイゼリヤに入った。軽食とドリンクをとり、本を読み、ひと段落したところで恒例の間違い探しに取り組み始めた。


一つの空席を挟んだ向こうの席に座る一人客の男子高校生が、店員を呼び止めた。それに対して、もう一つ隣で一人客の男性が制止しようとした。


高校生は、制止しようとした男性に盗撮をされたと言う。男性は、落ち着いた語尾と少しだけ高いトーンで、否定する。耳を傾けるしかない男性店員の前を通り越して、高校生は退店した。


店員が男性に事情を聞きながら注意をすると、男性は不快だと声を徐々に荒げていく。すると、向かいに座っていた女性が、煽るようなトーンで、盗撮してましたよ、と声をかけた。男性の怒りは沸点に達して、男性と女性は言い争い、女性は変わらず煽る口調で警察に通報し、男性は不満と暴言を吐きながら退店した。しばらくしてから警察が店先にやってきて、店員と女性が呼び出された。


その間僕は、ただ間違い探しを見つめていた。顔をあげることも、読書を再開することも、間違いを探すこともできなかった。動いたら、自分が何か罪に問われるのではないか。心が締め付けらた。


仕切りの向こうで顔の見えない女性客数名が、笑いながら、やばくね、まじで警察きてるじゃん、あの女の人もやばい、と、声をあげる。画面越しのライブ配信にコメントを送るかのように、まるでこの男性と女性に届けるような声をあげる。



罪を犯すのにはそれなりの理由があり、冤罪も、深刻な被害も、正義の貫き方も多々ある。


この難しさを感じることよりも、声の大きい傍観者がいたことが、僕にとって一番しんどかった。


あと一つ間違えを見つけられないまま、僕は店を出た。

(2024年5月30日投稿)

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