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チョコレートに思うコト。

バレンタインデーは終わったが、チョコレートについてもう少し。

これだけさまざまな種類のチョコレートが手に入るようになり、ショコラティエの名前で売れるような時代ではあるが、私は、チョコレートは日本の「チョコレート菓子」が最強だと思ってきた。それは今でもそう。メリーさんやモロゾフさんだけで充分私にとっては高級チョコだったし、ゴディバが登場した時なんぞは「こんなに高いチョコレートが存在するのか!」と驚愕したものである。

「ショコラトリー」を10件ほど訪れた20年前

20年近く前のことになるが、日本のチョコレート菓子最強! な私が何の因果か当時ぽつぽつとできはじめた「チョコレート専門店」の取材をすることになった。

チョコレート専門店。あの頃から「ショコラトリー」と呼ばなければならなかった。そしてチョコレートを作る職人さんのことは「ショコラティエ」と称する。取材をさせていただいたお店は、どこも日本を代表する「ショコラトリー」。そして海外で修業を積んだ「ショコラティエ」が作る「ボンボン・ショコラ」「ショコラ・フレ」「ボンボン・ドゥ・トリュフ」「プラリーヌ」は・・・・・・、まあ、そういう感じだった。

どの店に行っても「ショコラ」が実に整然と、実に美しくショーケースに並べられていた。形もデザインもさまざまで、どれもツヤツヤ、ピカピカしていてチョコレートには見えないほどの美しさ。そして注文すると店の人が手袋を着用し、恭しくケースからチョコを取り出して銀のトレイにのせてくれる。

まるで宝石のような扱い! チョコレートもずいぶん偉くなったものだなあ・・・と感心したことを覚えている。

高級ショコラの味は・・・

記事を作るにあたって、それぞれのショコラの味や特徴を書かなければならないので、撮影後のチョコを持ち帰って食べる。人生の中であんなに高級チョコを食べたことはなかった。多分これからもないと思う。

当時ひと粒150円くらいのものから400円くらいで、どれもカカオの産地、ブレンド、合わせるナッツやフルーツ、とにかく素材と製法、口溶けなどにこだわり抜いたチョコレートたち。口に入れるとじわっととろけて、チョコの苦みと中に混ぜてあるフルーツやナッツ、キャラメルなどなどの風味が混ざり合い、そしてすうーっと溶けてなくなっていく。カカオの酸味が後味として残り、それはそれはおいしかった。

が、一度に食べるのは3個が限度。とにかくすべてが濃くて、鼻粘膜を直撃するのだ。甘み、酸味、苦みのすべてが「こってり、こっくり」している。私の乱暴な味覚では「ああもう、どれも濃いチョコレートってだけじゃないか!」という感じ。

それでもできるだけ味を伝えたいという思いから、毎日夕食後に、薬を服むかのごとくチョコ3個をゆっくりと食べる・・・という生活が1週間ほど続いた。が、最後の方はその濃さのせいか鼻から後頭部が痛くなってきた。頭痛を起こすチョコ・・・ううむ、まさに「魔性のお菓子」。

日本で高級ショコラはスタンダードになったのか?

取材中、とあるチョコレートショップのシェフに「ヨーロッパには『癒しの4C』がある」という話を聞いた。いわく、カフェ、シガー、コニャック、そしてショコラ。それを聞いた時は「まあすてき♪」と思ったのだが、店を出た瞬間現実に引き戻された。「うーん、やっぱり日本じゃ無理があるかも」

イマドキの若い人は高級チョコにもなじんでいるのかもしれないが、昭和生まれの私にとっては、やはり日本人にとってのチョコレートはチョコレート菓子なんだろうと今でも思う。きのこの山であり、アポロチョコであり、エンゼルパイであり、明治アーモンドチョコレートであり、ロッテガーナチョコであり、不二家ハートチョコレートや不二家ルックチョコレートなのだ。

あれから20年が経ち、ショコラティエなる人たちも増えに増え、この時期だけ販売されるチョコレートもたくさん。が、果たしてショコラ文化は日本に根づいたのかというと、どうなんだろう。バレンタイン以外の時期に、贈り物や自分のために高級チョコを買い求める人って、今どれくらいいるのだろう。

たとえば自分だったら・・・想像してみると、

自分のために、わざわざ高級チョコを買いに行く。ガラスケースに並ぶ数あるショコラの中から好きなものだけを4つ選んで、箱に入れてもらう。「私は贈り物用じゃなくて、自分のために普段もこうしてショコラを楽しんでいるのよ」という気分になれるだろうか。

そして食後に、おいしいコーヒーやワインとともにショコラをひと粒。「ああ、これってお洒落だわ」「自分のための贅沢な時間だわ」とチョコを食べながらうっとり。

でも、私の場合きっとその後に、歌舞伎揚とかソフトサラダなんかが欲しくなりそう。そこでやっぱり日本人であることを実感しそうでは・・・ある。

これだけ高級チョコレートがあふれている世の中で、いまひとつショコラ文化に乗れないのもまた、昭和の人間ってことなのかしらね。

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