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手帳を書くというアナログな作業を、きっと来年も続ける。

ようやく来年の手帳を買った。

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「ほぼ日手帳2021オリジナル」である。

ほぼ日手帳を初めて買ったのは2007年。以来、たいして書くこともないのに毎年買い続け、書き続け、気づけば来年で15冊目となる。

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このほかに、普通の日記も書いている。こちらは2000年から書き始め、5年日記だったり3年日記だったり、一日数行書けばいいという気楽さで何だかんだ20年続いている。

どちらもたまーに読み返したりするのだが、まあ実にどうでもいいことしか書いていない。特に普通の日記帳の方は「昼は◎◎食べた」「夕食は◎◎にした。うまかった」と、ほぼ食い物のことしか書いていないことが多い。

それに比べるとほぼ日の方は、もう少し自分の思いだったり感動した本だったり、おいしくて幸せになった料理だったり、作ってみて思いのほかうまくできた料理だったり(やっぱり食い物ネタが多い)と、こまごましたことを書いてはいるが、まあほぼどうでもいいことだわな。

さらに、ちょっとメンタルが落ちている時はわけわからんことを書きなぐっていることもあるし、1ページにでかでかと「負けない!」と書いてあるだけの日もあるし、それこそ「気持ちが上がる名言」みたいなのをいくつも書いているページもある。

読み返していてそんなページが何日か続くと「ああ、この時・・・こうだったよな・・・」と思い出したりして。そして、あんなことがあったけれど、あんな思いをしたけれど、まだ何とか生きてるなあと実感したりもする。

ほぼ日手帳の場合、最近はイチバン最後に「その日うれしかったこと」「その日楽しかったこと」を書くようにしている。

うれしくも楽しくもなかった日でも、愚痴を書きまくった日でも「何かに感謝」という思いだけは無理やりでも、白々しくても、書く。ご飯がおいしかった、でもいいし、極端な話ご飯が食べられた、ということでもいい。

おいしいごはんに感謝。食べられることに感謝。この本に出合えてありがとう。月がキレイに見えた、ありがとう。ダンナの体調がいい、ありがとう。

どんなに最悪な日でも、感謝の言葉で手帳を締める。どんなにネガティブなことを書きまくった日でも、最後だけはうれしかったこと、楽しかったこと、感謝することで終わらせる。これが、最近の私手帳唯一のルール。

誰かに読ませるものではないので、それでいい。時折読み返して、自分を振り返って、改めていまに感謝して。

とはいえ、自分が死ぬとわかった時にこの日記帳たちをどうしようか・・・という気持ちはなくはないのだが。それでも、きっと来年も、手を使って毎日何かを書くという作業を続けるのだろう。無駄と言われようが、私が良ければそれでいいのさ。

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