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自己紹介。

こんにちは。note初心者・ぐーたら主婦の「ままさき」です。noteを始めて2ヶ月ちょい、今さらながら改めて自己紹介記事を置いておこうかと。

noteでは

① 透析患者&左下肢義足のダンナのこと
② 妻として、患者の家族として思うこと
③ 透析&義足の疑問や面白いことあれこれ
④ 日々の暮らしあれこれ(ごはん、オバサンが徒然に思うこと、ぐーたらライフスタイルなど)

を書いていくつもり。では、よろしくお願いします。

カンタンなプロフィール

1960年代終盤に横浜市南区と磯子区の境目あたりで生まれ、その後横浜市の真ん中へんで育つ。横浜のチベットといわれる場所にある県立高校卒業後、あっさりと一浪(当時は、いちろうひとなみと言われていたっけ)。

一浪の後、何とか都内短大(法律学科)へ引っかかる。ギリギリで卒業後、ジャーナリスト養成の専門学校へ入学するも中退(書くほどにひどい学歴だ)。

世の中バブルだったが、個人的にはバブルの恩恵まったく受けず。

地元タウン誌出版社勤務を経て、何の知識もなくフリーランスに。市広報紙、新聞社発行の情報紙などで仕事をした後、大手出版社発行情報誌の編集&ライターとしてもぐりこみ約10年、記事の構成、編集、取材、執筆などを行う。

2003年頃、仕事をすっぱりやめて隠居。やめた理由は多分、情報誌の仕事が限界だと思ったから。この先自分が40歳、50歳になって、若い子向けの雑誌の仕事でフットワーク軽く動けるとは思えなかったのかもしれない。

あとは、情報誌という媒体ではいくら丁寧に取材をしたところで、レイアウトにあてはめると少ししか文字数が書けないというジレンマもあった。記事を書くというよりも、文字数をあてはめるという「作業」に飽きたというのが本当のところかもしれない。

そこからはほぼ主婦。数年前から在宅ライターの仕事をたまーにする程度。おそらく今の若い人たちから見ると「何もできないオバサン」。子どもも居ないため、イマドキの世間の常識を知らないかも。

「適度に適当に」「良い加減にいい加減に」をモットーに、ヨコハマの僻地でぐーたら暮らしている。いくつになっても練れない、ややこしい性格ゆえ、悩むことも無駄に考えることも多い。が、開き直ると立ち直りも早い。ダンナからはパンダだのペンギンだのシロクマだのと毎日言われているデブでまるい50代。

ダンナと出会ってから

ダンナと知り合ったのは2001年。当時会社を経営していた彼は体重が140㎏もあったうえに仕事もイケイケだったため、初対面の印象は「いけすかないヤツ&面倒くさそうなヤツ」。

が、どういう縁か結婚に至る。いろいろあって会社を整理することになり、何もなくなった状態での結婚であった。

一緒に暮らすようになって15年、ダンナは糖尿病性腎症が進み、2017年9月に人工透析開始。さらに2018年3月、糖尿病による壊疽で左脚を切断。リハビリを含めて4ヶ月の入院生活を送る。

そんなこんなで透析&義足生活となったダンナと二人三脚、なんとか暮らしている。

透析患者&義足ユーザーの家族として

透析も義足も、一生付き合っていくもの。それは本人だけではなく、家族も同じだと思う。障害を持ったのは夫だが、妻もともに闘い続けるのだ。それを何かに残しておきたいとnoteを始めてみた。

とはいえ、実際始めてみると透析や義足のことよりも、どーでもいいことをつらつらと書く日の方が多くなってしまったのだが。←そこらへんがやっぱりいい加減。

透析も義足も、身近ではない人にとっては未だにマイナスイメージが大きいということも、ここ数年でひしひしと感じた。けれど、夫はサイボーグなこのカラダで生きていくのだ。だから、私は少しでも楽しく過ごせるようにしたいと思う。

透析も義足も自分のことではないので、本人とは捉え方が違う。いくらイチバン近くにいても、私にはわからないことの方が多い。

夫婦とはいえ、本人の痛みや辛さまでは共有できない。それでも何かしたいと思うのもまた、家族。患者の家族としての想い、家族なのに何もできないやるせなさ、辛さ、不安などを正直に、でも深刻にならずに楽しく書いていけたらと思う。

どこかに居る誰かが「あ、なんかわかる!」「へえ、そうだったのか」と思えたり、同じ病気の人、義足ユーザーの人にも、力入れずにテキトーに読んでもらえたら、それで充分。

ブログも2007年から書いているが、最近じゃ月イチ更新というだらしなさ。デブ夫婦のお気楽生活を自由に書きなぐっているだけの場である。暇つぶしにでも・・・なるかな。→https://blog.goo.ne.jp/mamasaki720

改めて、よろしくお願いします♪

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