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何もできないオバサン。

10代の頃は「今はできなくても大人になればできるようになるんだろう」と思っていたことがたくさんあった。

しかし、50歳を超えた今でも私には「できない」ことが多すぎる。生活していく上でそれほど困ってはいないけれど、いい加減オバサンなのにできないこと。

編み物、縫い物、ミシンを使うこと、クルマの運転(免許がない)、折りたたみ傘をキレイに畳むこと、足の指を開くこと、ペン回し、指鳴らし・・・。

三つ編み、平泳ぎ、アイラインを引くこと、マスカラすること、髪をささっとまとめること。

ほかにも、組み立て家具がちゃんと組み立てられない、何かを作る時に説明書を見てもどこにどの部品を差したらいいのかわからないことも多い。イライラして適当にやって後で壊れたりすることもある。

特に手先は子どもの頃から母親だけでなく近所のおばちゃんたちにまで「ぶきっちょね~」と言われ続けていたので、家庭科の宿題などはハナッからできる気がせず、全部母親にやってもらっていた。

それでも高校生の頃には、なんとなく編み物をやってみようかなどと思ったこともあったのだが、教えてくれた近所のお姉さんに匙を投げられてしまったほどの先天性ぶきっちょだった。母は、昔は洋裁をしたり編み物をしたりしていたので、器用なDNAはあるはずなんだが、開花することもなくこんな年齢に。


若い頃は、自分でセーターを編める子や長い髪をさっとまとめてクリップで留められる子、自分で見事なお菓子を作れる子などを見てうらやましく思ったもの。それでも「きっとお母さんになればミシンなんかも使えるようになるんだろうなー」「大人になれば編み物のひとつもできるようになるんだろうなー」などとのんきに思っていた。

しかし、不器用な奴は不器用なまま大人になり、不器用なオバサンになり、不器用なおばあさんになっていくのだ。

ただ、不器用なままオバサンになると「できないことはできる人にやってもらう、教えてもらう」という方向に転換していく。自力でできずにイライラして、結局やっぱりできずに落ちこむ・・・という無駄な時間を思えば、できる人にやってもらうのがイチバンいい。

私とは逆の「何でもできるオバサン」には「できないことを威張るんじゃない」と怒られるのだが、頑張ったところで、できないものはやっぱりできない。だから無理はしない。無理をすると、結局どこかで歪みが出ることも充分わかっている年齢だ。

なので、できないことはダンナにやってもらったり、知り合いにやってもらったりして、私はできることをやる。わからないことは若い子たちにもどんどん聞いちゃう。これだけでずいぶん楽に暮らせるのだ。

ま、若い人から見たら「何もできないくせにずうずうしいオバサン」なのかもしれないが。いいんです、図太く生きていきましょう。

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