平成のゆとり教育とは何だったのか
平成最後の夏。
快晴をよそに、街の塾予備校には今日も多くの高校生が集まっている。
受験生にとっては天王山とも呼ばれる夏期講習だ。
現在の高校2年生までは、現行の入試制度だが、
現在の高校1年生からは新しい入試制度が始まる。
どちらにも対応しなくてはいけない塾予備校は大変だろうな。
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2020年、2030年、そして新しい時代に向けて
今から猛スピードで「教育改革」が起きている。
今の高校生は大変だなと思いつつ、羨ましいとも思う。
これからの時代に対応できる人材を育てるために、偉い人たちが必死こいて教育を変えている。
その教育を受けられるなんて羨ましい限りだ。
「ゆとり教育」と呼ばれた僕ら世代の教育は、まもなく終わる「平成」と共に時代の遺物となっていくのだろう。
ゆとり教育は何だったのか
ゆとり教育の是非については多くの有識者が語っているので、
詳しくはそちらを参照して頂くとして。
ゆとり教育を受けた者としては、悪かったとは思わない。
ただ「平成のゆとり教育」には足りない部分が確かにあった。
「何が足りなかったか」を経験から振り返る。
平成のゆとり教育
うちの高校は県内でも有名な「自由な」学校だった。
私服OKで、茶髪もOK。
学校行事の大半も学生が運営していたし、部活に打ち込んだり、学外の活動に打ち込んだり
自分の好きなことに時間を使える環境があった。
同級生も個性的な人が多くて、勉強も部活もバイトも趣味も
それぞれに頑張っていることを尊重する風土があった。
高校を卒業したらそれぞれの道に行くんだろうな、と思って
いたが、違った。
高校3年生になった途端、一斉に大学受験に取り組むのである。
そこそこの進学校だったので、
生徒のほとんどが国公立か有名私立に進学する。
学生時代はあんなに個性的だった同級生も、一斉に「大学進学」の枠に押し込められる。
自分自身も案の定この枠に入ったのだが、今思えばここがゆとり教育に足りなかったことだと思う。
あれだけ「ゆとり教育」によって、個性豊かに育て上げられた高校生たちが、進学になった途端に個性を消し、受験勉強に取り組む。
つまり小中高と「授業」にゆとりはあったのだが、
「進学」についてはゆとりが適用されたおらず、全員が「大学進学」の道をとるようになっていた。
大学進学が悪いとは思わないが、大学進学前提で考えてしまうことは、
将来に対する「ゆとり」を失っていると知るべきだろう。
もしも高校生に戻れたら、
「大学には行かない」という選択肢をとる気がする。
有名私立大学の難化
ところで、直近3年でMARCHと呼ばれる関東の有名私立大の倍率が高くなり、入試が難化している。
昔は早稲田大学に入れた学生が、明治大学にすら入れないということもあるらしい。
理由は大きく2つある。
一つは国からの助成金受給基準が厳しくなり、大きな私立大は定員数を大きく超えた合格者数を出せなくなったこと。
もう一つは、上記理由により本来のターゲット層だけでなく、その上位層もMARCHを狙っていることだ。
この難化傾向が続けば、MARCH層が日東駒専に、日東駒専層が大東亜帝国に、と玉突き式で影響が出るだろう。
ゆとりの進路教育へ
これも今回の教育改革の一端による影響のようだが、これだけ大学進学が難化したとしても、
それでも「大学進学」ばかりでは「平成のゆとり教育」の二の舞いになってはしまわないか。
今こそ、進路教育に「ゆとり」が必要だと思う。
大人世代が、自分たちの頃とは社会も教育制度も全く異なっていることを理解し、
高校生以下の子供たちの行きたい進路を応援する。
それが大学だろうと、専門学校だろうと、海外だろうと、就職だろうと
それぞれの個性を伸ばせる進学が出来る「ゆとりの進路教育」こそが、
これから必要なことではないだろうか。
平成最後の夏が
全ての高校生にとって最高の夏になることを切に願う。
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