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家族との距離がわからなくなった大人へ


一般的な幸せ家族ってなんだろう。


両親とも仲が良く、兄弟も仲が良い。年に一回は家族旅行とか行って、出掛けた先で撮った写真をアルバムにまとめたりなんかして。

休みの日は、DIYに明け暮れる父と弟を横目に、母と買いものに出かけたりして。帰ってきたころにはウッドデッキが出来上がっていて、夕飯はそこでバーベキューをする。

何となくイメージしてもらえただろうか。別にこの家族が答えだとは思わないけれど、これは「一般的な幸せ家族」と呼んでいいと思う。


ちなみにウチの話ではない。

ウチの家族は「一般的な幸せ家族」とは異なる。今でこそ愉快で最高な家族だと言えるが、子供のころはなかなかに苦い思いをした。そもそも「一般的な家族、でないウチの家族」を説明するのに適当な言葉を知らなかった。

そんな家族だったせいもあってか、年を重ねるにつれて、少しずつ家にいる時間は少なくなった。ハタチ過ぎたころには完全に実家を離れ、大学の近くで暮らすようになった。

決して家族のことが嫌いになったわけではない。ただ、親には親の、兄弟には兄弟の、自分には自分の人生があり、別々のものだと思っていた。それが大人になることだと思っていた。


それから月日は流れて、社会人になった。就職先は親に特に相談もせず、事後報告しただけだった。実家から通える職場だったけれど、会社の近くに住んだ。仕事に没頭していたこともあって、学生の頃よりももっと、家族のことは頭の片隅に追いやられていた。


『歩いても 歩いても』

この映画を見たのは社会人2年目が始まってすぐの頃。とても疲れていたからか、ほのぼのしたパッケージに誘われてTSUTAYAでジャケ借りをしたっけ。

「親と離れて暮らす息子夫婦が、死んだ兄貴の墓参りのために、久しぶりの帰省をする」という、どこにでもいそうな「一般的な家族」のお話。

帰省した大きな平屋では美味しそうな料理が振舞われ、親戚の子供たちが広い庭でわいわいと遊んでいる。

ただその「一般的な家族」はあまり幸せではないように見える。最初は口の悪い祖母(樹木希林)のせい、もしくは医者のプライドを捨てきれない祖父(原田芳雄)、はたまた”ヨソ者”な再婚の妻(夏川結衣)のせいか?と思っていたのだが、誰のせいでもなかった。

単にそれぞれが思う「幸せな家族像」が異なっていただけだった。そしてその「幸せな家族像」を家族が分かりあえていなかったのだ。いや、分かっていても、向き合えていなかったのかもしれない。

映画の終盤、息子(阿部寛)が帰りのバスの中で呟く。

「いつもそうなんだ。」「いつもちょっとだけ間に合わない。」


近いようで遠い。歩いても、歩いても、いつもちょっと間に合わない微妙な距離。

そんな距離が家族の中にもあると気がついた時に、ようやく「ウチなりの幸せな家族」が分かる気がする。


自分から初めて「実家に帰る」と連絡をしたのは、この映画を見た直後だった。帰ったら、酒を飲みながらでも、子供の頃の話をしたいと思った。この距離を覚えているうちに。間に合ううちに。


「あれ?うちはどのくらいの距離だ?」となったアナタに是非見て欲しい映画だ。そのまま間に合わない、なんてことがないように。

今週末に、ぜひ。


編集:円(えん)

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