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愛とか恋とか、クィア・パルムとか

駆け出しのライターとして出会ったメンバーたちが、毎回特定のテーマに沿って好きなように書いていく「日刊かきあつめ」です。

今回のテーマは「#愛とか恋とか」です。

先日公開になった『怪物』という映画がある。

日本映画界のアベンジャーズともいうべきスタッフ勢で、もうこれでコケたら日本映画も危ういぞ、と制作発表された当時からデカい看板を背負わされていた。(と思う。)

結果そのプレッシャーも押し退ける作品で、とても良かった。

目で見える表現と見えない表現が巧みで、きっとこういうことだろうと、こちらの想像力を駆り立て、
実際はこうでした、と少しずつ輪郭をあらわにしていく構成で引き込まれる。

題材は「いじめ」「母子家庭」「学校と教師」など、誰もが気になる社会問題を扱いながら、タイトルにもなっている「怪物」は誰なのか、見え隠れしていて面白い。

詳しい解説やレビューは数多の記事に譲るとして、今回のテーマである「 #愛とか恋とか 」について、この映画と、映画に対する評価を踏まえて述べたい。

この映画における分かりやすい愛は、母・早織が息子の湊に対する気持ちであり、また恋は担任教師の保利の恋人への気持ちであろう。言葉としても表れているし、行動も伴っている。

一方で、依里の父が息子に向けるのは愛情か、また校長の伏見は孫に対して愛情があったのか。本人たちは愛情だと思っているようだったが、周囲の人間や観客としては、「どうだろう?」という気になる。

言い古されたことではあるが、「全ての愛とか恋とか、決めつけるのは難しい」のである。
(坂元裕二はこの難しさを意図的に作り出しているように思う。そしてその塩梅が巧みだ。)

そして、登場人物たちの関係で中心にあるのが男子(あえてこう書く)小学生の二人、湊と依里だ。この二人の関係を描いたところが評価され「クィア・パルム賞」を受賞している。

クィア・パルム賞とは、カンヌ国際映画祭の独立賞のひとつで、「LGPTやクィアをテーマにした映画に与えられる」とのことだ。

この受賞によって二人は「性的マイノリティ」と思ってしまう。だからか、この映画の解説やレビューには、そのことを前提としたものが多い。

ただ率直に観た時、二人の関係は友愛に取れると思った。むしろ性愛的な表現は避けた、とも思った。

自分自身を振り返っても、特別仲の良い同性もいたが、互いに異性愛者であった。そもそもこの頃に抱く感情について、細かくラベリング出来ていないとも思う。幼馴染に対する好意は、先生に対する好意は、親戚に対する好意は、どれと言うことも出来ず、まるっと「好き」に包括されていた。

この映画がいう"怪物"とは、それぞれの立場から見た相手の評価にすぎない。それは一度認識すると、確証バイアスがかかり、どんどん怪物に見えてくる。
この映画がクィア・パルムとして評価されたことは、同様に二人を性的マイノリティに仕上げてしまってはいないだろうか。

愛とか、恋とか、今まではふわっとした正の感情だったものが、LGATQが広まったことによって、「この愛はどれか」に当てはめようとしてる気がしてならない。
(もちろん、広まったことによって、これまで無視されていたことが認識できるようになったことは良いことだと思う)

受賞したことによって、怪物が生まれる理由を補完してるとこも含めて、この映画はすごいなぁと感心した次第である。

文章:真央
編集:アカ ヨシロウ

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