見出し画像

がんばりの燃料を、次はどこから調達しようか

最近「がんばり」の総量が減っていて、それは老いや基礎体力のなさもあるし、忙しさからくる疲れもあるけれど、
ひとつは怒りという薪でくべてた火を起こせなくなったから、という結論を一つ見出している。

やわらかな性格で包んで見えないようにはしているものの、ふつふつと底に反骨精神を抱いている私は、
あらゆる理不尽に対して「勝ちたい」というよりは「負けてられない」の気持ちで対峙して乗り越える努力をしていた。
頑張らなきゃいけない、というか頑張らなきゃ死ぬ(あくまで主観)から頑張っていたわけで、それをどの物事にも適応していて、頑張ることが一つの大きなアイデンティティになっている。
頑張るが土台にあって、その区画の中でいかに楽しむかとか楽するか、とか考えている。

最近は人生全部の頑張りの理由がふわついているので立て直し期間としている。
養命酒を飲み始めたり、こまめに掃除をするように心がけたり、仕事も程々にしたり。休む練習もしている。

実家を出て、父親が亡くなって、そのあと面倒見ていた祖母も施設に入所して、母親は再婚して夫との二人暮らしを楽しんでいる。
ここ数年で、特に家族にまつわるいろんな鎖がほどけた。穏やかな日の方が多くなってきたら逆に不安になってきて、10月くらいから徐々にいろんな不調が出てきたりもした。その大きな課題が、頑張れない、だ。

頑張らなきゃいけない時に頑張れない辛さは、思っていたほど大きかった。全力で頑張ったけれど成せなかった、の方がマシだ、と私は感じた。

新しいモチベーションの作り方を考えないとだなあ。
自分のために頑張りたいし、何なら頑張るとかでなく、ただ「楽しむ」だけで人生に向き合いたいよ。

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?