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ぼっち飯はいつも私に新しい世界を見せてくれる

これといった趣味がない私が定期的にしている、ぼっち飯。
今は仕事で外回りもあり、イヤでも1人でランチを食べる機会は多くなったけれど、大学生の時から1人でご飯を食べる時間を大事にしている。
(グルメ、というわけでなく、なのでお店が詳しいとかではないけど。)

小さい時の外食はだいたい回転寿司か餃子の王将。中学生になって、ハンバーグメインのファミレスがルーティーンに追加された。その時の母はあまり冒険できない人だった。
私は幼いながら、「もう少しいろんなお店に行ってみたいのにつまんない」と思っていた。
高校生になってから行動範囲は広がったものの、お財布の寂しさを考えていつもマクドナルドかサイゼリヤに居座った。

高校を卒業した後に2年ほどフリーターのような期間を過ごしていた。バイト代もあって少し余裕が出たので、バイトの休憩時間とかを使ってどんどん1人でご飯に行くようになった。
自宅の食卓に絶対並ばないもの。並ぶけど、味も食感も作り方も違うもの。料理の種類ってこんなにあるんだと驚いた。
今まで名前しか知らない食べ物がたくさんあって、ようやくその味を知ることができた。

母が作るいろんな料理は、我が家という狭い世界にだけ広がる独自の文化だった。
そもそも、みんなに共通した「ふつう」の味や料理の状態ってあんまり無いのだろう、それに改めて気づいた。

たとえば、からあげ一つとっても、衣はサクサクかしっとりか、お肉はかためか柔らかめか、衣の味や食感、そして付け合わせやソース類…細かく言えばほんとにバラバラで。
言われてみれば当たり前だけど、でも、一個一個改めて拾うと感動する。
え、それとそれ、一緒に食べるんだ!とか、この食べ物ってこのソースかけてもいいんだ、とか。それを楽しめる自分がうれしく感じる。

誰かと来るご飯はどちらかというと、共に過ごす時間や会話が優先されるし、だから「わかる」ご飯屋さんに行きがち。
誰かと食卓を囲む素晴らしさもあるけれど、1人で食べたいものを選び、出てきたご飯に集中し、たまに考えごとをしながら、もくもくと食べるのも必要だと感じている。瞑想みたいなものかも。「行ってみよう」と新しい店にたくさん飛び込むことで「勇気ポイント」を少しずつためている、みたいな所もあったり。

私はまだまだ弱気で、冒険心がなくて、自分の世界に留まりがち。
だから、旅行にはなかなか出ないけど、外食を通じて、小さな旅を繰り返している。

私にとっての「おひとり様」は、ご自愛というより、自分の枠があることを教えて、たまに壊してもっと広げてくれるためにあるんだと思う。

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