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生きてしまってごめんねだけど


「あの子を生かしてやらん方が良かったな」と、最近の祖母は叔父と会うたびに繰り返しつぶやく。
そんなことを言い出す時はネガティブが際限なくなっている証拠だから、いったんお茶を飲んでもらったり寝てもらったりして無理やりリセットさせる。
なんだか適当にいなすみたいで申し訳ないなーとも思いつつ、とはいえ思想ぐるぐるタイムは基本いいことないので良しとする。


叔父はダウン症を持って生まれた。3歳の頃に心臓の手術が必要になったそうだが、祖母はギリギリまで迷ったらしい。
「ここまで手のかかる子になるなんてなあ」と、昔は笑って言っていたけれど、だんだんため息が混じるようになった。
「手術せえへんかったら、こんなしんどい思いしながら生き延びんでよかったやろうにな」と祖母は泣いて話すこともある。
やらない後悔よりやる後悔と一般的に言うけど、どっちもどっちだよな、と私は正直思う。

叔父は、兄である私の父にべったりだったらしい。
父の方も実家が大好きだったのか、亡くなる直前も祖母と叔父のことを気にかけていた。荒んでいた学生の頃の私は、祖母の面倒見れるんだったら養育費払えよ、とか心の中で思っていた。

できるなら、自分と叔父が二人暮らしの家に、私の父親が遊びに来て食卓を囲んでいた10年前に戻りたいと思っているだろう。私にはそれを一部でも守ってあげる力もなかった。父は突然倒れて亡くなり、祖母も叔父も介護できないからホームに入れて、住んでいた家は跡形もなく処分した。
情もそこまでないから頑張ってあげられなかった、というのが正しい。

それでも祖母は、迷惑かけてごめんね、と私に言う。奥さんに手間取らせて旦那さんにも悪い、とも。
「あの子が早めに居らんなってたら、私がさっさとアッチいっとったら苦労かけることないのになあ」と言われて、胸が詰まる。


私も、私がおらんかったらな、と思うことがもある。

異国生まれで、働くために日本に来てそのまま日本で結婚した母。その母が一度だけ、昔の恋人の話を聞かせてくれたことがある。
どんな人かは思い出せないけれど、すごく好きで、「その人と一緒にいるか、日本に来るか迷ったの」と話していた。
別の機会に、「ママは国に帰りたいと思わないの」と聞くと、「愛する子どもがココにいるから、日本でがんばってるの」と答えてくれた。

そういった話を聞きながら、そしてとにかくどうしようもない父親に困り果てたり、何も無い財布を嘆く母を見ながら、
「そもそも私が生まれなければ、母はさっさと故郷に帰って、異国で社会やパートナーに苦労かけられることなく一番好きな人と一緒にいれたのかもしれない」と時折考えるようになった。

客観的に考えて「そんなんどっちもどっちやろ」というのも重々わかっている。それでも私は母が痛がるたびに本当はその痛みを回避できたのではないかと自分の存在を恨んでしまっていたし、今でもたまに、考えてしまう。
父親からも疎まれていたのもあって、「自分はどっちかっていうと要らん方のひと」という気持ちは底の底に、みしみしとはびこっている。


叔父は偏食がひどいためかなり痩せていて、レディースのSサイズも入るくらいの小柄さ。ひ弱ゆえにちょっとした風邪でもかなり大ダメージになる。
そんなこんなで入院するハメになったのだけれど、こだわりやさんの特性が色濃く出て、水分すらまともに摂らない。今水分を摂らないとなると命の危機に関わる。
思っているより終わりが近いのかもしれない。そういやお墓の話進んでないな、と思い出す。

入院に必要な書類を、説明を受けながらどんどん書き進める。
「延命処置に対してご家族の希望はどうでしょう」と看護師に尋ねられ、迷わず「希望しません」と答えてしまった。
手続きの後、どっと疲れてお腹が減っているはずなのに、喉に天ぷらが引っかかるようで食べにくかった。

嫌がるところに無理やり医療行為するのはご本人の意思尊重になりませんからね、とお医者さんは話していた。
確かにそうだ、そうなんだが、そこに本人の意思はあるのだろうか。私にはどちらにも言い切る強さがない。

弱っているところに頑張って医療の手を加えても、ご本人の苦しみが延びるだけかもしれないですしね、とも言われた。
それも本当にそうだと思うけれど、じゃあそもそも生きるってなんだろうかと考え込んでしまう。
生きるだけで、大なり小なり苦しみはある、苦しみがある以上に生きることの価値は、あるはずだけど、だけど…どう話しても言葉が滑っていくような感覚に陥る。


ジュースを飲みたがる叔父をなだめる。ただ、がんばってね、とだけ声をかける。

いらない人間なんていないのだと、
迷惑の有無にかかわらず生きることそのものが価値高いのだと、
痛みを持ちながらでも、ながらえることがより良いのだと、
私はどちらかというとなるべくそう思うようにしたい。
でもそんなことをまっすぐ言うにもふわふわしていて、実体に伴えていなくて、自信がない。だからそのための言葉を、生きている間にちゃんと探し続けて、わたしが言える言葉で紡ぎたい。

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