見出し画像

名前の魔力


子どもを産むことを遠慮している理由の一つに、「名付け」がある。
名前を与える、ということはそれだけで主従関係が生まれるように感じて、私は自分にその権力を発生させることがとにかく怖い。
私は他人が他人であるから、その人が自由にのびのび生きることに喜びを感じられるのだと思う。

私が子を産めば、子を所有した気持ちになるだろう。激しく教育熱心な毒親か、半端なくネグレクトになるだろう。私の所有欲はおそろしい。
事実私は、同じ名と血を引き継ぐ人間、この世の中では実の兄弟や母に対してしか抱いたことのない、ひどすぎる感情を秘めている。


名字をあえていろんな場で使い分けている。それは、私の存在をふわふわさせたいから。
寿司屋の予約は松川、マッサージ屋のポイントカードは和泉、カメラの修理の引き取りはジェーン。

父の名前に支配されないように、夫の名前に飲まれないように、国語にとらわれないように。迷惑をかけず法に触れない程度に、文面上の存在をブレさせている。そうなると自分でも「この場合はどの名前でやってたっけな」とブレてきて、面白さが増す。


私を私たらしめる確固たるものはない。立ち現れても、その瞬間に揺らしたくなる。
あらゆる名前をつけては剥がして、たくさん抱えては捨てて、そのまま最後は何もない私として終わりを迎える。

この記事が参加している募集

今日の振り返り

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?