トラウマと向き合ってみようかと思います
noteをちゃんとやってみよう!と思ったのは過去に2回。
1回目は、保活した自身の情報が他の人の役に立てばと書き始めた時。
(結構頑張って書いたけど、3/4まで書いて続けられず今は削除済み)
そして、2回目は唯一の投稿だった「はじめまして」の記事を書いた時。
1回目の保活情報を書きはじめた時は、単純に続かなかった。
仕事しながら育児と家事をして、noteを書くという余裕が一切無かった。
やってみたくてやってみたものの、途中で止まってしまい、そして時が経った。
時が経てば、自治体の制度は変わるし、古い知識など有意義な情報にはならない。と、自分自身がママなのでわかっている。ので、結果そのままになってしまった。今は削除済み。
そして、2回目は個人事業主になってしばらくしてから。
ふと思い出したの。
わたし、ダイヤルアップで課金される時代からインターネット触り始めて、ホームページ作っては右から左に文字流したり(古っw ダサっw)、チャットで知らない人と会話したり、ブログが流行ればブログをして、2chも怖々覗いたり少し投稿なんかしちゃって、mixiをやったり、日本で流行る前からFacebookしたり、今もメインのSNSのアカウントは大体持ってて、そういうの好きでやってたじゃんって。
でも、私30半ばにしてトラウマが生まれた。
以前勤めてた会社で、自分の部を広報するために社内向けブログを始めたのだけど、記事公開の責任者に「文章がつまらない」ってさんざん言われた。その人の直しがたくさん入り、何も好きに書かしてもらえなかった。
また、仕事の議論の際も、「話をややこしくするな」「簡潔に話せ」「論点を増やすな」って言われて、自分にとっては重要な点も粗末なものと判断されたり、今は話すタイミングではないと不要とされた。
それ以降、自分が話して相手の頭の上に?が浮かんでそうだったり、眉間に皺が寄ったり、少しイライラする様子が見えてくると、「私またやってしまったんだ」と思い、その場から逃げ出したくてたまらなくなる。
なので、こうしてインターネット上で文章を書くのは結構なトラウマになっている。私にとっては分かりやすくても、他人にとっては「つまらない」か「分かりにくい」。今更、執筆のプロになりたいわけでもないし、トラウマに向き合う気力もない。意味わからないとか、わかりにくいとか、つまらないとかコメント付いてまた傷つく元気も一切ない。
そもそも。別に誰も、見知らぬ人の「つまらない」上に「分かりにくい」noteになんか、全く興味もないだろうし、再び始めようと思ったけど…やっぱやめよう!
てな感じで、私はnoteを放置した。
では、なぜこれを書いているのか。
やっぱり、私ちょっとやりたいなって。
私のことをしらないネットの世界に好きに自分の思ったこと勝手に書くことを。昔を思い返せば、自分の生活には必ずこういった場所があった。
娘ももう小3。フルタイムで働かなくなって、自分の時間も増えた。
少し勇気を振り絞って、別にコメントも無視して、自分の好きにしてみたらいいかなって。
それこそ自分が思ったんじゃん?「誰も別に見知らぬ人のつまらなくて分かりにくいnoteなんかに興味もないだろうし」って。
読む人なんかいなくても、好きに書いてたらいいじゃんって。
世の中SNS時代、反応されてなんぼみたいになってて、そんなの別にって思ってたのに、自分も毒されてた。
ので、気ままに始めます!
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