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母の最期の時

母の一周忌を過ぎて、1週間になる。

9月22日は父の命日。
9月26日は母の命日。
さほど、仲が特別良い夫婦だったわけではないが、
いつも、一緒に居た二人だったのかもしれない。

私は父の最後の時には立ち会えなかったが、母の最期の時には間に合った。
2019年9月26日、木曜日。朝、仕事場に向かった。
母が9月22日に個室に移ってからは、携帯電話をバイブではなく音が鳴るように設定していた。
午前10時すぎに携帯のベルがけたたましく鳴った。
病院からだった、母の状態が急変したという。
看護師さんは姉に電話したがつながらず、私に電話したという。
すぐに姉に電話した。

職場から自宅に戻り、自宅すぐ傍に住む姉を迎えに行った。
姉は、なぜ病院は妹に電話して自分にかけてこないのか、、、
着歴が病院からないことに拘り、
「行かない」と言い始めた。
こだわっている場合ではない。
私は姉を置いて、一人車で病院に向かった。

私は10年前にプロテスタントからカトリックに改宗した。
プロテスタントとカトリックの大きな違いは2つある。
そのうちのひとつは、聖母マリアに対するものだ。
カトリックには、聖母マリアへの祈りがある。

プロテスタントではマリアへの信仰は偶像礼拝にあたるとみなされる。
カトリックに改宗したからといって、20歳前に教えられた教義はなかなか拭い去れない。

しかし、そんなことを言っている場合ではなかった。
父の最後の時は、夜中であったため、主人が車を運転してくれた。
主人と話すことで気をまぎらせた。
しかし、今一人で車を走らせている。
混乱している。 事故を起こしてしまう恐れを感じながら走る。
呼吸が荒くなるのを感じた。

アベマリア、恵みに満ちた方
主はあなたと共に居られます
あなたは女の内で祝福され
ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母、聖マリア
私達罪人の為に
今も 死を迎える時も
お祈り下さい。

いつも、この祈りを唱えると、ひっかかるものがあった。
しかし、そんなことを言っている場合ではなかった。

がーん、と頭をぶつけて、
はー、痛い
でも、頭から血も出ていない
頭はじんじんしているが 無事に生きている

そんな感覚で唱えた。
声に出して。
自分の声が、だんだんと淡々としてきた。
自分の息が、だんだんと深々としてきた。

病院に無事に着いた。
物凄いスピードで、何度も通った病室にまで駆け上がった。
母を見て、涙が噴き出た。

母の口は半開きとなり、
舌先が紫に腫れふくらみ葡萄の実のようになっていた。
目はどこか彼方を見ていた。

足はむくみ、紫になっていた。
父の最後の姿とは違っていた。
なぜ、こんなにも、紫になってしまったのか。。。
悔しかった。

呼吸が荒く、苦しそうにしていた。
酸素マスクをつけて欲しいと伝えると、
看護師は医師に確認を取りに行った。
応えは、「NO]だった。

その理由は、延命をしないことを希望しているからだ、と言われた。
酸素マスクは延命ではない。
父も112歳の義理の祖母も最後は酸素マスクをつけた。
呼吸が楽になるからだ。

悔しい。
胃ろうをしないと決断してから、医師は母を全く見ようとしない。
母もそれはわかったいたようだ。

母が居た病院は夕方に、脳外科の主任医師が4、5人の若手を連れて
大名行列のような回診をする。
母は特別室に移されるまで、多少の会話が出来た。
看護師さんに呼べれると、返事をし、自分の名前を応えていた。

しかし、ある日の夕方、主任医師が、母の姓を呼んでも応えなかった。
医師団が病室を去ると、母はすこしろれつの回らないしゃべりで
「生きてますよぉ」
と、にやりと笑いながら言った。

医師は、母の下が紫色になり、喘いでいるにも関わらず、
病室に入ろうとはせず、ナースステーションのモニターで
病室の母を見ている。
私は腹がたった。

しかし、ここで怒っても仕方がない。
ただ、看護師に言った。
「酸素マスクは延命処置ではないはずです。
112歳の祖母、父の最後も酸素マスクをつけてもらいました。
私は人口呼吸器をつけて欲しいと言っているのではないです。」
看護師は慌てて、すぐ病室の脇のナースステーションに居る医師の所へ
戻った。

看護師は医師の答えを持ってきた。
酸素マスクをつけると余計に苦しくなる場合があるから、、、と言った。
そんなことは無いと思ったが、もう、仕方がない。

私は覚悟を決めた。

母の手を握り、母の息に寄り添った。
死のラマーズ法だ。

人が生まれる時に寄り添うのは、助産師。
そして、
人が死ぬ時に寄り添うのは、助死師。(私的造語)

命はひとりで生まれ、ひとりで死んでゆく。
しかし、誰かが傍に居て、
生まれていいよ、
死んでいいよ、
大丈夫、と
背中を押してもらいたい。

それを、愛する猫の最後、112歳の祖母、父の最後の時に実感した。
今、まさに母に必要なのは酸素ボンベではない、私の手だ。

母と息を合わせる、そして、母の手を撫でる
不思議なことに母の息が落ち着いた
そして、息が細く、細く、弱くなった

時々、息が止まるようになる
息が聞こえなくなる
母の口に私の耳を当てる
息が細く、戻る

何度かそれを繰り返す。
姉が、病室に着いた。
姉は自分の娘に叱咤され、病院に来た。
間に合った。
しかし、どうしてもトイレに行きたいと言って、トイレに入った。

その瞬間
母の息が急に深くなり、ガッと息を吐いた。

姉がトイレで用を足した瞬間に
母は天に旅立った。


その後、すぐに隣で控えていた医師が
死亡確認をするために病室に入ってきた。
私は、トイレに入り用を足し、
彼が死亡時刻を告げている場に立ち会わなかった。
それが、私の医師に対する意思表示だった。

それから、
私と姉は母の体を拭き、化粧をした。
母の顔は紫から普段の肌色に戻っていた。
不思議だった。
母の肌は92歳とは思えぬほど美しかった。
自慢の白さだった。

生まれたばかりの赤子に産着をきせるような
なんともいえぬ、癒しの時間であった。

病室に母を担当していた看護師が挨拶に来てくれた。
それは、さきほど私がナースステーションに
母が育てた葡萄を届けたお礼もあった。
母は看護師さんからお礼を言われると微笑んだ。

本当に、微笑んだのだ。
しかも、それは、してやったり、の笑顔だ。
母が医師団に「生きてますよぉ」と言った時の笑顔と同じだ。
蛹から蝶として旅立った笑顔だった。

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母は父が旅立ってから3年と4日遅れて旅立った。
「ずいぶんと、遅かったでん。」と
父に言われていたであろう。

楽しく二人で食事をしているだろうか?
いつの日か、私も、天の食卓に招かれる日が来る。
それまで、二人で仲良くね。。。

#母の最期 #母 #助死師 #助産師 #エッセイ #マインドフルネス

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