ポンコツPC脳の活用意義? -気絶経験8回の女 ( ・`д・´)ドヤッ 後編-
気絶とシャットダウン
前回(中編)の最後に書いた「気絶はPCのシャットダウンに似ている」ということ。
これは、ここまで前編中編と書いてきた何度かの気絶から、身をもって私が実感したことだ。
何らかの不具合によって、信号が遮断される。
そして、自動で再起動がかかる。
黒いモニターを前に、PCのウィーン、カチ、ティティティティ…みたいな音が聞こえ始めるように、脳が少しずついろんな感覚へ神経を張り巡らせ直していく。
最初はまぶたがうっすら開く。
ぼんやりとした色の世界。
少しずつ画像として認識されていく目からの情報。
そして、音。
ただの音がだんだんと言葉になり、意味をなす。
音、映像の情報から、自分が置かれている状況を把握すると、ようやく体の痛覚や吐き気などの違和感も返ってきて、しっかり再起動が終了する。
7回目は…ショック?
私は妊娠した。
無排卵月経やホルモンのアンバランスのため、婦人科へ定期受診を始めて3か月ぐらいの頃、漢方を飲んで、まぁ気長に半年ぐらい続けてみようね、と言われていて、妊娠できるとも思っていない時期に、妊娠した。
妊娠したい、と思っていないタイミングで、妊娠した。
当時の私の職場は、体制的にも時期的にも多忙な時期だったこともあり、突然伝えられた上司や同僚の衝撃は、私へ返してくれる優しい言葉の影で、私が想像するよりも、もっと大きかったはずだが、当の本人である私自身が、実は一番、突然の衝撃を受けていた。
妊娠が分かった日の仕事からの帰り道。
「今日は電車が混まないうちに帰ったら?」と優しい上司が声をかけてくれて、座れはしないまでも、いつもギューギューになって立っている電車に、私はゆったりと立っていた。
「次は二子玉川~、二子玉川にとまりま~す」
そんなアナウンスがかかるころ、ふと立っている目の前に座っている女性のカバンが目に留まった。
カバンの持ち手の付け根に「お腹に赤ちゃんがいます」のストラップがついていた。
あ、そういえば、私、妊娠したんだ…
私にも、私のお腹にも、赤ちゃんがいるのか…
私的には、ただそれを、その事実を思い出しただけのつもりだった。
そして、同じ妊婦同士なんだな…と、ちょっと微笑むぐらいの気持ちすら持って穏やかにいたつもりだった。
しかし。
私の体は、だんだんとクラクラモヤモヤし始めた。
二子玉川で降りようとする人が立ちあがり始め、空いた席に、とりあえず座る。
座って深呼吸をする。
一向に吐き気や目の前のチカチカモヤモヤは治まらない。
だめだ、一度電車を降りよう。
のぼせているのかもしれない。
外の空気を吸えば、治るだろう…
いったん二子玉川で降りようと、電車のドアの前まで進んだ。
降りなくちゃ…
…
次に気が付いたときには、私はホームに倒れている状態だった。
周りにいた会社員の方や、女性、駅員さんに、
「大丈夫ですか?!」とか「今担架持ってきてますから!」
と声をかけられていた。
「私…妊娠してて…それで…」
たぶん、そんなような、駅員さんにしてみれば、意味のわからないことを伝えたような気がする。
そのまま、救急車を呼ばれて、私は近くの時間外の救急診療にお世話になった。
朝の定期受診で妊娠が発覚してから、忙しい仕事に没頭し、頭を空っぽにしていたが、その驚きを、きっと自分で隠し通せなかったのだろう。
もちろん妊娠しているということで、体の変化と、それまでの疲れなどもあったり、電車の中の熱気などでのぼせたりした、という要素も、少なからずはあったと思う。
しかし、引き金になったのは、妊婦さんのあのストラップを見てからだ。
明らかに、私はショックを受けたことを思い出して、気絶してしまったのだろう。
情けないような、なんとも言えない気絶であった。
一番謎の8回目「私が誰だかわからない」
痛みに弱い私が出産できたのか?と疑問も持った方もいらっしゃるかもしれない。
私は、予定日になっても陣痛が来なかったので、促進剤を打った。
その途中で破水して、促進剤による陣痛と自分自身の陣痛という二重の長い陣痛に襲われることとなり、胎児の負担が大きいということで、緊急帝王切開へ。
全身麻酔の中、産声を聞くこともなく出産となった。
そんな出産ではあったが、おかげさまで、今では娘も小学校高学年、すくすく元気に育ってくれた。
そんな家族で過ごしていたあるとき、8回目の気絶はやってきた。
私は家族としゃべりながら、耳かきをしていた。
慣れた手つきで、右手でサクサクっとやっていたのだが、何の拍子か、耳かきのホワホワがついた側が、左手の服の袖に入り込んでしまったらしく、左手に押される形で、私は耳かきをグサッと耳に押し込む形になってしまった。
「いたっ…痛い痛い…あ、気持ち悪い…やばい…」
騒いで、わーわーその場で動き回って、とりあえずクッションを枕に、横になった。
(横になれればこっちのもの…脳貧血にはならない…)
しばらくすると、めまいも吐き気も治まった。
「はー、焦った!」
「なにやってんの、気を付けなよ…」
旦那さんにそう言われて、テヘとばかりに笑いながら起き上がった私は、あるものに気づいた。
クッションの真ん中が、真っ赤になっていた。
え?
そんなに血出てたの?!
耳に刺さったといっても、ちょっと耳かきしていて、奥のほうの耳の壁にあたっちゃって、痛い!っていうぐらいの感じだと思っていた私は、血が出るほどの事態だったということに、ようやく気付いた。
「え?耳どうなってる?まだ血、出てる?ちょっと見てー」
そういって、食卓にいた旦那さんのところへいき、椅子に座って耳を上に向けた。
「えー、ライトないと見えないよ…周りには血ついてるけど…ちょっとまって、あ、もうちょっと頭こっち向けてよ…」
「あー、だめだ、また気持ち悪くなってきた…」
例のごとく、私はまた食卓と椅子からずり落ちた(らしい)。
いつもと違ったのは、ここからだ。
いつもは、意識が戻るまでは、真っ暗だ、無だ。
ノンレム睡眠というか、全く何もない世界にいるはずだ。
なのに、このときは違った。
私は夢みたいなものを見ていた。
旦那さんが、私の名前を呼んで、意識を呼び戻してくれていたその頃、
たぶん何か夢を見ていたような気がする。
そして、真っ暗な頭の中の画面に、たくさんの苗字が漢字となって、赤い文字で中心から湧き上がってきて、
「わからない…私が誰か、名前、名前がわからないーーーー!」
その自分の声で、意識を取り戻したのだ。
なぜそんなことが起こったのか、全然わからないし、意識が戻ったとき、私は私が誰かはすぐわかったけれど。
ちょっとだけ「私、こわ…」と感じた。
ドラマで、記憶喪失になってしまった人が、ちょっとした記憶が戻りそうなときに、頭を抱えて「わーー!」と叫んでいるシーン、その気持ちが、なんとなくわかった気がした。
そして、自分で耳かき中に耳を刺してしまったドジをきっかけに、記憶喪失になる、なんていうことにならなくて、本当によかった…と感じた。
* * *
全編、中編、そしてこの後編と。
私の、生まれてから今までの8回の気絶を話してきた。
自分で振り返っても、なんとも苦笑いの経験でしかない。
これをどう活かせばいいのかもわからない。
でも、気絶を8回も経験してきた人は、そうそういないのではないか、と、ちょっとだけ自負している自分もいる。
とりあえず、このnoteのネタにはなったのかな、と思うと、そんなに悪くない気がしてきた。
7回目の妊娠した日の気絶の話や、今までの気絶が多い私のことは知っていた旦那さんも、私が目の前で初めて気絶したので驚いていたが、一度経験してもらえて、よかったかもしれない。
9回目、10回目は起こらないでほしいと思いつつも、そんな危険を秘めた自分のスリルある人生、これからも続けていこうと思う。
サポートしていただける、というありがたみ、深く心に刻みます。 子どもに繋いでいけるよう、子どもにいろんな本を買わせていただくのに役立てようと思います。