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学校という場所

教師になって、退職後も現在支援員として学校で働く私ですが
思い返せば学校という場所自体は好きではなかった。

仕事中にふとそんなことを思い出した。

それなのになぜ教師になったのだろう。不思議。

思い出したきっかけは仕事中の先生の指導。

「話は1回で聞き取る」
「先生に言われていないことはしない」
「話が終わるまで姿勢を崩さない」

頭が多動な私はこれが本当に苦手だった。

興味の沸かないことはまったく頭に入らないし
話の途中に連想ゲームで違う思考をしてしまう。

それを叱られたところで、集中は続かない。

だって面白くないんだもん…

そんな考えが態度にも出る。
当然大人は怒る。
自己中なガキンチョでした。

本当に子どもたちはすごい。
一日中これに耐えているんだよ。

いや、私が勝手に自分のトラウマを引き出しているだけで

まったく苦痛じゃなかったり
ちゃんと目的意識をもって学校生活に臨んでいる子もいるだろうけど。

これなんの時間?っていうのに耐える日々だったな。

だから、どうしても子ども側の目線になってしまう。
もちろん授業を妨害することは許されないことだけど
子どもの問題行動には何かしらの理由があるんだよ。

これからの世の中をつくるのは子どもたちだから、
知らないことを考えること、知ることが楽しい!ってことを知ってほしい。
もっと物を考えて話し合って、作り出すことのできる場所が学校であってほしい。

意味のわからない時間に耐える忍耐力や
先生に怒られる恐怖心からの集中力

なんか違うと思うんだよ。

学校にいると悲しくなってくる。
だけど子どもたちと過ごしていたい。

難しいです。


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