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ネイビーのフラットシューズと自己肯定感

お風呂で髪を洗いながら、息子にとっていいことってどんなことなんだろう、とぐるぐる考えていた。

たとえばお絵かきをしているとき、まるいかたちはこうかくよとか、まるをかいてみようとか、教えたらきっとかけるようになる。だけど、まるいかたちをかいてみたいな、って息子が自分でおもったときにかけるのが一番いいような気がしている。でも、そのためにはまる、というかたちに出会わなければならないし、もしかしたら「まるってかけるんだよ」って大人が見せることも必要なのかもしれない。どこまで大人が入っていってよいのか、悩むところだ。

息子にはできるだけ"こうでなければならない"ということに囚われすぎず、自分の好きなことをのびのびやってほしいな、という思いがある。もちろん、マナーや思いやりは前提として。そしてそのためには、自分に自信をもてることが大切だと思う。

じゃあ自分に自信がもてるときってどんなときかな、とさらに考えてみて、"好きなことや好きなもの、やりたいことが見つかったとき"ってすごく自分が強くなったような気がするなあ、と思った。


私は思春期を迎えたあたりから、とにかく自分に自信がなくて、人からどう見られているかとか、自分の立ち位置とかが気になる子どもだった。その思考回路が染みついていて、今でも油断するとその思考に陥りそうになるくらいだ。

中学生の頃、明日は学校指定のかばんでも手提げでもどちらでもよいと言われて、本気でどちらにしたらよいかわからなくて、友達にどうするつもりかしつこく聞いて嫌がられたくらい、とにかく変に見られたくない、という気持ちが強かった。着ている服のことも常に気になって、電車のホームでも道を歩いていても、「あの子の服、変ね。」という目で見られている気がしていた。今考えると普通じゃない。思春期ってそんなものなのかもしれないけれど、どうなのだろう。

そんな私が心から好き!と思えるものに出会ったのは、15歳の冬だった。人生を変えるような出会いじゃなくて、本当に些細な出来事なのだけれど、すごく記憶に残っている。

それは、通っていた塾の最寄りの駅のショッピングモールで売っていた、ネイビーの、フェルトの、太めのストラップがついた、ころんとした形のフラットシューズだった。

当時はギャル文化真っ盛り。私が行ける範囲の靴屋さんでは、厚底の靴ばかりが並んでいた。夏は厚底サンダル、冬は厚底ブーツ。靴下といえばルーズソックス。ルーズソックスははずせなかったけれど、雑誌オリーブを愛読していた私は、どうしても厚底ではなくてフラットな靴が欲しいと思っていた。でも、どの店にもオリーブに載っているみたいなかわいい靴はない。

そんなある日、たぶん塾に行く前にふらっと入った靴屋さんに、その靴はあった。お正月のお年玉で、迷わず買った。

その靴を履いているとき、みんなに何て思われるかな、なんて思わなかった。私が好きだから買った靴。自信満々で、見せびらかしたい気持ちだった。友達にもほめられて嬉しかった。


自分の人生を、自分をあきらめない力。自分に自信をもてること。それが自己肯定感だとすると、あのとき買った靴は私の自己肯定感を地下の駐車場から明るいカフェのテラスまで引き上げてくれた。長い思春期の間、同じように好きなもの、好きなこと、やりたいことに出会ったとき、自分が輝いている気がして自信をもてた。大小様々のそんなものたちが、私をここまで生かしてくれている。

自分に自信をもって。

やればできるよ。

大丈夫。

そんな言葉が響くこともあれば、そう言われてもなあ、と響かないこともある。

息子はもちろん、誰かが自分に自信がもてないでいるのかな、と感じたとき、好きなものは何?それ、すごくいいね!っていう話ができるひとになりたい。


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