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いーらい、のナゾが解けたとき カンボジアの暮らし方6

カンボジアで暮らし始めたばかりの頃のこと。"ネアックルー"(先生)と呼ばれるお仕事をしていた職場である日、

「ネアックルー、いーらい?」

と聞かれた。


"いーらい"ってなんだ!?

まだクメール語も聞き取れないことが多かったけれど、初めて聞く言葉だった。

いーらい?とはてないっぱいの顔をする私に、周りにいた人たちが

「いんぐりっ」

と言う。English。

映画で"いーらい"なんてあったっけ、とさらにはてな。

すると誰かが、今度はクメール語で

「ニャムバーイ」

と言った。

"ニャムバーイ"は、カンボジアで挨拶がわりによく使われる言葉で、"ごはん食べた?"という意味だ。"ニャム"は食べる。"バーイ"はごはん。

あっ、わかったー!

"バーイ"は日本語のごはんと使い方がまったく同じで、"米"という意味もある。

"いーらい"は、"いー"=eat、"らい"=rice で、ごはん食べた?ということだったのだ。クメール語は最後につくsやtを口の中で言うので、英語でもその発音をする人が結構いる。だから"eat rice"が"いーらい"になったのだった。めちゃめちゃすっきりしたのと、あまりにも直訳すぎて笑ってしまった。もしかしたら、そういうジョークだったのかもしれない。


それはジョークだったかもしれないにせよ、カンボジアでは"英語が話せる"のレベルが日本に比べて低い。英語を話すこと、間違うことへの抵抗があまりないのだ。ぺらぺらに英語を話せる人がもたくさんいるのだけれど、中には「英語話せるよ!」と自信をもって言っていても"she"と"he"を取り違えていたりする人もいる。でも、普通に話しているし、言いたいことは伝わる。

私は普段、「英語話せる?」と聞かれたら迷わず「全然できません!」と答えるレベルの英語力だけれど、彼らを見ていたら「あ、それなら私も英語話せます。」と思えた。そしてそう思うと自信がついて、クメール語で伝わらなかったら英語で話したりする。そうしているうちに、以前よりもずっと、構えず自然に英語で話すことができるようになった。


"英語が話せない"と思う大きな理由のひとつが、"間違えたら恥ずかしい"ということ。日本では、ネイティブ並みにぺらぺらと話せる人だけが"英語を話せる"と言ってよい、みたいなところがある。そこまでぺらぺらじゃない場合、"少しなら…"とつけなければ安心できない。

その謙虚さがよい場合もあって、病院で働いている人に「◯◯人はわかっていないのにわかっているように聞いていて、実際はわかっていなくて困る。日本人は英語わかりません、と言ってくれるからその方が助かる。」と聞いたことがある。

でも、専門用語のない日常会話では、たぶん、だいたいの場合、伝わればよいのだ。私だったら、日本にいる外国の人が間違った日本語を使っていたからって、あの人恥ずかしい、とはならない。むしろ、一生懸命日本語で伝えようとしてくれてありがとう、と思う。世界は広いから、中にはその国の言葉が上手に話せないことをばかにする人はいるだろうけれど、その可能性のために自信をなくして"できない"と思ってしまうのはもったいない。その思い込みをなくすだけで、何倍も話せるようになるのにな、と思うのだ。


そんなことを書きながら、すっかりクメール語も英語も話すことのない生活に浸っている私は、どんどん外国語への感度が下がってしまっている。海外旅行にすら行けないご時世、クメール語でも英語でもいいから外国の人と話してみたいな、という欲求に駆られている。


"she"と"he"を間違っていた彼はカンボジアの人には珍しいちょっといけすかないやつで、何度もけんかしたのはここだけの話。けんかだと英語がするすると出てくるのが不思議。





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