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ちはやふる45巻~桜と梅と。女性の友情と人生と。

いつものことですが、読んだ人向け。

序歌を読む時「本当は梅の花だとわかっていても、桜を心の中に咲かせてしまう」今日子さん。それを「見えるもん」と言う九頭竜さん。42巻で周防さんも、今日子さんが桜を好きなことに気づいていたけど、和歌を詠む声音でそれを察するって、なんてハイレベルの受信なんだろう。

42巻で周防さんが今日子さんに差し出すのは、伊勢大輔のカクテル。

~きょうここのえに においぬるかな

今日子の音が入っていて、八重桜を詠んだこの歌はキョコタンの歌。

「そしてどんな娯楽でもなく、私には桜なの」

今日子さんの好きな『桜』は『カルタ』でもある。

九頭竜さんから見て「桜の花」「スター」な今日子さん。その彼女から言われた「読みが好き」という特別な言葉で続けた40年。

今日子さんはというと、九頭竜さんが何度カルタをやめようとしても、「戻ってきて」と引き留める。「桜の下でだけ、本当の息が出来る」とナイーブな表現する今日子さんは、トップを走る人ならではの孤独を感じてたのかもしれない。詩暢ちゃんのような。言い換えれば(カルタをしてるときだけ、本当の自分になれた)のかも。その今日子さんが九頭竜さんを特別に想っている。

夫の介護でカルタから離れることを余儀なくされた九頭竜さん。

出産、育児で休まざるをえない猪熊さん。

猪熊さんにも「戻ってきてね」と今日子さんは声をかけてたっけ。

女性は、好きなことを思いっきりやる、続けることが憚れる時がある。

仕事、家事、育児、やらなければならないことがたくさんあって、(人並みにやれてる)(自分にご褒美)なんて言い訳を用意しながら、やっと、やりたいことをやる。

だからといって犠牲になってる、と被害者ぶるのもちょっと違って、全部「やりたいこと」ではあるんだな。それぞれに全集中出来ないのが口惜しいだけで、やりたくないわけではない。自分が三人いたら、なんて思う。

そのバランスの難しい女性の人生で、カルタから一旦離れてても引き戻す、今日子さんと九頭竜さんの女同士の友情。それは未来の千早と詩暢ちゃんも「かくあれ」と思わせる。

九頭竜さんが読み始めると舞う、梅の花。

その梅の花のイメージは、詩暢ちゃんに引き継がれる。詩暢ちゃんの祖母の想いをのせて。「梅は百花の魁」だれよりも早く咲いて。

九頭竜さんが「梅」で今日子さんが「桜」

じゃあ、詩暢ちゃんが「梅」なら千早は「桜」なのか?いやいや、千早は「紅葉」だったね。「春」と「秋」、個性は真逆ながら甲乙付けがたいその勝負。

さて、伊勢大輔の『いにしへの 奈良の都の 八重桜~』の歌は、紫式部から晴れ舞台を譲られた時の歌だとか。

そのエピソードは奏ちゃんと田丸さんの姿にも重なる。後輩に経験を積ませる為に役を譲る先輩。そんな女同士の関係も貴重。

また、大盤係は田丸さんに譲ったものの、幸運をためるべく靴を揃える奏ちゃん。千早のためにできることは全部やる、世話女房ぶりにもらい泣きします。もはや熟年夫婦のような友情!

「友達がいないと続かない」とは、チームちはやふるの三人が小学生だったころの原田先生の言葉。

千早、新、太一の三人も、カルタを辞めそうになった時、お互いに引き戻しあいながらここまで来た。

そんな関係に、千早と詩暢がこれから先なれるか?という友情のスタート地点が、このクイーン戦なのかもしれない。

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