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大切な人への「ありがとう」と「おめでとう」

今週は主役不在の息子くんのお誕生日がありました。

昨年までのお誕生日は
何より一ヶ月ほど前からプレゼントを考えて。
一週間ほど前からお祝いご飯を考えて。
数日前には誕生日ケーキに描いてもらうイラストを考えて。
当日は息子くんが喜ぶ様子を想像し、わくわくしながらご飯を作る。

私が初めて家族と離れて誕生日を過ごしたのは、中学生の時。
当時私は腎臓の小児難病で入院中。クリスマスもお正月もお誕生日も病室のベットの上。
同室の子が一時帰宅する中、原因不明の病気への不安。薬の副作用からくる精神的な不調も重なり「なんで私がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ」と落ち込んでいた私に、母と祖母がスカートをプレゼントしてくれました。
以前、私が「こんなスカートが欲しいなぁ」と話していたのを、ちゃんと覚えて買って来てくれたプレゼント。
そんなことは分かっていた。。。二人の私を想う気持ちだってちゃんと分かっていた。。。

ラッピングからスカートを出して泣き出した私。
「こんなもん欲しくない!こんなんもらってもどこにはいて行くんだ!家にだって帰れないのに!友達とだって遊べないのに!!こんなんもらっても全然嬉しくなんてない!!」と大泣き。
そんな私に母はただただ「ごめんね。そうだね。かこちゃんの気持ちわからなくてごめんね」と何度も謝って。
それでも、それにまで食ってかかって、
「謝られたい訳じゃない!そんなこと言って欲しい訳じゃない!」

今でも、あの時素直に「ありがとう」と言わなかったことに後悔している。
あんなひどいことを何で言っちゃったんだろう。ずっとずっと後悔していた。

大人になって、当時の自分を振り返る。
自分のやりきれない気持ちを八つ当たりして、親にぶつけていたことがよく分かる。当時の母は、そんな私をよく分かってくれていた。文句も言わず私の気持ちを受け止め「ごめんね」と言ってくれた母の懐の深さ。

苦い誕生日の思い出と『母の愛』

今週あった息子くんの誕生日当日。
午後仕事を休んで息子くんが生活している高校の寮に、プレゼントとバースデイカードを届ける。
誕生日当日に行ったからといっても、息子くんに会える訳ではないし、当然話も全くできないのは分かっていた。
それでも、親元を離れて過ごす誕生日だからこそ、もしかしたら淋しい思いを感じるかもしれないと思えば、当日届けてやりかった。

夜、何気なく友達とこの話題に。彼女から
「会えんけど届けるって母の愛を感じる。想像で泣ける!きっと息子くんも布団の中で泣くわ」と返事が来る。
何気なく動いた行動を褒めてくれた親友。
私も母のように大きな『母の愛』で、息子くんの子育てができているのかもしれない!自分の子育てに自信を持っても良いのかもしれない!と一人にやけた。

二人の息子くん達は、この春からそれぞれ自宅から離れて生活をしている。
3月末の長男くんの引っ越しから二人は会っていない。
元々、小さい頃から仲良しではなかった息子くん達きょうだい。
全くの正反対のタイプの二人は、この春まで子ども部屋で一緒に生活していた。小さなことでもめることは小さい頃から多々あったが、不思議と「別の部屋にして」と訴えて来たことがどちらからもなかった。

誕生日の夜長男くんに電話をした。
「今日は○○の誕生日だよ。メッセージ送ってやってよ」と伝える。
「もう昨日(深夜12時過ぎて)バイトから帰って寝る前に送ってるよ」
「え!!?覚えてたの!!しかもメッセージ送ってくれてたの!!」と心から驚いた。
二人を仲の良いきょうだいに、育ててやれなかった自分の子育てにずっと後悔していた。でもそう決めつけていたのは私だったのかもしれない。

お祝いの日に「おめでとう」と伝えられるきょうだい。
感動した。心から嬉しかった。
なかなかやるじゃん!!息子くん!
「ありがとね。○○も喜んでると思うよ」と目を細めながら電話を切った。

また1つお兄さんになった息子くん。
あなたが産まれて来てくれてママは幸せです。
今年も良いお誕生日をありがとう。

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