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むなしさの源泉を辿る旅⑤

 傲慢な子どもであったわたしと、傲慢ではないわたしの子どもたちとの違い。
 それは、認識する世界に他人が人間として存在するかではないか。つまりどういうことかっていうと、わたしの子どもたちの世界にはきちんと他人が存在し、それぞれに人格があり、感情があり、個性があり、そしてそこにルールがあり、共存している感覚がある。だから、他人を気にかけるし、ともだちがうれしいとうれしい、ともだちが傷つくと心配、などの、変な言い方だけど、人生に登場する自分以外の登場人物も人間である、という世界で生きている。
 わたしはといえば、わたし以外の人間は全員ゲームのモブのような感覚だったと思うのだ。ひー!これ書いててめっちゃわかる!ドラクエに出てくる、ゲームを進行させるために配置されているキャラクター、村をうろうろして「さいきんまものがふえてきて このまえもおそわれそうになったんだ」とひたすら言い続けている村人、いつまでもこちらを見つめているスライム……わたしはモブからひたすら嫌われ続けていた。モブたちがわたしを嫌いだったのは、そういう設定だからじゃなくて、人間だったからだったのか!!と悟ったそのとき、わたしはすべての自信を失い、自己肯定感やら自尊心やらが地の底へ瞬く間に駆け落ち、消えたのだろう。ここは、わたしの世界ではなかった。それがいつだったのかはわからないけど、ハタチ前後だったのかもしれない。たしかにうつ病と言われたのもこの頃だし、なるほどなるほど。これはですね、部屋にある観葉植物がただの植物だと思っていたけどあるとき植物に人格があり、感情があり、意思があり、その意思に基づいて行動することができ、そこに形成された社会の中で自分を見ていたと知ってしまったというようなものです。ひいいい、パンツ一丁でうろうろしていたのも、奇妙な踊りも、誰にも見られたくないあんなことやこんなことも、こいつ見とったんか!そして何かをかんじとったんか!それだけでなくあっちの観葉植物にも言いよったんか!王様の耳はロバの耳だと日々念仏のように唱えてしまった……終わった……という気分です。他人が人間だと気づいてさらに気づいたことが、それで、他人が何を感じているのか、何を考えているのか、ってのが全然わからんということです。他人の頭上に吹き出しがいくつも見えるのだけれど、見たこともない字で書いてあるのでさっぱり理解できない。これが、空気なのか。だいたいのひとは、ここに何が書いてあるのか読めるのだな……だから他人のみなさんはあんなに軽やかにコミュニケーションできるのか!わたしはショックでした。それからわたしには、異国語の吹き出しがめちゃくちゃ見えるようになりました。自分がいる空間が空気だらけで、呼吸をするたびに読めない文字がずるずると鼻から入ってくる。のに読めない。ああ読めない!読めないけど確実に何か書いてある!これわたしの悪口の可能性ある!ダメ出しの可能性ある!こわい!正解がわからん……ていうか正解ってなんなの……わたしの毎日やってることって全部不正解かも…… 「その箱とって」のその箱ってどれ……「ふつうでいいよ」のふつうってなに…… 「適当でいいよ」の適当ってどの程度…… くちぶえはなぜ遠くまで聞こえるのあの雲はなぜわたしを待ってるの……

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