見出し画像

しがないオウエルの生態

 春に退職したる!とそれだけを励みにこれまで頑張ってきたのだけど、ひょんな理由からとりあえず今すぐには辞められなくなった。ショック。ショックだけどまあ仕方ない。「やめよっかなーと思ってたけど全然続けるンでもいいよー」ってわけにはいかない。ショックでおさきまっくらという気分になった。わたしはどうやって生きていけばいいのか……と途方に暮れている。ウキウキ頑張っていた通信講座もぱったりと進まなくなった。あとちょっとなんだけど、これやる意味あんのかと思ってしまう。いや意味はあるんだけど。あんのか。あるんだけど。あんのか。この自問自答を3億回は繰り返している。で、やってない。しかしわたしは、この世界でもう少し生きていかねばならぬのです。
 それで、エッセイとかを読むようになった。みんなどうやって生きているのか知りたいのだ。周りに同じ環境で生きてる人間がうようよいるのだから、どうしているか聞けばいいんだけど、それが聞けたら辞めたくなんないんだよっつーはなし。だいたい周りのひとは、「テキトーにやればいいんだよ★」「ほどほどにやればいいんだよ★」「考えすぎだよ★」とか言っている。組織の中で、テキトーにほどほどにあまり考えずに日常を送るってのはめちゃくちゃむずい。むずいことを「フツーでいいんだよ★」などといって、基本スキルとして設定されている。こわい!こわいよー!フツーにそんなんできるか!周りの人間はまったく参考にならないのでやはりここは本によりのぞき見したいところ。

 しかし、わたしは思った。何冊か読んだあと、また次を探そうと書架に並ぶ膨大な本を前に、思った。
 おもしろいエッセイ書いてるひとはなんかみんな、自由に生きてる。組織の中でオロオロしているエッセイなどないんである。そりゃそや。認められてるからエッセイなんてもんが出版されてるに決まっている。読み進めるうちに「いやでもあなたはいいよね、前向きになることばかけてくださるけど、あなたとわたし違うじゃない」というねたみそねみマインドが活発化し、虚無の中で本を閉じることになる。あんまり参考にならない。
 組織の中のひとが書いた本はおしなべてビジネス本であり、オレの武勇伝でんででんでんレッツゴー並びにオレみたいに成功するにはこれやるだけ!これやるだけでお前もオレみたいになれる!なーに簡単なことさ!まずは朝5時に起きよう!7時に会社に行けば静かなオフィスで仕事がはかどるし新聞5誌とって読み比べよう!たのしいよ!ものごとの本質わかります!みたいなまじでいらんアドバイス書いてある。まったく参考にならない。
 ならばわたしが書けばいいのだと思った。
 わたしのような組織になじまないしがない持たざるアラフォーOLの慰めになるような生態を綴ればいいのではないかとひらめきました。それを後日わたしが読んだならば、わたしはわたしを慰めることができることになり、循環型ひとり社会の完成です。時代はリユースかつリデュースかつリサイクルなんだよキミ。

 とかいいながら、さっそく今日仕事を休んでいる。もうまじで行きたくないのだが、有給もそろそろない。だいたい休んだところで何も充電されない。いいですか、コレ大事なんですけど、休んだところでなんにも、なーんにも、ちっとも、充電なんかされないんです!それどころか、あっという間に終わろうとする休みを憂う時間多過ぎ問題。疲れる。正直疲れちゃう。逆に。ああもう!こんな時間!休みが終わっちゃう!と30分おきに思って絶望している。みんな休んだら充電とかされてんの?リフレッシュってことば死ぬほど聞いたことあるけど、実感したことないんだが。リフレッシュて実在するんか?架空のことばでしょ?この世のどこかに誰かが置いてきたというひとつなぎの何かでしょ?じゃあ休まなきゃいいって思うよね、わかる、わかります。でもやっぱ休みたい。休みたいんだよ。それはなぜか、わたしはかんがえた。ぽくぽくぽくぽくちーん。わたしはなぜ休みたくなるのか。それは、休みを楽しみにするためー(チコちゃんの言い方)
 いやこれに尽きるまじで。こんな本質に辿り着いてしまうなんてわたしは哲学者なのではないか?つまりもう、休みが始まった時点で休みの役割は終わってるわけ。そこに至るまで楽しみにしていた気持ちと引き換えに、終日憂うというこれは悪魔との契約だったんである。なにごともトレードオフなんですな。でもさ、休みを楽しみにする気持ちより休みが終わる絶望のが果てしなくでかい。それなのに、休みを設定してしまうのは、あの日休んでやろうと企んでしまうのは、太るとわかって食べてしまうあれと同じなのかもしれん。
 そんなかんじです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?