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むなしさの源泉を辿る旅③

 わたしは自分の人生を封印してきた。誰にも話したくなかった。恥ずかしかったからだ。恥ずかしいという思いは、集団の価値や、集団の中での自分の価値を落とすような行動に対して生じる感情だと何かで読んだ。わたしのこれまでの人生が、わたしの価値を落とす。これが黒歴史というやつか。黒歴史ってもっとピンポイントなものかと思ってたけど、わたしの広範囲にベタで人生黒塗りされすぎてなにも語ることがないので、昔の話には全然参戦できなかった。

 それが今回初めてこんなふうに自分の外に出してみて客観的に見ると、なんかかわいそうだなと思う。こんなに嫌われている人生ならば、自己肯定感が果てしなくマイナスなのも仕方ないように思うし、そりゃうつ病にもなるのかもしれない。たしかにわたしはいい子ではなかったが、もっと希望があってもよかったのではないかと思う。タイムマシンがあったなら、わたしはあの頃のわたしに寄り添ってあげたいなと思う。抱いている負の感情を肯定して、それを抱いてもいいけれど、そのまま表現していると人生がハードモードになるよと教えてあげたい。わたしに感情があるように、他の子にもあるよと教えてあげたい。あなたはあなたのままでいいのだけれど、生きていくには術がいると、見せてあげたい。そしてその術を使うかどうか選ぶことができることも教えてあげたい。興味があることには突き進んでもいいのだと背中を押してあげたい。万引きをしてかわいいシールを周りの子に配ってまでただのクラスメイトの仲間になろうとしなくてよいのだと、誰かに羨ましがられる必要などないのだと、教えてあげたい。いわゆる「素直なよい子」ではないからと自業自得を突きつけるには、あまりにも幼い、けれどわたしなりに一生懸命生きていた、あの頃の生意気なわたし。扱いにくい子は、集団から排除されてしまう。そして、運良く沼から引き上げてくれる人物や、夢中になれる何かに出会えずだた嫌われる半生を送る人生ってよくあるのかもしれないと思った。

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