苦しみ

わたしのおばあちゃんは、夫も、息子も、娘も、みんなに先立たれてしまって、今は、次女が一人残るだけである。

夫は事故、息子は未解決事件、娘はがん。

そして、わたしのおばあちゃんのお母さんは、6人兄弟の6人目を生むときに出血多量で亡くなった。

そして、おばあちゃんのお母さんの妹は、6人兄弟を守るため、一家の母となる。

わたしのおばあちゃんはそのことを大人になるまで知らず、ずっと母の妹を本当の母だと思ってきたそうだ。


どうして人生には苦しみがあるのだろう。

おばあちゃん、おばあちゃんのお母さん、おばあちゃんのお母さんの妹、おばあちゃんのお父さん、おばあちゃんの夫、おばあちゃんの息子、おばあちゃんの娘。

どうして”不幸”という言葉はこれらのすべての人生を一言に言いくるめてしまうことができるのだろうか。

そして、おばあちゃんはなぜあんなに明るいのだろう。

孫を見れば涙を流すかと思えば、テレビを見てげらげら笑い、娘を思い出してはまた泣き、そしてそれをみて困った顔をする私たちをみてまた笑う。

どうして、人生には苦しみがあるのだろう。

そんな苦しみを乗り越えてまで生きなければいけないのか。

愛する人も、愛してくれる人も失って、生涯独り身になっても、人に感謝をし、自らの生に忠実に生きていかなければならない。

ああやって笑ってる彼らにも、そんな苦しみがあったのだろうか。

おばあちゃんは、なんであんなに明るく笑ってられるのだろうか。

苦しみが、苦しくないのだろうか。

苦しみを乗り越えたら、人はああも美しく、儚く輝けるのか。

分からない。

わたしには、まだ分からない。

分かるはずもない。

そりゃそうだ、まだ20年も生きてないのだもの。

いまは、苦しき先人たちの人生を知ることしかできない。

でも、それでいいのだ。

苦しみなど、いつか降りかかる。

苦しみを恐れ、苦しみを知ろうとし、苦しみを避けようとしても、苦しみはやってくる。

それまでは、悠々と生きる。

それが、いまのわたしの仕事だろう。

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