Fuckin' my father

「父親のことで1番思い出に残ってることは何か。」この問いに、人目を気にせず答えられるなら、それは殺されかけたこと。次点で、力いっぱい蹴られたこと。


一応私と父親の名誉のために書いておくけど、虐待を受けてたなんてことはない。

正直、小さいころのことをほとんど覚えていないから、もしかしたら楽しい思い出もたくさんあったかもしれない。父親の影響で野球を始めたので、多少なりとも尊敬だとか、一緒に野球をして楽しんだなんて経験はあったんだと思う。

でも、小さいころの私にとっては、父親は母とよく喧嘩して、暴力を振るって、母が口を切って血を流してる姿や泣いている姿の方が印象的だったから、覚えてないのもしょうがない。あの頃は夜中に下の階から、ドン、ドンという音が聞こえてくる度に、また母が殴られてるんじゃないかと思えて、すごい怖かったし、母を助けにいきたいけど怖くていけなくて、声を殺して「ごめんなさい」なんて意味のない謝罪をしていたのは今でも覚えている。このせいか、今でも暗い場所が嫌い。夜道はできる限り早く家につくよう急いで帰るし、寝る時には音楽を聴くか、早く眠れますようにと願いながら目をつむっている。

今思うと、私にとって父親は恐怖の対象だったと思う。15歳の時に、母が「もう無理だよ」と、「ごめんね」と泣きながら私たちの手を引いて、夜逃げするように家を出たときには、悲しさとか寂しさはほとんどなく、まず何よりも安堵したことを覚えている。解放感もあったかもしれない。母が父親と離婚したあと、一度だけ面会交流をしたけど、まともに会話なんかできなかった。父親と祖母が夕食をつくってくれたけど、どんな味だったか覚えていない。そして、たった一回の面会交流が終わったあと、父親がこれ以降の面会交流を拒否したと聞いた(これについては父親がしたのか祖母がしたのか知らないけどね)。

離婚後2年くらいたったときに、父親が不倫していたことをたまたま知ってしまった。しかも相手は50代のおばさん。悲しさ以上に情けなさを感じたのをよく覚えている。この時、ついでに母と祖父が養子縁組をしていたことも告げられ、祖父と血縁関係がないことも知ってしまったから、二三日寝込んだ。部活の監督には練習試合を休んだことを怒られた。

そういえば、高校の部活も、本当は弓道部に入りたかったけど、父親が離婚の条件として私に野球をさせることを提示したらしく、そのためだけに金を払ったとかで、高校でも野球部に入部したんだった。これだけでも、父親が好きだったのは私なのか、それとも野球をしている私なのかって疑問に思ってしまう。

そんな父親とはあの面会交流以降、一度だけ偶然遭遇して話したきりで、高校を卒業した後も、大学に合格したときも、成人式の日も一切連絡はとっていない。ちょっと悲しいけど、ある意味これでもういいかなと、成人式の日に父親に期待することを諦められた。

以上が、私が父親に対して思うことのざっくりとした整理だと思う。

父親は嫌いだ。嫌いなんて言葉で足りないから、憎悪か忌み嫌うと言った方が適切かもしれない。

でも、この記事の最初に書いている二つの思い出だけは、少し毛色が違う思い出。父親に殺されかけるほど、父親が激怒したのは、当時の私が姉二人に向けて刃物を向けたから。思い切り蹴られたのは、私が小学校の同級生をケガさせたから。どっちも躾としてはやりすぎだと思うし、殺されかけたときも、母が止めなければ本気で死んでたと思うけど、自分がやったことの危なさだとか、重大さを幼いながらも自覚できたのは父親のおかげだと思う。いま私は、家族や友達、関係をもっている人たちから優しいと評価されるけど、その土台にあるのは、きっとこの経験。人のことを思いやることだとか、自分がやろうとしていることは何かを俯瞰的にみることが出来るようになったのも、癪ではあるが父親のおかげだ。

現在となっては、もはや父親の顔も声も覚えてないし、到底許すことなんてできないくらいに、父親は嫌いだ。いま一言いえるならば、迷わずにくそ野郎って罵倒する自信がある。ただ、いまの自分の土台となっている部分に父親の影響があることは否定できないし、父親との血縁関係だとか、一緒に暮らした思い出も消すことはできない。顔も声も覚えていない父親の言動にいまの自分のルーツがあることは釈然としないけど、いまさら否定もできないし、消去することも、父親の本意を確認することもできないから、自分勝手に解釈してやろうと思う。

でも、やっぱり父親は嫌いなので、大学卒業して地元を離れる前に、一言文句を言いに父親のところにいってやろうと思う。

おしまい。

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