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コロナ禍の中、「モモ」を読んで

子どもの頃に夢中になったミヒャエル・エンデさんの「モモ」を
久し振りに読みました。
これは、人間達から時間を奪う時間泥棒「灰色の男たち」から
モモという女の子が時間を取り戻すお話です。
全ての大人から時間を奪った灰色の男たちに立ち向かうのだから、
モモってどんな力を持っているのだろうと思いませんか?
実は、モモは両親がいなくて児童養護施設から逃げ出してきた女の子。
男物の上着とぶかぶかの靴を履いてモジャモジャの髪の毛という、
誰かの憧れを誘う外見ではありません。
何も持たないモモは、心優しい町の人達から
円形劇場の一区画に住まいを作ってもらいます。
でもモモの元には毎日沢山の人が集まってきます。
モモと一緒にいると、大人は色んな悩みが解決するし、
子どもはどんどん面白いアイディアが浮かんで楽しく遊べるのです。
モモは特別なアドバイスをするわけでも、とびきり機転が利くわけでも、
物知りなわけでもなく、ただじっと相手の顔を見ながら話を聞くだけです。
それだけですが、モモと一緒にいると、誰もが自分の心に耳を傾けることができ、
何をすべきかが見えてくるのです。

私は臨床場面で、
「自分の本来の欲求に気づき、能動的に行動する」
ことを重要視しています。
これは川谷先生から学んだ哲学者「スピノザの方法」を元にしています。


スピノザは、「欲望・喜び・悲しみ」の3つを人間の基本感情と呼び、
この3つから他のすべての感情が導き出されると述べています。
外来に初診で来る多くの患者さんは悲しみのモードにいます。
そこから喜びのモードに移行するために必要なことが
「能動的に行動する」
ということです。
一見自主的に見えても、親や教師、友人など
周りの反応を考えながら動いている人は受動的です。
また、ただ自分の好きなことをやっているだけでは
周囲の人が受動感情に陥ってしまい自己中心的となり得ます。
この場合は能動的ではありません。
能動的な行動というのは、
自分の本来の欲求に基づいた周囲との調和を取れる行動のことです。
能動的な行動を取っていると自信が生まれやすいし、
たとえ失敗したとしても誰かの評価を気にするわけではないので再挑戦しやすくなります。
モモと一緒にいると、人は自分の本来の欲求に気づき、
能動的に行動できるようになるのです。
だから、仲違いしている人同士は和解できるし、
子どもたちは自分のエネルギーをしっかり引き出しながら心から楽しく遊べます。
一方、灰色の男たちに時間を取られた人は、
「時間を節約する」ということに縛られ、自分の欲求を抑え、
効率的に物事を回すことに集中します。
その結果、能動性は失われ、みんな灰色の顔になっていくのです。
そんな大人に育てられる子どもたちは、
大人が相手をしなくても1人で遊べるよう高級なおもちゃを次々に与えられ、
最後は子どもの家に押し込められて、育脳につながる役に立つ遊びだけを強いられます。
みんなイライラして怒りっぽく、「悲しみのモード」に陥ってしまいます。
有限な時間の中で私たち大人は、つい効率性を強く求めてしまいます。
それが子育てに向かうと、子どものためと思いながら子どもに何かをさせ過ぎる結果、
子どもを受動感情に陥らせてしまうこともあります。
COVID-19感染拡大に伴う自粛生活は、
私たちに人生における大切なことを考えさせてくれました。
沢山働き、どんどん業績を上げ、効率よく物事を回すことは充実していると感じやすいですが、
果たしてそれで喜びのモードにいられているでしょうか。
能動感情中心で過ごせているのでしょうか。
自粛生活を機に、時間泥棒から時間を取り戻せた人もいたかもしれません。

モモをこれから読んでみようという人にはネタバレになってしまいますが、
後半の部分で、時間泥棒が時間の花で作った葉巻を奪い合うというシーンが出てきます。
時間泥棒はこの葉巻を吸っていないと生きられないため、当然といえば当然です。
時間を沢山奪っていたので十分生存できたにも関わらず、
不安から欲が出て、仲間の人数減らしにかかります。
十分減ったところで、実は大人数いた方がよかったことに気付いた男もいたのですが、
時間の花を持っているモモが現れたことで灰色の男たちは騒然となり、
我を忘れて時間の花の争奪戦となります。
その結果、灰色の男たちは滅びてしまいます。
このくだりは、昨年起こったマスクや消毒液の買い占め、
転売、今現在起こっているワクチン問題を彷彿とさせます。
入院を受け入れる医療機関はパンク寸前ですから、
COVID-19に感染すると死ぬかもしれないという恐怖はあります。
ですがその中で生き延びる方法は、
慌てて目の前の時間の花に手を伸ばすのではなく、
大切なことに目を向けた理性的な行動なのかもしれません。

最後になりますが、外来で人とうまく話せないことの相談を受けたとき、
私は「聞き上手になる」という提案をすることがあります。
それは自分が子どもの頃に、モモの魅力に惹きつけられたからだと思います。
聞き上手な人と一緒にいると、楽しく話せて幸せな気持ちになれますよね。
話し上手を目指すあまり、相手の反応を気にして「いいことを言わないと」と思うと
受動感情が働くため、仮にいいことを言ったとしても、
お互いに会話が楽しめないかもしれません。
自分が能動的にあろうとした時、言葉が出てこないなら、
じっと話を聞くだけでも、十分、相手に自分の気持ちは伝わるし、
良好なコミュニケーションになるということを、モモは教えてくれました。
これは何か特別な才能がなければいけないわけでもなく、
誰しもモモになれるんだ、ということをミヒャエル・エンデさんは言いたかったのではないかなと思います。


能動性の話を読んで、「うちの子はゲームばかりしているけれど、
これは能動的でいいってこと?」と気になる人がいたかもしれません。
能動性については、また次回、ご説明します!

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