ピンチの時こそエールをくれる。ゼロポイントフィールドと私②
前回の記事では、田坂広志氏のゼロポイントフィールド仮説と私たち人類の意識の行方について考えてみました。
https://note.com/maltamalta1210/n/n8b89d1cc370a
復習になりますが、
ゼロポイントフィールド仮説とは、量子真空の中にあるゼロポイントフィールドは、過去、現在、未来を含めたすべての出来事、すべての情報を記憶するという説です。すべての情報とは私たち人類の個人の意識や、惑星の意識さえ含みます。そして、ゼロポイントフィールドは、その出来事や情報を、大いなる宇宙意識として、記憶しながら、成長・進化するということです。
今回は、今一歩踏み込み、ゼロポイントフィールドと自分が通じることで、ゼロポイントフィールド側からエールをもらい、人生が好転する可能性について、私個人の少女期の体験を交えて考えてみたいと思います。
少女時代に、今思うと「私はこのゼロポイントフィールドに通じ、共振していたのではないか?」という出来事を2度ほど体験しています。
この2度の体験には3つの共通点があります。
①意識は、目が覚めたばかりのぼんやりした状態。
②場所は帰省中の広島の祖父母の家で縁側付近。周囲に誰もいない。
時刻は昼と夜の境目=黄昏時、逢魔が時
③子供なりに深く悩み、人生に行き詰まりを感じていた。
⑴「光の柱」を見た小2の夏
セミの鳴き声が、庭中に響き渡り、赤紫の夕空が漆黒の闇を誘い始める18時58分頃、当時小学校2年生だった私は、夕寝から目覚め、庭の松の木をこっくりと眺めていました。
すると、松の根っこから幹に沿い、一本の真っ白い光の柱のようなものが、見えます。人影のように見える瞬間もあり、
「イエス・キリスト?」と目を凝らしますが、また元の光の柱に戻ります。
そして、どういうわけか、突然、
私の頭に、日本語でないのに、なぜか意味を成すメッセージらしきものを、その光の柱は送ってきました。
言語ではない、もっと抽象的な想念でしたが、私なりに翻訳すると、こうなります。
「大丈夫よ。きっと大丈夫。これから先、あなたには信じられないほど、たっくさんの素晴らしいことが待っているのよ。そしてね、あなたが今感じている喜びも、悲しみも、ぜんぶ私たちにとっては、とても必要なものなの。ずっとずっとあなたのこと、見ているからね、大丈夫よ。ずっと一緒よ」
次の瞬間、光の柱は消え、夢から覚めたように、
いつもの庭の景色に戻りました。
「今の何…?」
確実に頭は目覚めていた。でも、そこに「光の柱」は見え、
なにかしらの「プチ啓示」が幼い私にもたらされた…。
どうして、こんな風にメッセージを受け取り、しかも、ある程度の意味を、当時の私が解せたのか、わかりません。
でも、とてつもなく大きな、
それでいて優しい、
敢えて言えば「愛」。
また、幼かったことが逆に幸いし、当時の私は、
「こんなこともあるだろう」と、寝ぼけながらも受け入れ、
その後、19時から始まる「ドラえもん」を見始めた記憶があります。
あの「私たち」というのは、今思うと「ゼロポイントフィールド」だったのではないかしら?
当時、東京の小学校に海外から転校したばかりで、全く馴染めず、いじめられることもあった私を、ゼロポイントフィールドは、見守ってくれていたのかもしれない…。
この体験のあと、夏休み後も、特に不登校にならず、
なんとか学童期をサバイブできたのは、この大いなる力に守られている感覚が、どこかにあったからかもしれません。
「喜びも苦しみも、私たちにとっては必要なもの」というのも、
人間1人の感情も、きちんと宇宙意識に刻まれ、記憶されますよ、とも捉えることができます。
⑵「すべては一瞬の夢なの」と、ささやかれた高2の夏
先祖たちの遺影が並ぶ、床の間の仏壇の傍ら。
開戸は庭に向かってあいています。
高校2年生だった私は、
短い夕寝から覚めたところでした。もうすぐ日が暮れる逢魔が時。
セミの狂騒曲。その曲になぞらえるように、思考の焦点を合わせます。
「人を助けたい一心でやったことが、逆に大きなトラブルになってしまった…どうして人生は思い通りにならないんだろう」
当時抱えていた問題は、16歳の私には抱えきれないもので、
帰省中も陰鬱な想念で支配されていました。
すると、突然脳内に白い光が飛び込むように「それ」はもたらされました。
「まるで一瞬の夢なの。あなたにとっては長い一生だけど、わたしたちにとっては、ほんの一瞬の夢なの。でもね、あなたの苦しみ、幸せ、感じていることすべて、貴重なデータとして宇宙に還元され、永遠に刻まれるの。大丈夫、大丈夫よ。前を向いて自分を信じて。全てを楽しむのよ。苦しみさえ楽しむの。すべては一瞬の夢なのだから」
人生2度目のプチ啓示。
1度目の時より鮮明な「声」として、それは届けられました。
私はこの時も、すんなりと「声」を
聴き入れ、それを大いなるエールとして受け取ることができました。
実は田坂広志氏の「死は存在しない」の中で、永遠の宇宙意識であるゼロポイントフィールドにとって、我々人類の個々人の人生や体験は、ほんの一瞬の夢でしかないと、書かれており、ドキっとしました。
一瞬の夢
あくまで仮説とはいえ、少なくとも自分が思春期に体感したことと非常にリンクする話を、田坂氏は活字に起こし、書籍化し世に出していることに驚きました。
有難いことに、このエールがあったからか、
高2から高3の大事な受験時期の折、様々なトラブルに見舞われながらも、
「所詮、すべては一瞬の夢。ならば、今この現実を精一杯生き切ろう!
絶対私は大丈夫、ブレない!」という一心で勉強にも集中でき、
自分の実力以上の大学に合格することもできました。
余談ですが、試験当日、日本史の試験では、前日ヤマを貼っていた問題がそのままでた!というラッキーなことも!
ブレない自分を生きようとしたから
ゼロポイントフィールドが小さな贈り物をしてくれたのかも…
⑶条件がそろえば、ゼロポイントフィールドが応援してくれる?
ノーベル物理学賞を受賞したロジャー・ペンローズ氏が提唱する「量子脳理論」によると、
「我々意識の場である脳や身体は、ある特殊な条件において、ゼロポイントフィールドと繋がることができる」ということ。
個人的な少女期の2度の体験においての「特殊な条件」とは何か?
①まず意識状態が、「目が覚めたばかり」のシータ波~アルファ波で、瞑想状態に近かったこと。
田坂氏の説によると、ゼロポイントフィールドは、「瞑想状態」のときに繋がりやすいという前提があります。
②場所が広島の祖父母家の松の木、及び、それが見える縁側や床の間付近。
時間帯は黄昏時、逢魔が時。
これは、村上春樹の作品が好きな人は、お馴染みかもしれないですね。
「ねじまき鳥クロニクル」の『井戸』や、「海辺のカフカ」の『入り口の石』などが象徴する
「異世界への通路」、
「あの世とこの世の境界線」
ということなのかもしれない。
この場合、「庭の松の木」が、どういう理由で、異世界への通路になりえているのか本質的にはわからないけど、その役割を担っていると推測されます。
私たちのこの三次元世界の、所々にそのような通路や境界線があるのかもしれません。
また「現実世界と異世界とをつなぐ時刻」として、
昼と夜の境界線である、黄昏時や逢魔が時というのも、理解できます。
③深い悩み事を抱えていたこと。
この条件は一体どういうことなのでしょうか?
これは、例えば東洋思想の
「陰極まって陽に転ず」ということなのかな、と私としては考えています。
悩みに悩みぬくと、
陰陽のバランスシステムがが作用し、
陰であれば陽へ
陽であれば陰へ…と他の条件がそろえば(この場合は①と②)
動きだす…ということなのかもしれません。
まとめ
ゼロポイントフィールド仮説が、どこまで真実であるかは、現時点での科学では解明しきれません。
ただ、私たちは、どんな状況に追いやられたとしても、
大いなる力=サムシンググレートな「何か」=宇宙意識に守られているのだろうということ。
そして、
宇宙意識が見守っているのだから、
という安心感と
すべては一瞬の夢なのだから、
という開き直りで、
今ココの自分を信じて、
自分の内側を大切にして、
自分軸で生きるということ。
私が一神教の宗教が苦手なのは、
外側に神様を求めてしまうこと。
大事なのは、いつだって、
私たち一人ひとりの内側に拡がる
0=∞「ゼロ=無限」
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