NASA/ESA の火星サンプルリターン計画の概要と従来のコンセプト
別記事で NASA と ESA の Mars Sample Return Campaign の変更点について投稿したため,本記事ではそもそものこのミッションの概要と従来のコンセプト,および現在までの成果について簡単にまとめます。
なお,2022年 3月21日にも NASA はコンセプトの変更を発表していますが,ここでの旧コンセプトはその変更後を指します。記事の中でそれ以前の計画についても簡単に触れます。
新コンセプトについてはこちら。
Mars Sample Return Mission とは
Mars Sample Return (MSR) 計画は,米航空宇宙局 (National Aeronautics and Space Administration, NASA) と欧州宇宙機関 (European Space Agency, ESA) の火星サンプルリターン計画です。
ミッションの目的
火星にはかつて海があったと言われており,生命の痕跡があるのではないかと期待されています。今までのその場観測(e.g. Curiosity)によっても多くの発見がありましたが,ランダーやローバーで持っていける観測機器はせいぜい数 kg 〜 数 100 kg 程度であり,得られる情報や精度に限りがあります。
サンプルリターンによって,地上の巨大な分析装置を使うことができ,またサンプルを保存することで後世にも発見の機会を託すことができます。そのため,サンプルリターンは惑星探査の究極形とも言えます。
ミッションの概要
上で述べた目的から NASA は火星サンプルリターンを計画しました。しかし,サンプルリターンでは行くだけでなく帰ってくる必要があり,技術的な難易度も格段に高くなります。
月のサンプルは NASA が Apollo 計画で地球に持ってかえってきました。以来,月以外の天体の地表面のサンプルリターンを成し遂げたのは日本の宇宙航空研究開発機構 (Japan Aerospace Exploration Agency, JAXA) のはやぶさ,はやぶさ2のみです。これらは小惑星からのサンプルリターンを成功させましたが,火星の重力は地球の3分の1程度と,微小重力環境である小惑星と同じようにはいきません。
そこで NASA は ESA とともに,3 機の着陸機と 1 機の周回機からなる大掛かりな MSR キャンペーンを進めることとしました。
ミッションの旧コンセプト
ミッション概要は下図によくまとまっています。
MSR ミッションは以下の 4 つのフェーズに分けられます。
Sample Collection Mission
NASA の Perseverance (Mars 2020) がドリルで岩石のサンプルを採取しサンプルチューブに詰め,地面に落とす
Sample Fetch Rover (SFR) のバックアップとして,Perseverance 自身がサンプルチューブを直接 Sample Retrieval Lander 1 (SRL1) の元へ運ぶことも考えられている
Sample Retrieval Mission
NASA の Sample Retrieval Lander 2 (SRL2) が ESA の小型ローバー SFR を火星表面に運ぶ
SFR が Perseverance の落としたサンプルチューブを地面から拾い上げ,SRL1 の元へ運ぶ
Sample Launcher Mission
NASA の SRL1 が NASA の小型ロケット Mars Ascent Vehicle (MAV) を火星表面に運ぶ
SRL1 がロボティックアームによって SFR からサンプルチューブを受け取り,MAV に搭載する
SRL1 から MAV を打ち上げ,MAV がサンプルを火星周回軌道に投入する
Sample Return Mission
ESA の Earth Return Orbiter (ERO) が火星周回軌道上でサンプルを回収し,地球に持ち帰る
このように,Perseverance が採取したサンプルは SFR,SRL1,MAV,ERO と順次バトンリレーのように渡されて地球へと帰還します。以前,Jet Propulsion Laboratory (JPL) の石松さんがこれをバスケットボールのツーメンに例えていましたね。
計画当時のコンセプト
冒頭でも触れましたが,2022年 3月21日にも NASA は計画の変更を発表しています。これ以前は SFR と MAV を 1 つの同じランダーが運ぶ想定でした。つまり,ランダーは Perseverance と Sample Retrieval Lander (SRL) の 2 機のみで,SRL が SFR を放出し,SFR がサンプルチューブを回収して SRL に渡し,SRL が受け取ったサンプルを MAV に搭載し,SRL から MAV を打ち上げる,といった具合でした。
しかし SRL が SFR も MAV も運ばなければならず,ペイロードが大きいために Curiosity や Perseverance よりも大きなヒートシールドが必要となります。そのため,火星の大気圏突入および着陸 (Entry, Descent, and Landing, EDL) でこれまで培ってきた技術がそのままでは使えず,ハイリスクとなってしまいます。
そこで NASA は ESA と見直しを行い,SRL を 2 機に分割することにしました。ところがこれによりランダーが 1 機増えるため,当然コストもかさむことになります。このこともあって,SRL2 が不要となる冒頭の新コンセプトの検討に至ったのだと考えられます。
なお,これ以前では 2031 年に ERO が地球に帰還する予定でしたが,ランダーの分割を受けて 2033 年着陸に延期しました。
Perseverance の成果
MSR 計画の先陣を切った JPL の Perseverance は,日本時間の 2020年 7月30日に Atlas V で打ち上げられ,日本時間 2021年 2月19日に火星の Jezero crater 内部のデルタ付近に降りました。着陸の瞬間の動画を見られた方は多いかと思いますが,何度見ても感動させられます。
以来,メインタスクであるドリルによるサンプル採取(岩石サンプルは執筆時点で 10 本取得済み)の他,自律走行や MOXIE の実験などを行ってきました(詳しくは他に譲ります)。そして何より,火星ヘリコプターである Ingenuity の飛行実験を行ってきました。
Ingenuity は火星ヘリコプターの工学実証機であり,2021年 4月19日に地球以外の天体表面で制御飛行を成し遂げた史上初の動力航空機となって(参照)以来,執筆時点で 29 回ものフライトに成功しています。0.01 気圧にも満たない火星の希薄な大気中で飛行させるため,約 1.8 kg と非常に軽く,プロペラは 2400 rpm もの高速で回転します。
設計上のスペックでは,最大航続時間が 90 秒,最大航続距離が 300 m,最大高度が 5 m 程度とされていました。しかし,すでにそれを遥かに凌ぐ能力を発揮しており,飛行時間 170 秒近く,水平距離 700 m 以上,到達高度 12 m を達成しています。下の動画は 25 回目のフライト時に Ingenuity 搭載のカメラで撮影したものです。
加えて,設計寿命はわずか 5 回の飛行であったのに対し,先述の通りすでに 30 回近くの飛行を行っており,飛行能力に加えて耐久性も証明されました。
航空機による探査の大きなメリットとして,
ローバーでは行くことができないようなところを探査できる
例えば急斜面や地下空洞など
特に回転翼機が適している
ローバーよりも速く移動できる広域探査が可能である
特に固定翼機に顕著である
の 2 つが挙げられます。技術実証機である Ingenuity には地下空洞などの探査ミッションが与えられているわけではないですが,移動の速さというのは顕著に現れていると思います。
執筆時点で,Perseverance の総走行距離は 11.81 km です。もちろんずっと走り続けているわけではありませんが,着陸から 500 火星日 を超えており,数 100 〜 数 1000 時間オーダーとかなりの時間走行してきたと言えます。一方,Ingenuity の総飛行時間はまだ 1 時間にも達しませんが,総飛行距離はなんと 7.088 km です。いかにローバーが遅いかが分かります。
実際,Perseverance の走行速度は 0.04 m/s にも及びませんが,Ingenuity の飛行速度は 5.5 m/s ほど出すことができています。直接これらを比較すると,実に 100 倍です。実際には Ingenuity には充電時間が必要であるなど,単純に移動中の速度だけで比較はできませんが,上の実例を見ても Ingenuity の方が速く移動できることは明らかでしょう。
これらの Ingenuity の輝かしい成果が認められ,冒頭に述べたコンセプトの変更に踏み切ることができたのだと思います。
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