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「私のはなし、部落のはなし」 鑑賞記

大学入学のため上京するまでは西日本の片田舎に住んでいて、学校で時折人権学習の授業もあった。大人たちのひそひそ話の中に、聞いてはいけないことを聞いたような記憶もうっすらある。しかし上京するとそうしたことは記憶の彼方に去り、日常生活ではまったく意識することもなくなった。

ところが数年前に関西に引っ越して来たら、なんたる既視感。不動産を借りたり買ったりする時には営業の人たちがひそひそ話をするし、住んだら住んだでかつて大人のひそひそ話を聞いていた私と同世代の人々が今度はひそひそ話をするようになっており、「まだそんなこと言ってるの? 関西、怖い!」と正直驚いた。でも、正面切って「それっておかしくない?」「そんなこと言うのやめたら?」と友人に言う勇気がない。そんなものは勇気でもなんでもない、ただ空気を読んでしまっただけなのであるが。

なんで空気を読んでしまうのだろう、なんで大人のひそひそ話が世代を超えて綿々と続くのだろうと悶々としていたので、この映画が封切られると知った時は絶対見に行くと決めていた。3時間半か、腰痛くなるなあ……と思いつつ。

鑑賞後。

満若監督が語っているように、『部落差別に論理的な裏付けはまったくありません』ということがストンと理解できる内容だった。泣けてきたりくすっとしたり色々思うところがあったり忙しい3時間半だったけれど、いちばん怖いもの、それはモブ。匿名で顔出しをせず出演していた一般人ふたりなのだった。

もちろん鳥取ループの宮部龍彦氏のやっていることは私としては許せないし忌避感半端ないのだが、彼には良し悪しは別として「思想」がある。「思想」を持つ人とは議論ができると思うので(結果徒労感だけで終わるものだとしても)、何か落としどころを見つけられるような気もしないではない。

でも、「身に沁みついてるから」「血ですから」「身元調査はそりゃします」と言いながら「顔は出さない」「今まで仲良くやってきた人たちに、本当はこう思われていると知られるのが嫌」「波風立てなくてもいい」という人とは、議論もできない。話し合いもできない。だって表面に出てこないから。

この人たちこそ、私が子どもの頃も今も聞く「ひそひそ話」をしている人たちで、そしてそのひそひそ話に異を唱えることのできない私も同類なのだ。

離婚歴ありで高齢出産でその他いろいろマイノリティ、魔女狩りがあれば真っ先に指を差されて火あぶりの刑に処されるだろう私が「ひそひそ話」の片棒を担いでいたなんて……と、映画館から出て地下鉄で帰宅する途中、恥ずかしすぎて顔から火を噴く思いをした。

というわけで私は決めた。もし今後ひそひそ話を聞くことがあれば、たとえそれが友人であれ親であれ、正面切って「それっておかしくない?」「そんなこと言うのやめたら?」と言うと。友人の少ない私がそれを言ったところで世界は変わらないだろうけれど、でも多分、私の気持ちはだいぶ変わる、はず。




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