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【連載小説】奴隷と女神 #43

しばらくして響介さんが目黒区の東山にいい物件を見つけて、中目黒のマンションを引き払って移っていった。日当たりの良い2LDKのマンションを見つけてくれたのだ。

内見は私も立ち会ったが、目黒駅からも池尻大橋駅からも歩ける距離で(逆に言うと駅から近くはない)お店もそこそこあって良い環境だった。

私はもう少しゆっくり移ろうかと思っていたけれど、やはり離れて過ごすのも辛く、少しづつ荷持を運び入れて移る準備をし、3月の終わりには目黒のマンションを引き払った。

UN JARDIN SUR LE NILナイルの庭』ともお別れ。

そしてまだ私たちが纏う香りは決めていない。

今でも『ENDYMION』の香りを思い出すと、切なさで胸が締め付けられそうになる。

私が恋に落ちたあのスマートな黒スーツ姿と、まだまだLunaの手中にあったあの頃の彼。

初めて2人で蕎麦屋で飲んだ時も、目黒のバーの後でキスをした時も、初めて私の部屋で身体を重ねた時にも『ENDYMION』を纏っていた、あの頃の彼。

あれからそれほど時は経っていないのに。
Endymionは眠りから目を覚ました。
そして外の世界へ抜け出した。
しがない、女神でも何でもない、奴隷にすらなり損ねた凡庸な女の元へ。

 * * *

4月。
私はまだまだ総務部に残留、志帆は同じ情報システム部内でも開発するサービスが変わる異動をし、環は長いこと営業支援部に所属してこともありこのタイミングでついに主任に昇格した。

それでお祝いも兼ねて3人でパーティをすることにした。

三越前のCOREDO室町の中にある『La Bonne Table』。
お料理と、ワインや日本酒のペアリングが楽しめる店だ。

「環、昇進おめでとう!」
「ありがとう! こんな素敵なディナーでお祝いしてもらえるなんて本当に嬉しい!」

私たちはシャンパンで乾杯した。

お料理が運ばれてくると、お酒で出来た白い泡の上にたくさんの花びらが散りばめられた一品が出てきて、みんなではしゃぎながらSNSのストーリーにアップした。

その後も野菜やお魚、お肉に至るまで映える料理が続き、それぞれのお料理ごとにワインと日本酒の2つのグラスが付く。

「目にも口にも美味しいなんて、なんて最高なの!」

環はうっとりしている。企画した私と志帆もホッと一息ついた。

2時間半のコース料理を終えてもまだ気持ち的に盛り上がっていたこともあって、気楽な店で2次会しよう、となった。

近くにあるビアバーに移動する。

途中、響介さんからメッセージが入った。

お祝いパーティは盛り上がったみたいだね

おそらくSNSのストーリーを見てくれたんだろう。
彼はそこにコメントやいいねはせず直接メッセージをくれるのは、まだ私たちのことを公にしていないがゆえの、彼の配慮だった。

うん、とっても。これから2次会なの
僕の方は今仕事が終わったから、同僚とちょっと1杯やってくるけど、いい?

外食とアルコール量の制限、もちろん半分は冗談だけれど、響介さんはちゃんと断りを入れてくれる。

もちろんです。飲みすぎないでくださいね

「小桃李、ニヤニヤしながら誰にメッセージしてるの?」

環にそう指摘されハッとする。

「あ、うん、友達…」
「本当~? 怪しいな~」

既にアルコールが入っているせいか、志帆もニヤついていた。

「環だって青山くんと、どうなったんだっけ」

苦し紛れに突っ込んでみる。
1年ほど前の環のストーカー騒ぎ以降、環はどうも青山くんのことを好きになったようだけれど、お互いがなのか煮え切らない印象を受けている。

「ど、どうにもなってないよ。アイツたぶん、私のこと女と見てなさそうだし」
「もうさ、そろそろお年頃だし、はっきりしてもらいたいよね」

志帆が同意した所で私もお酒が入っていたこともある。この2人には、今ここで話してしまっていいのではないかと思った。
響介さんは以前から「小桃李が伝えたいタイミングで話したらいいよ」と言ってくれていた。

店に入り、最初の乾杯の後は環と青山くんの話になった。
青山くんは昨年、既に主任に昇進している。

「お互い対等な立場になったことだし、ここでちょっとはっきりさせちゃえば?」
「よ~し、やってやるわ!」

志帆が尻を叩くと環に火が付き、それが少し落ち着いたところで私も切り出した。

「私も2人に話したいことがあるの」




#44へつづく

【紹介したお店:La Bonne Table】

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