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【連載小説】あなたに出逢いたかった #29

11月に入ってすぐ。都内は木々が色付き始めている。
梨沙の高校もまた、文化祭を迎えた。

今から遡ること2週間前。
S高校の文化祭以来ギクシャクしていた3人を、梨沙は休み時間に校舎の外に呼び出した。香弥子や隆次のアドバイスを実行しようとしていた。
まずは素直に「この前は嫌な言い方してごめん」と謝った。2人は今更、といったような呆れた顔をしたが、1人は頷いた。

「私さ、カーっとなると抑えられなくなって、言葉とか態度にすぐ出ちゃうの。気分もさ、すごく盛り上がった次の瞬間ぷっつり切れちゃったりして、波が激しくて」

3人は押し黙ったまま。

「そんな風に私ちょっと…みんなと違っておかしな所があって……でもそれって自分でコントロール出来ない時があるの」
「自分でコントロール出来ないって?」
「私…わかる」

先ほど梨沙の言葉に唯一頷いた1人が言った。

「生まれつき脳の機能がね、一般的なあるべき姿と少し違ってしまうことで…それでみんなが出来ることが出来なかったり、みんなが嫌がるような事を時にはやっちゃったりすることがあって。もしかして梨沙、そういうこと?」

梨沙は頷き、簡単にASDやADHDについて説明した。

「確かに梨沙ってすごい絵を描くよね。そういう才能持った人って、発達障害を抱えている人が中にはいるって聞いたことある。何かが極端に優れていると、何かが劣る…そういうバランスみたいなものがあるって」
「私の絵がそれに繋がっているのかはわからないけど、確かに人並みじゃないことがあると思う。それで周囲の人を嫌な気持ちにさせることも」

1人は再び頷いてくれた。2人も話し始めの頃よりは硬い表情が解けてきている。

「だからその…わかって欲しいっていうのはおこがましいけど…自分でもコントロール出来なくなる時があるってことは、知っておいてもらえたらなって」

硬い顔した1人がため息を付いて「わかった」と言った。

「今度から梨沙がなんか喚いても、スルーしておけばいいってことね」

クラスの出し物は多国籍料理の屋台だったが、梨沙はそれには興味がなく、部活に参加しているわけでもないのに美術部に混ぜてもらい、作品を展示していた。
始めは「部員でないとダメだ」と断られたが、ベルリンでの活動とその作品群を紹介すると、あっさり承諾された。何ならどうして美術部に入らないのかと諭された。帰国後、何となく面倒だったし、来年はもう3年生だから部活なんてどうでもいいとも思っていた。

大作は描けなかったが、独自のタッチで描いたベルリンの風景画を数枚、展示した。その風景の片隅に必ず小さな人影が2つ、描かれている。
遼太郎と、自分。
絵によっては手を繋いでいたり、寄り添っていたり…普通に見れば恋人同士の影を描いたのだろうと思われるだろう。

ポストカードもいくつか作成し、1枚50円で販売した。売れ行きは好調だった。

「梨沙!」

店番の休憩時間のため、廊下の窓辺にもたれてスマホをいじっていると、聞き覚えのある声が自分に向けられた。
顔を上げて、驚いた。

「えっ…、なんでここに!?」

牧野康佑だった。

黒いショート丈のトレンチコートを翻しながら、彼は豪快な笑顔で手を振りながらこちらに近づいてくる。
背も高いしスマートで爽やかな彼は周囲の目を引いた。

「お前だって俺のガッコの文化祭、サプライズで来ただろ。だからそのお返し。サプライズ来校返し」
「意味わかんない」
「お前のクラス、何やってんの?」
「うちは…世界のキッチンっていうのやってるけど…今はこっちで店番してるとこ」

そう言って梨沙が正面の教室を指すと、康佑はサッサと中に入っていった。

「お、ベルリンじゃん! やっぱお前上手いよな、絵」

慌てて康佑を追いかけた。彼は絵の中にひっそりと描かれている2つの人影に気づき、"片想い" の奴とのことを思った。

「そういえば梨沙、横浜で会ったあの人とは…うまくいってんの?」

うまくいってんの? は無かったな、と言ってから後悔したがもう遅い。だが梨沙は素直に答えた。

「うん…連絡取り合ってる」

意表を突かれたように、康佑は梨沙を見た。彼女は目を合わさないようにしていたが、どこか照れくさそうでもあった。

「良かった…じゃん、なのか?」
「たぶん…」
「でもあの人、割と歳上だよな? 梨沙ってそういう趣味だったん?」

ピクっと頬が引きつる。

「…そうだよ。うんと歳上のひとが好き」

だから私は君なんて相手にしないからね。
なんてことはもう以前から再三伝えてきていることだった。けれど康佑はお構いなしの様子で、梨沙ももう言うのは諦めた。生理的嫌悪感もさほど抱かなくなっていた。

「ふーん、まぁ…騙されないようにしろよ」
「…偏見でしょ? 歳上がみんな詐欺みたいな言い方しないでくれる?」
「まぁそうだけど…」

康佑は出入り口近くの机に並べられたポストカードに目をやった。ベルリンのシュプレー川からムゼーウムス島のシンボリックな建物・ボーデ美術館とその向こうに見えるベルリンTV塔が見える、まるでドイツを訪れた観光客が買うような構図の、梨沙の作品を1枚買った。
受付にいた1年生の女子生徒は康佑にしばし見惚れ、ポカンと口を開けていた。

「なぁ、お前のクラス、世界のキッチンやってるって言ったよな? なんか食えるんだろ? 行こうぜ」

クラスに行くと、店番にはちょうどS高校の文化祭に行ったあの3人の内2人がいて、康佑を見ると目を丸くしていたが、すぐに「いらっしゃいませ」と笑顔を向けた。

"世界のキッチン" ではイスラエルのファラフェル(ひよこ豆やそら豆を潰して、スパイスやハーブなどで味付けしたものを油で揚げた豆のコロッケ)のサンド、実はベルリン発祥とされているドネルケバブサンド、ポーランドに住むユダヤ人が作り出したとされるベーグル、そしてどこの誰が持ち込んだのか、サモワールで淹れる紅茶があった。サモワールとはロシア、または旧ソ連圏で見かけるお茶を淹れるための湯沸かし器で、教室にあるのは寸胴タイプで下に蛇口がついている。

「いいね。サンドイッチでもバゲットでもホットドッグでもない、このひねくれた感じ。梨沙の案?」
「別に。ドネルケバブの話は確かにしたけど」

クラスの出し物は実際ホットドッグ屋で話が進んでいたが、梨沙がドネルケバブサンドって実はね、という話をすると、そう言うの面白いからそれをテーマにしようと、あの3人が推してくれ急遽路線変更することになった。だから梨沙は謙遜したに過ぎない。

康佑はとりあえず全部食べてみたいと、全種類買った。ファラフェルを一口頬張ると「うっわ、このスパイス感、いいね。うまっ」と顔をほころばせた。

「これまじ店出せるレベル」
「実際店出してるんだけど」

だよね〜、と康佑が笑うと、梨沙も何となくつられて笑った。

「ね、校庭出よ」


陽射しには温もりが感じられるが、空気まで温めるには足りないようだった。確実に近づく冬の気配を風の中に感じる。

もうすぐ1年。ベルリンのモールの中でピアノを弾いていた男に出逢ってから。
そして一度は撃沈したかのように思えたが、再び船は動き出そうとしている。

「どした?」

黙り込む梨沙に康佑は、端からはみ出しそうなドネルケバブの肉をつまみながら訊いた。梨沙は何でもないと首を横に振った。

「梨沙も来年受験だろ。どこ行くか目星つけてるの?」
「うん。美術系の大学」
「お、さっすがだな」
「君は東大に行くの?」
「えっ、なんで? 俺たぶん無理よ。わかってると思うけど」
「うん、何となく無理そうって思う」

康佑はヘヘっと笑って「推薦取れたらとっとと取って、ボール蹴って遊んでいたいわ」と言った。

「スポーツ推薦?」
「いやぁそこまでは。せっかくドイツでお勉強したからさ、欧州の政治について勉強しよっかな~って思ってる」
「へぇ、政治。じゃあ政治家になりたいの?」
「あのね梨沙くん」

残り少なくなっていたドネルケバブサンドを口に押し込め、咀嚼が落ち着くと康佑は言った。

「あれやってるからこれ、みたいにわかりやすいわけじゃないんだよ、世の中」
「わかってるよ、そんなこと」
「いやぁわかってないね。じゃあお前は画家になるのか?」
「ならない、たぶん」
「だろ? 同じじゃないか」

梨沙は康佑が政治家になるところを想像してみた。やはりピンと来なかった。官僚の方が向いていそうだ。だったらやっぱり東大を目指せばいいのに、と勝手に思った。

「いやーでも美味かったな。また海外に行きたくなったよ」
「行ったらいいのに」
「そうだ、俺大学生になったらバックパッカー目指そっと」

梨沙はまた想像してみた。ものすごくしっくりきた。

「いいんじゃない。世界一周似合いそうだよ」
「あ、褒めてくれんだ。珍しい」

康佑は伸びをひとつすると「じゃあ、俺はそろそろ」と言った。

「早いね」
「ま、お前元気そうだったし、用は済んだ」
「え?」
「気になってたんだよ。そりゃそうだろ。色々あったからな、横浜の2日間は」

それでわざわざ…。梨沙はほんの少し、ほんの少しだけ、胸の片隅がポッと温かくなった。

「んじゃまた何かあったら連絡してな!」

豪快な笑顔で手を振る康佑に「無いと思うけど」と答えると「だよね~!」と言って彼は去って行った。

さぁっと吹いた風は冷たく、梨沙は首を竦めて校舎内へ戻った。





#30へつづく

【脚注】
※由来や発祥は諸説あると思います。


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