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【連載小説】あなたに出逢いたかった #28
香弥子が洗い物と茶の用意をする間、やはり前を向いたままの隆次が
「梨沙もようやくちち離れか」
と言った。
「聞いてたの?」
「聞こえただけで聞いていたわけじゃない」
「ヘッドフォンの意味」
「ノイキャンなだけだよ。話し声を全く遮断しているわけじゃない」
「言わないでよね」
「誰に? 兄ちゃんにか? 言うわけ無いだろ。兄ちゃんにとっては喜ばしいことだけどな。やっと梨沙から解放されるってな」
解放なんて酷い言い方だと梨沙は思った。親子なんだから、縛り付けあっているわけでもなく、自然のはずだ。
しかし梨沙はハッとする。親子なんだから、親子なんだから…。
それを察したのか隆次は「まぁ俺も兄ちゃんを束縛しているようなもんだったけどね」と言った。
「束縛?」
「俺が東京に出てきた時、兄ちゃんは "近くに越してこい" って言ったんだ。俺が問題ばっか起こすから。それで毎週様子見に顔だしてくれたり、発達障害者のコミュニティにも最初の頃は兄ちゃんが付き添ってくれたから行けたようなもんだった。兄ちゃんがいないと、人並みに生きていけなかった」
相変わらず前を向いたままの隆次だったが
「まぁでも、俺も香弥子さんが現れて兄ちゃんを解放することが出来た。梨沙はまだ子供だから時間がかかるだろうけど、そういう一歩ってことなんだろうと」
そこへ紅茶とクッキーを皿に盛って香弥子が戻ってきた。隆次のデスクに蓋付きのタンブラーと取り分けたクッキーを置く。こぼしてPCをだめにしないようにの配慮だった。隆次は再びヘッドフォンを付けてPCに向かった。
梨沙はチラリと隆次を見やってから、香弥子の耳元で声を潜めて言った。
「自分をどうやってさらけ出していったら良いのかなって」
「さらけ出す?」
自然と香弥子もヒソヒソ声になる。梨沙は続けた。
「私のことをわかって欲しいの」
香弥子は急に真面目な顔をして梨沙を見つめた。
「梨沙ちゃん、一つだけ言っておくけど、梨沙ちゃんはまだ17歳よ。してはいけないことがあること、わかってるわよね」
「うん。でも来年は18になるから。それに別にそういう関係を今すぐ望んでいるわけじゃないから」
「梨沙ちゃんは頭もいいしきちんとしているから心配はしていないんだけど、相手の方が勘違いすることもあるからね、気をつけて」
「わかってる。真面目にね、私をわかって欲しいだけなの」
「梨沙ちゃん…もしかして今までも誰かに "わかってもらえてない" って、苦しんだことがある?」
苦しいかどうかは置いておいて、誰にもわかってもらえるはずはなかった。恐らく、身内以外は。
「う~ん…別に苦しくはない。ただその人は別なの。私もさ、変なところあるでしょう? 隆次叔父さんの姪なんだもの。そういう血統だから。今までは他人にそれをわかってもらおうなんて思ってこなかった。みんなとは違うんだってことと、みんなと同じじゃなくていいって、私は教わってきたから。だから別に周囲の子たちと合わなくても…」
梨沙はクラスメイトとの仲違いの事を思い出し、突然涙が零れた。自分でも驚いた。香弥子は神妙な面持ちで頷いた。
「梨沙ちゃん。人ってね、自分のことをわかって欲しいと思う生き物なのよ。梨沙ちゃんはたぶん諦めたふりをして、これまで随分無理して来たんじゃないかなぁ」
「諦める?」
梨沙は涙を拭いながら尋ねる。香弥子はそんな梨沙の頭や背中をそっと撫でた。遼太郎とはまた違う、小さくて、柔らかで、温かな手。
「みんなとは違う。みんなと同じじゃなくていい。それは正しいことよ。でもね、私とはこういう人なんですって、周囲に理解してもらうことは大事なんじゃないかな。誤解したまま・されたままって、ちょっと悲しいわよね」
梨沙は何も言えず、拭っても拭っても溢れる涙に戸惑っていた。
「梨沙ちゃんは、隆次さんが自分の取説を作っていたの、知ってるわよね」
「うん、パパからもよく話を聞いていたし、小学生の頃、見せて教えてくれた」
「梨沙ちゃんも書き起こしてみたらどう? 今梨沙ちゃんは、好きな人にだけわかってもらえればいいと思っているかもしれないけれど、本当はきっと違うんだと思う。もし今、思い当たる人がいるんだったら、その人に対して練習のつもりで "私ってこういう人なの、だから誤解されるかもしれないけど" って、話してみたらどう?」
梨沙は頷きながらスマホにメモをした。
「いきなり渡す目的で取説を作らなくてもいいの。自分自身を冷静に見つめ直す機会だと思って」
「わかった。やってみる。ありがとう」
チラリと隆次の背中を見ると、画面を向いたままタンブラーの紅茶を一口飲むところだった。
*
「ごちそうさまでした。あと、色々ありがとう」
帰宅しようとすると、珍しく隆次が「家まで送る」と言って出てきた。
「梨沙になんかあったら兄ちゃんに殺されるからな」
しばらく黙って並んで歩いていたが、ふいに隆次が口を開いた。
「やっぱお前、学校で相変わらず友達いないんじゃないか」
「叔父さん、話全部聞いてたの?」
呆れた梨沙がそう尋ねても隆次は構わず続けた。
「まぁ俺も他人なんてどうでもいいって思ってたし、万人に好かれたいなんて今でも思わないけど、それでも無駄に敵は作らないに越したことはないな。梨沙は特にさ、人の好き嫌いが激しいからな」
「…それでも別に構わないと思ってた」
「まぁそうだけど。でも放っておけばいいやつまでお前、敵に回しそうだからな。それは面倒くさいんだよ」
「叔父さん…、取説、作って良かった?」
「少なくとも職場では有効だったよ。あんまり深い付き合いしないからこそ、サバサバと割り切れるところもあっただろうし、お互い」
「そっか…」
またしばらく沈黙。運河の橋を渡る時、水面に反射する街灯がやけに煌めいて見えた。
「…私本当に、自分が好きな人にだけわかってもらえれば良かったんだけど、最近はパパに、周りの人に対してあまり壁を作るなよって言われて来たから、それで少し無理してでも友達作ったり、頑張ろうとして来たの。でもさ…」
「無理する必要はないけどさ、本当に嫌な奴にはそもそも近づきもしないだろ。少なくともお前に興味や関心を持って近寄って来てくれた子たちなんだろ?」
梨沙は驚いて隆次を見上げた。まるで学校生活を見られていたかのようだ。
「自分が好きな奴に対していい顔するのも結構だけど、自分のことを気にかけてくれる奴らにも気持ちを向けられないと、いざとなっても上手くいかないからな。結局一方通行になるだけ」
「叔父さん…」
やがて梨沙のマンションが近づき、見上げた家の窓から灯りが漏れていた。
「じゃあなー」
隆次は呆気なく踵を返し戻っていった。梨沙はその背中をしばらく見送った。
#29へつづく
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