見出し画像

【連載小説】あなたに出逢いたかった #26

『私を助けてほしいんです』

思わず稜央に向かって放ったその言葉について梨沙は何から伝えたら良いか悩み、連絡先を交換して以降は、当たり障りのないやり取りが続いているにとどまっていた。

パパの代わりに好きにならせてください、とはさすがに言えない。事情は全部隠す必要があるが、嘘を付くのは苦手だ。本来は "二番目" でいいはずだが、どうせなら本当に好きになりたい。なれると思っていた。

どうすればいいだろう。こういう時、相談できる人がいないことに梨沙は気づく。
陽菜の顔が浮かんだが、稜央のことは連絡先を交換したことも含めて全て秘密にしておく必要があったから言いづらい。Emmaも今は少し遠いのと、やはりドイツ人と日本人の微妙な感覚差が恐らく今の梨沙には参考にならないだろうと思われた。

頭を抱えた梨沙はふと思い立ち、学校帰りにある場所に立ち寄ることにした。

「よぉ梨沙。久しぶり。生きてたんだ」
「残念ながら生きてる。お邪魔していい?」
「お前ね、俺ニートなわけじゃないんだぞ。子供はビジネスタイムってのがわからないのか」
「ビジネスタイムとか言いながらいつだって仕事してるし、ずっと家にいるんでしょ?」
「あぁいますとも。悪かったな。入れよ」

玄関で迎えた隆次は、家で仕事しているにも関わらずパリッとした白いシャツを着ている。卒業アルバムで見た小学生の遼太郎の姿を思い出し、なんか兄弟、と思ってほくそ笑んだ。

途中で買ってきた隆次の好物が入った袋を渡す。

「叔父さん、これ、お土産」
「何、唐揚げ? ドイツの土産はないのかよ」
「もう帰ってきて3ヶ月以上経ってるし」
「普通は買ってくるだろ、土産」
「荷物たくさんあったし、それに私が普通じゃないの知ってるでしょ、叔父さん」

確かに、と隆次は無表情のままキッチンに向かい、唐揚げを皿に移し替えた。以前大好きだったジンジャーエールは、最近炭酸水に変えたらしい。梨沙にもシュワシュワと泡を立てたグラスが手渡された。ありがと、と言っても隆次は無表情のまま。梨沙は炭酸水が大好きだ。

部屋は物が少なく昔からほとんど変わらない。机の上にはモニタが4つもあるがトレーダーではない。ホワイトハッカーである。

隆次はASD(自閉症スペクトラム)があり、周囲と和気あいあい楽しくやっていく、ということが苦手だ。もちろん "そうしたい" という気持ちは持っているが、どうも折り合いが悪い。そこで家でも出来る仕事を選んだ。今やホワイトハッカーは様々な企業から引っ張りだこ。更に隆次は敏腕らしく、就労時間や休みは不定期なんだという。

そんな彼も結婚して10年以上経つが子供はいない。
妻の香弥子はムスリムで、隆次は結婚のために改宗し、妻の家に婿入りした。
彼は家を捨てることに成功した次男、だ。

隆次はフォークで唐揚げを刺し、食べながら画面に向かう。

「叔父さん、今は何をやっているの?」
「企業秘密に決まってるだろ」

ふん、と梨沙は床に座った。テーブルはない。客が来た時に折りたたみのそれを出すこともあるが、基本は食事も床で食べる。子供の頃はムスリムだからアラブ式を取っているのだと思っていた。しかし単に隆次の奇妙な好みなだけだった。そして香弥子は隆次のスタイルを無理に変えようとせず、極力彼の全てを受け入れている。

仕事する隆次の背中を見ながら、香弥子さんはすごいな、と改めて思う。口は悪いし変なこだわりはあるし、こんな癖強の人、一緒にいたら腹立つこともイライラする事もいっぱいあると思うのに、香弥子さんはいつも優しくてかわいらしくて、言ってしまえば隆次叔父さんにはもったいなさ過ぎる、とも思う。

けれど、自分も癖の強い人間だと梨沙は自覚している。自分をこんな風に受け入れてくれる人なんているのだろうか、パパ以外に、と少しだけ憂鬱な気持ちになる。
私は他人に受け入れられるとは思えない、また自分も、他人を受け入れられるとは思えなかった。
けれど今は、他人だけれども他人と思えない、恰好の人がいる。彼に受け入れてもらわねばならない。

梨沙は香弥子の帰りを待って、彼女の話も聞きたいと思った。彼女もまた、姉のような存在である。

「で、今日は何の用? 日本の学校嫌になったか? またいじめられてんの?」
「別にいじめられてないし。ちょっと話がしたかった」
「話? なんの?」
「うん…。ねぇ、香弥子さん何時頃帰ってくる?」
「18時には帰ってくるんじゃない? 何、俺じゃなくて香弥子さんに用があったの」
「うん…久しぶりだし」

ふーん、と唐揚げを食べ終えた隆次は食器を洗い片すと、再び画面に向き直った。梨沙も大人しく以前ここに来るといつもそうしていたように、タブレットを開いて絵を描き始めた。仕事をする隆次をスケッチ。

絵を描きながら、小・中学生の頃この部屋に来て過ごしてきたことを思い出した。

先程隆次が言ったように、梨沙は小学5年生で帰国子女となり、学校でいじめられた。おおよそ日本人らしく育っていない梨沙は浮いた存在だった。居場所がなくなって、家にいても日中は夏希に何か言われるのが煩わしくて、よくここに逃げ込んだ。

そんなとき隆次は数学や日本史といった、梨沙が苦手としていたり遅れている科目をよく教えてくれた。弟の蓮との仲が悪いことを叱り、どうすればいいか指南してくれた。

身内だから当たり前かもしれない。けれど身内と言っても梨沙にとっては夏希や蓮よりも心通わせている実感があった。

隆次は…遼太郎の弟だから、そんなフィルタを無意識に掛けているからかもしれない。梨沙と遼太郎は発達障害グレーゾーンと言われていたけれど、隆次は正真正銘のASDだ。つまり "こちら側の人" という意識が以前からあった。

実際、隆次は梨沙のことを "こちら側の人" と認識して受け入れた。言葉遣いが悪い時もあるが、梨沙のことを大切に思っている、彼なりに。

梨沙の度の過ぎたファザコンのことも知っている。
隆次自身も兄である遼太郎のことを愛している。様々な意味で。
だから梨沙の気持ちは何となくわかる。

お互いクレイジーだということが、わかっている。






#27へつづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?