【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Childhood #16
梨沙は学校での出来事が堪えたと見え、校内では大人しく過ごすようになった。
以前から交流のあった子も含め、女友達と呼べる子も数人出来た。あまり深入りせず、あっけらかんとした彼女たちといるのは苦痛ではない。彼女たちもまた、女の子特有の団結力やゴシップ話題が苦手な子たちでもあった。
男子学生も梨沙に関心を示すが、梨沙はそういう連中はまるで相手にしなかった。むしろ男子を避けたがった。
あれから教頭は担任の対応に対し、指導を行った。梨沙の発した「どいつもこいつも、みんな私のせいにする」という言葉が引っかかっていたからだ。つまり真っ先にいつも疑われている、ということだ。
それでも担任と梨沙はしばらくギクシャクしたが、教頭は梨沙を見かけると声を掛けるようになった。初めは警戒していた梨沙もやがて心を開くようになる。
学校は以前から、もっと生徒一人ひとりに細やかな配慮が出来るように、1担任制の廃止・全員担任制度の準備を進めていた。
そう、生徒は担任を選べないから、選べる、に変えるのだ。
梨沙は、新制度導入前最後の年に入学してきたのだった。
***
外面はある程度良くしていけるのは、女の子ならではなのだろうか。
内面は…家では相変わらずなところがある。母と、弟との関係だ。
夜更しすることが多かった梨沙は大抵遅くに起き、リビングに顔を出す頃には朝食は既に終わっている。したがって休日の梨沙は朝食を抜くことが多かった。
そのリビングでは遼太郎と蓮がソファに座りノートパソコンの画面を見ながら楽しげに会話をしている。夏希もキッチンに立ちながらそんな様子を微笑ましく眺めていた。
家族なのだから当たり前なのだが、梨沙はなんだかモヤモヤする。
感情を発散させる機会が減ったことによる鬱憤が家の中に向いているかのようだった。
居場所を失ったように立ち尽くす梨沙を見て、遼太郎は梨沙の機嫌が悪いことを察する。
「梨沙、どうした? 朝飯ならもう終わったぞ」
「うん、いらないから。ねぇパパ、あの公園に連れてって」
「えぇ? 今から?」
「うん」
梨沙は父の注意を自分に向けたい。自分だけに向けたいから、外へ連れ出そうとする。
「お姉ちゃん、まだ一人で行けないの」
蓮が茶化す。途端に梨沙は頬を膨らませプイッと顔を背ける。言わないし、態度にも出さない事を一応心掛けている。父の前でもあるし。
「蓮も一緒に行くか?」
遼太郎がそう訊くと梨沙が「パパに話があるから2人で!」と言う。
しょうがないな、と言いたげではあるが、腰を上げる遼太郎に梨沙は勝ち誇ったように笑みを浮かべ、自分も上着を取りに部屋に駆けていった。
「お父さん、行っちゃうの?」
蓮が遼太郎を見上げて言う。
「お前も連れていきたいけど、梨沙がね…。すぐ戻るよ。小1時間も散歩すれば梨沙の機嫌も直るだろうし」
そう言うと蓮は寂しそうに俯き、遼太郎はその頭をそっと撫でる。
夏希は少々呆れ顔だ。
梨沙の父親甘えはいくつまで続くのかしら、と。
***
2人で外に出、梨沙は遼太郎に腕を絡める。
子供の頃は手を繋いで歩いていたが、さすがに中学に上がる時に「もう洒落にならないだろう」と遼太郎に断られたが、梨沙は諦めず無理やり腕を組むことにした。
朝ごはんを食べていない梨沙のために途中でパン屋に寄り、梨沙の好きな無花果と胡桃のパンと、カフェオレを買ってくれた。
我慢できない梨沙はそれを歩きながら食べた。
「話したいことって何だよ」
「後で! 公園に着いてから!」
ふぅ、と遼太郎は小さくため息をつく。
のんびりと片道30分ほどかけて、大きな川を見下ろせる高台の公園へ足を運ぶ。この公園は遼太郎が夏希と結婚して間もない頃からよく来ていた場所だった。
芝生の広場では親子でキャッチボールをしていたり、木陰にシートを引いてお弁当を食べる家族など、多くの近隣住民が寛いでいる。
園内の舗道は時折自転車に乗った少年が通り過ぎる。
公園に入ると梨沙は遼太郎の少し後を歩いた。
風上に遼太郎がいると、父の匂いが風に乗って微かに香るから、それが好きだった。
その日は少し風が強かった。
頭上でざわわと木々がさざめき、梨沙は立ち止まって目を閉じる。
耳で、鼻で、感じる。
この空間の全てを身体に取り込むように深呼吸した。
「どうした?」
振り向いた遼太郎が呼びかける。
「風の音聴いて、風の匂いを感じていたの」
「そうか。今日の風は何色なんだ?」
「晴れた日の風はいつも金色だよ。少し透明度が高いかな。あとね」
梨沙は遼太郎に近寄り、背後から父の身体に腕を巻き付けた。
「パパの匂いも感じてた」
「俺? そんなに臭うか?」
遼太郎が鼻を鳴らして自分の身体を嗅ぐと、梨沙は「そうじゃなくて」と笑う。
「体臭とかじゃなくて、パパっていい匂いさせてるでしょ?」
「さすがに今日は香水とか付けたりしてないぞ。じゃあ…俺の匂いって何色なんだ?」
「色はね、桜色と薄い紫が混ざったような…マジックアワーの色かな…。すっごくきれいなの。パパは昔から変わらない匂いがしてて、ふわっと身体が気持ち良く浮くような、心地良い匂いなの」
幸せな気持ちで父の背中を抱き締めていると、彼のズボンの尻ポケットでスマホが震えた。
夏希からの電話だった。
梨沙は途端に不貞腐れた。邪魔された気分になったのだ。
「買い物? …そうか、わかった」
「なに…? パパ…」
電話を切った後すかさず梨沙が尋ねると、遼太郎は参ったな、というような顔をした。
「戻ってきてくれってさ。買い物、手伝ってほしいって」
「え、やだ。来たばっかりじゃん」
「そうだけど…」
「家には蓮がいるじゃない。蓮が手伝えばいい」
「アイツはまだ身体もそんなに大きくないから限界があるんだろう」
何を言われても今戻るのは嫌だ、と梨沙は言いたかった。今は私との時間でしょう?
梨沙の脳裏にふとよぎる。
このまま一人で残って、日が暮れて月が昇っても帰らなかったら、パパは後悔してくれるんじゃないか、と。
しかし。
「残ってスケッチしていくか? でもお前、一人は絶対嫌だろう?」
「…」
「梨沙、今日は帰ろう。またいつでも来られる」
そう言って手を差し伸べられたら、何も言えない。抵抗も出来ない。
梨沙は渋々その手を取って家路に向かった。
「そういえば話したい事って何だったんだ?」
遼太郎が尋ねても
「もういい」
と梨沙は不貞腐れた。
*
帰宅後、梨沙は買い物にはついて行かず一人で留守番すると言い、梨沙を残し家族3人出かけて行った。
不貞腐れたままの梨沙はリビングにビニールシートを敷き、大きな画用紙を並べて少量の水で溶かした絵の具を手につけると、それをぶちまけた。何色も。
感情の赴くままに。
梨沙の服は絵の具でグチャグチャになった。子供の頃はよくやったが、流石に最近は絵の具を使うことも減ったし、使ったとしてもそこまで酷くはなかったので、両親が帰宅したら父は苦笑いし母からは大目玉を食らうことだろう。
そう、ただの腹いせだ。
そしてその予想通りの顛末となり、夕食の間梨沙はだんまりだった。
家族3人がどんなに和やかに会話をしていても、遼太郎が話を振っても、梨沙は口をへの字に曲げるだけで一言も参加しなかった。
食後。
梨沙の絵はベランダに出し乾かされてあったが、それを遼太郎が取り込んだ。
「今回のテーマは "怒り" か?」
お風呂に入っちゃいなさい、という夏希の言葉を無視してソファの上でタブレットをいじる梨沙の隣に座り、絵を見ながら遼太郎は言った。
「そう見えるんなら、そうなんじゃない」
梨沙は目を合わさず、わざと不貞腐れて答える。遼太郎も困ったような笑顔と小さなため息をついて梨沙の頭を撫でる。その手が合図のように、梨沙は父に抱きつく。
「今晩パパと一緒に寝てもいい?」
「えぇ? 流石にもういい歳なんだから」
「だからなに。まだまだ子供扱いするくせに」
梨沙は唇を尖らせる。夏希も呆れている。
「梨沙! お風呂、入っちゃってよ!」
「今パパと話してるの! 後で入るから、邪魔しないで!」
邪魔。
夏希は胸の泉にスッと小さな黒いインクが一滴、零れ落ちたような感覚を覚えた。
あまり喜ばしくない、けれどうまく言葉に出来ないような、不穏な感覚だった。
遼太郎は優秀なリーダーだ。若い頃から職場で遺憾なくそのリーダシップを発揮し続けた。時には厳しさや威圧的な時もあっただろう。
けれど家では梨沙に対しては正反対だった。最初の子だった事もあり、ありのままでいてほしい、愛情を感じて欲しいといった接し方が、結局我儘で甘えん坊に育ってしまったのかもしれない。
すぐに蓮が生まれた事も、乳児にかかりきりなる夏希に対して、梨沙の事は率先して遼太郎が面倒を見た事からも拍車をかけたのだろう。
夏希は上手く言葉に出来ない焦燥感を強く感じた。
#17へつづく
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