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【連載小説】鳩のすむ家 #9 〜"Guilty"シリーズ

~由珠子


年が明け、引っ越しなど慌ただしく過ごすうちに、あっという間に1ヶ月過ぎた。
母と2人の生活になったが、特に何か会話するわけでもなく、母は1日中TVばかり見ている。
野島さんのように本当に1人で暮らしていけるか、あれこれ考えたりした。


野島さんとは、あの日以来、あまり話していない。20時の門限は撤廃され、稽古の終了まで居る事ができるようになったけれど、稽古中は余計な会話はしないし、野島さんの居残り練習のは他に2~3人残っていたりして、ゆっくり話をするタイミングがなかった。

もちろん直後にお礼は伝えた。家に残ったあの後は野島さんはどうしたのかと尋ねると『別に何も。俺も帰ったよ』とだけ。こちらからは祖母が入院して、不謹慎ながらも清々のびのびと過ごしている旨は伝えたけれど『そうか』と一言、素っ気なくあしらわれて終わった。

ただ石澤さんは1~2度、彼から私の状況を訊かれたという。

『あぁ見えても随分気にしているのよ。まぁ、あの子は不器用なのね、きっと。由珠ちゃんに直接訊けないのよ。変に噂が立っても困るだろうしね。素直じゃなくて、スカし・・・ていて。でも見た目によらず熱血漢で男気はあるのね』

石澤さんは彼をそう評していた。

2月。
下旬には高校最後の学年末テストが控えているが、ほとんど全ての学生が併設の大学へ進学するため、凍てつく寒い陽気を除けばどことなくのんびりした空気だ。

ある日の放課後、廊下で山科さんに声を掛けられた。ここ数日姿を見かけていなかったからどうしたのか尋ねると「ちょっと風邪を引いてしまっていたの」とのことだった。
彼女はバレンタインの話題を口にした。お父様御用達の白金にあるショコラティエのチョコレートを自分のお小遣いで買った、とのこと。

「山科さん、彼氏いらっしゃるの?」
「えぇ」
「いつ、どこで…出会うものなの?」
「わたくしの場合は、お相手の高校の文化祭でしたわ」

驚いたことに、山科さんは男子校の文化祭に1人で出掛けていた。そこで声を掛けられたらしい。

「11月にお付き合い始めてからクリスマス、お正月、バレンタインと、イベントが続いて忙しいの」
「そう…なのね」
「由珠子さんは、どなたかいらっしゃらないの? プレゼントする相手」
「私は…」

何故か咄嗟に浮かんだのは野島さんだった。
でもあの人、彼女がいるはずだ。本人は否定していたけれど、あの日…夜9時過ぎに2人で歩いていたのだからきっとそうだ。

「いらっしゃるの?」
「いえ…」
「えぇ~、怪しいわ。隠していらっしゃるんでしょう」

無邪気な笑顔を向ける山科さん。嫌味のなさに本当に何度も救われた。

「好きとか、全くそういうわけではないのだけれど…お世話になった方が…」
「まぁ! 恋愛感情がなくても、感謝の気持ちを込めてお贈りするのもいいと思うわ。ね、良かったら一緒に探しに行きましょうよ!」
「えっ…?」

こうして私は山科さんと2人で、都内のデパートに向かった。デパートの催事場はピンキリで色々なチョコレートショップが比べられるから初心者には都合が良いだろう、とのことだった。

「由珠子さんが渡そうと思っている方って、どんな方でいらっしゃるの?」

どんな方。どう伝えたらいいのか迷った。

「弓道教室にいる方で…」
「そうなの? 素敵な出会いもあったのね!」
「素敵な出会いというか…本当に好きとかではないの。社会人で…」
「えぇ? ずいぶん歳上の方? 益々素敵!」
「そうなのかしら…でも、たぶん彼女がいて」

山科さんはきゅっと、一瞬目を伏せた。けれどすぐに気を取り直したように続けた。

「まぁ…それは残念。でも男性の本心はいくつ贈り物をもらっても嬉しいと思うわ」

果たして…あの人は喜んだりするのだろうか。たくさんもらって、屈託なく笑う姿は想像が出来なかった。
それとも…私が知らないだけか。それはそうだが。

"大丈夫だから"

あの時の声と表情が甦る。いつも仏像のような、冷淡な顔をしているのに、あの時。
ふっと力を抜いたような顔で、柔らかな声で。

「由珠子さん? どうなさったの?」
「あ…、なんでもないの」

山科さんはフフフッと声を漏らした。

「本当は相当お好きなんでしょう、その方が」
「えっ…全然…。本当に全然。だってなんだか怖い人で、口が悪くて、はっきりズバズバ言うから傷つくこともあるのよ」
「由珠子さん、優しくてお人好しで言葉遣いが丁寧だから良い人とは限らないし、好きになるとも限らないでしょう?」

私はぽかんと彼女を見つめた。

「と言うか…わからないの。人を好きになった事がなくて…人を好きになるということがどういうことなのか…」
「人を好きになるということは、心を盗まれるということよ」
「心を…?」
「そう。だからひょっとしたら多少は荒々しいかもしれないわ。それが、優しくてお人好しで言葉遣いが丁寧な人とは限らない理由よ」

野島さんが、心を盗んだ?

「由珠子さん、その方のこと、ふとした時に思い出したりしない? いえ、今まさに思い出していたでしょう? 思い出すと苦しい気持ちになったり、優しい気持ちになったり、時には悲しくなったりしない? そんな風に心を盗んだ相手は、盗んだ代わりにいろ~んな気持ちをもたらしてくるの。それが好きということなのよ」

山科さんの言葉に驚いた。もう何度も恋を重ねたような言葉だ。

「山科さんの彼氏に…そんな風に感じるのね」
「ふふ…。今の彼氏は友達の延長みたいなもので、そこまで素晴らしい気持ちをもたらしてくれる訳ではないの」
「え…どういう…」

山科さんは笑ったが、いつもの快活な笑顔ではなかった。けれどすぐに普段の明るい声を出した。

「さ、選びましょう! お話を聞いているとハート型よりもシックを極めたものが良さそうな気がするわ!」

そうして2人で各店舗を見て回った。確かにハート型はあの人には似合わない。さりとて高級品は買えず、黒い箱にワインレッドのシックなロゴが入った、4粒入りチョコレートを選んだ。山科さんは「とてもセンスがいいわ」と褒めてくれた。


後は渡し方だ。なんせ父親にさえ渡したことがないのだから、どうしたらいいかさっぱり見当もつかなかった。

「お教室で会えるのなら、やはりそこでしょうね」

山科さんは言いながら顎に人差し指をあて考え出した。考える時の彼女のお決まりポーズだ。

「練習後の待ち伏せがいいと思うわ。建物の出入口の近く…あまり近いと他の方と出くわしてしまうかもしれないから、可能であればその方が帰るルート上が良いけれど…」
「待ち伏せして…それで、どんな風に?」
「その方がいらしたら、サッと前に飛び出して行く手を塞ぐのよ。そしてお名前を呼ぶの。お名前を呼ぶって重要なのよ。それから両手でプレゼントを差し出す。"受け取ってください" とお伝えしながら」
「いらないって言われたら…どうしたら?」
「いらないなんて言わせない勢いが大切よ。サッと前に飛び出してから差し出すまで…差し出すのも、もうその方の身体に押し付けてしまったらいいわ。そうしたら受け止めざるを得ないでしょう? それを確認したらすぐに退散するの。すぐによ。逃げるようにね」
「一方的に渡すだけ?」
「その方が相手の方の心に残るわ。余計なことは、その時はしなくて良いのよ。後は殿方がアクションをしてくださるから」

山科さんは、本当に何でもすごい人だ、と改めて実感した。


***


真冬の道場には、昔ながらの電気ストーブが隅に2つ置かれる。風を吐き出すものは矢飛びに影響してしまうため、エアコンはつけられないからだ。経験者の人たちは道着の下に長袖シャツやジャージなど履いて寒さを凌ぐらしい。野島さんも道着の下に黒い長袖Tシャツを着ていた。


バレンタインデーは過ぎている。当日は水曜日ではなかったから。だからこそ渡しやすいのか、渡しにくいのかわからない。私はバレンタインのルールがわからない。

山科さんのアドバイス通り待ち伏せをしようと思うが、他の人に見られても困るし、本当に1人で出てきてくれるか心配だった。


スポーツセンターのすぐ外で待つ。

21:30だっただろうか。最上階の弓道場の明かりが消え、少しして人影が2つ、外に出てきた。

しまった。他の人と一緒だ。
しかも私と同時に向こうも、私に気づいてしまった。

「福永…お前こんな時間まで何やってんだよ?」

野島さんの隣にいた人は経験者の中年の男性だった。うろたえる私を見てその人は野島さんと私を交互に見、察したのか「俺、今日は用事思い出した。あっちから帰るわ」と言ってそそくさと反対方向に立ち去った。「えぇ? 飯どうするんですか?」と野島さんは意表を突かれたような声を出す。
間違いなく、誤解されている。けれど "誤解してくださってありがとうございます" と、心で感謝した。

「野島さん…」

勇気を出して彼の前へ、駆け寄った。
そして俯き、両手を差し出した。手には例のアレ。

「へ?」

私は俯いたまま、更に一歩前に進んだ。

「受け取ってください!」

伸ばしたままの例のアレに彼の身体があたる感覚があった。次にアレを彼が手にした感覚もあった。

それを合図に私は走って逃げた。振り返らずに、走って逃げた。

困るよとか、いらないとか、やめてくれとか、そういう言葉を聞いたり顔を見てしまってはだめだと思い、とにかく一目散に走って家に帰った。

そこからダッシュダッシュ、猛ダッシュで帰った。この前のように追いつかれて腕を掴まれることはなかった。

山科さん、言う通りに出来た…やったわ、私!!


22時近くにアパートに戻ると、母はやはりTVを見ている。こちらに背中を向けたまま「晩ごはん、キッチンに置いてあるから」と言う。

「先に着替える」と声を掛け、寝室の襖を後ろ手に閉める。
走ったせいだけではない、いつまでも止まらない動悸。


”あとは殿方がアクションして” くれる。
一体、どんな風に。




「山科さん!」

翌日の休み時間、彼女の教室に向かい声を掛けた。

「アドバイス通り、待ち伏せして渡したわ」

そう告げると、嬌声を上げた山科さんにクラスはおろか、廊下を歩いていた人まで何事かと注目した。

「それでそれで? どうなりましたの?」

目を輝かせて尋ねてくる。

「いえ…アドバイス通り相手の腕にプレゼント押し付けて、顔も見ずに走ってその場を立ち去ったから…どうなったのかは…」
「お手紙とかメッセージは?」

お手紙、メッセージ…?

「いえ…何も…」
「えぇぇ、何も添えずに?」

だって、そんなアドバイス、無かったから…。

その旨を告げると山科さんは「わたくし、言い忘れてしまったかしら」と舌を出した。

「まぁお稽古先でお会いするでしょうし、大丈夫よ! どういうリアクションがあるか、楽しみね! 続報心待ちにしているわ!」

本当に心の底から嬉しそうに、楽しそうに山科さんは言った。
が。


翌週、そのまた翌週と道場で顔を合わせても、野島さんからは何のリアクションもなかった。






#10へつづく


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