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【連載小説】あなたと、ワルシャワでみる夢は #2

ワルシャワへ、愛を込めて

Półtora roku temu w Japonii - 1年半前、日本にて

大学を卒業した稜央は地元の企業に就職した。電車で40分ほどの、県庁がある街まで通勤している。

妹の陽菜ひなも中学に上がったことから稜央は家を出て、実家の近くで一人暮らしを始めた。

父親違いの妹であり、稜央と違って活発で社交的な陽菜は部活(バスケットボール)に遊びに趣味(HIP-HOPダンス)と、家にいることがほとんどないほどだ。部活なら致し方なくとも、遊びに行って帰りが遅いとか、友達とずっとチャットでしゃべっていて夜更しするなどで、しょっちゅう母親に叱られていた。

それでもスレることもなく、素直で、そして周囲がドキッとするほどやたら勘が鋭い。
勉強は出来なくはないが、好きではないらしい。

* * *

母の桜子は稜央の父親とごくたまに連絡を取っていた。

稜央が大学3年の時に受けたピアノコンクールで銀賞を取り、ひっそりと観に来ていた父・遼太郎が桜子に連絡をしたことがきっかけだった。

かつての恋人が密かに産んでいた自分の息子の存在を知ることとなり、頑なにその存在を拒んだ遼太郎だったが、1年の時の間に遼太郎自身の中でも、彼の妻との間でも折り合いがついたようだった。

遼太郎は『今更かもしれないが、父として今まで何もしてこなかった事に対し、出来ることは金銭的な援助だけだ』と話したが、桜子は頑なに断った。

「あなたは自分の家庭だけ見ていてくれればいい。稜央ももう成人したし来年は就職もする。金銭的な問題は何もないから」

ひと悶着はあったものの結局遼太郎が折れて、そこで連絡はしばらく途絶えた。

次に桜子の元に連絡が来たのは1年半後、稜央が就職した春だった。進路を伺う遼太郎に桜子が地元で就職した事を告げると、安堵した様子だった。

『…迷惑だろうな、こんな連絡してきて』
「ううん、気にしてくれてありがとう。でもあなたの奥さん、よく思わないんじゃないかって、それが心配で」
『それは…大丈夫』
「そう…」

桜子はほんの少し胸がチクリとしたのを感じた。

口では「あなたの家族を一番に大切にして」と言っておきながら、狂おしいほど愛した男の側にそんな寛大な妻の存在を感じると、穏やかでいられない。

今更?と桜子は苦笑する。

「それでもやっぱり、それに甘えるわけにもいかないから。本当に、忘れてくれていいよ。稜央のことも、あたしのことも」

遼太郎は黙っている。

本当は辛いの。
あなたの声を聞くのが辛いの。

二度と戻らない日々を思い出すのが怖い…いえ、思い出しているから怖い。

あたしははっきりと自覚したのよ。

若さだけが取り柄だった私達がお互い歳を重ねて、肌にも心にも疲れを感じる歳になって再会した時。

あの頃と同じように、ううん、それ以上にあなたは眩しかった。あたしが思い描いた理想を、そのまま生きて来て大人になったようだった。
ただその隣にあたしは長いこといなかったことが、理想とは違った。

だからせめて遠くでただただ面影に心を委ねていればいいだけなのに。

あなたの存在をこんなにはっきり感じてしまうのは、辛い。
それなのに連絡を寄越してくるなんて、ちょっと卑怯だわ。

でもそんな卑怯なあなただから惚れてしまったのよね。
毒を盛って鎌を喉元に突き付けて、逃れられないようにする狩人…いえ、獣のように。
私は毒に侵されたひとり。


そんな言えない言葉たちが胸に降り積もる。

『…身体に気をつけて。無理するなよ』

遼太郎がそう言って電話を切った後、桜子は両手で顔を覆って泣いた。

その様子を兄が出ていったことで部屋を得た陽菜が、こっそりと伺っていた。

陽菜は部屋の奥で稜央に電話をかけた。

「お兄ちゃん? ママが泣いてるんだけど」
『えっ!? なんかあったの?』
「誰かと電話で話してたんだけど…」
『電話…?』
「ママが泣く時って、憶えてるんだけど、さ…。お兄ちゃんのパパが絡んでるんじゃないかなって」
『えっ…』

稜央は父についてもう何も触れたくない、と話していたこともあって、桜子は遼太郎から連絡が来ていることは黙っていたから、稜央はまさか、と思った。

『陽菜、どうして泣いてるのか訊きなよ』
「お兄ちゃんのパパのことだったらどうする?」
『どうするって…どうすることも出来ないよ』

陽菜はそれもそうか、と思い電話を切った後、そっと部屋を出て母の様子を伺った。

「ママ…?」

しかし桜子はもう何事もなかったかのように、TVのバラエティ番組を観ていた。

「なに? どうしたの陽菜」
「あ、ううん…」

陽菜は部屋を出て、桜子の隣に座りTVを一緒に観た。

「なによ、何か言い掛けなかった?」
「ううん、何でもない」
「お茶でも淹れよっか? あ、冷蔵庫にシュークリームもあったね。食べちゃおうか?」
「うん」

桜子の頬には涙の跡も一切残っていなかった。




#3へつづく

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