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【連載小説】あなたと、ワルシャワでみる夢は #3

ワルシャワへ、愛を込めて

8 miesięcy temu w Japonii - 8ヶ月前、日本にて

就職をして実家の近所で一人暮らしを始めてしばらく経ってからも、稜央は月に1~2度は週末に実家に顔を出していた。

正月にも帰ったが、1月中に再び実家を訪れた。陽菜が好きだという、職場の近くのデパートでないと買えないプリンを土産に持って。

陽菜は遊びに行っているようで、家には母の桜子だけいた。
リビングで出されたお茶を飲んでいると、桜子が言った。

「稜央、あんたに手紙が届いてるよ」
「手紙?」

しかし桜子はすぐにそれを渡さず、向かいに座り、小さくひとつ息をついた。

「稜央さ」
「な、なに?」

桜子は少し言いよどんだが、またひとつ小さく息をつくと言った。

「お父さんがあんたに会いたがってるって言ったら、どうする?」

稜央は驚いて茶碗を落としそうになる。

「なに突然…どういうこと?」
「実はね…何度か連絡が来てるの。あんたの就職のこと尋ねてきたり。地元で就職したし、近所だけど一人暮らしも始めたし、何の問題もないよって言ったら、ピアノはまだ続けてるのかって。趣味程度だけど続けてるって言ったらね、会わせてくれないかって、言うのよ」

稜央は今度は椅子から転げ落ちそうになった。

数年前、ずっと語られることのなかった父の存在が明らかになり、母と自分を捨てたことに対して怒りと憎しみでいっぱいにし、彼に会ってその思いをぶつけようとした。
いくつかの犠牲を払って得た情報で、当人と対面した、あの時。

遼太郎と稜央はそっくりな顔をしていた。

しかし彼の威厳や威圧感はむしろ稜央とは正反対だった。父自身も戸惑い苦しみ、稜央と対峙した。
狂気に満ちた父の充血した皮膚と瞳の美しさを今でもはっきりと思い出す事ができる。

そして彼は稜央の目の前で怪我をし、昏睡状態に陥る。
自分のせいで父が怪我をしたと思い、かつ彼が睡眠薬を大量に摂取して生死を彷徨った、病院での出来事。

そして1年後、大学3年で受けたピアノコンクールで微かに父の姿を見かけた時の、喜びと哀しみで目眩がするほどだった、あの時。

全て、走馬灯のように駆け巡る。

「でもあんた…、もう二度と触れたくないって言ってたから、あたしもどうしようかと思って…」
「それで…手紙っていうのは…」

桜子は黙って封書を稜央の前に差し出すと、それはエアメールだった。

表書きにはここ実家の住所と、稜央の名が宛先になっており、恐る恐る裏返すとそこには "野島遼太郎" と差出人名が、特徴のある筆使いで書かれていた。

手にした稜央の手が微かに震える。

「嫌なら破り捨てていいからって…言ってたよ」

稜央は震える手で開封した。

中からは4つに折りたたまれた2つの文書。

1つは航空券、もう1つはホテルのバウチャーだった。共にQRコードが印字されている。

「…何だったの?」

桜子が不安げに稜央の顔を覗き込むように訊く。

「これ…ワルシャワへの航空券とホテルの…ワルシャワ…ポーランド…」
「ワルシャワ?」

稜央は合点がいったように目を見開いた。

「ショパン…か」

"ピアノはまだ続けているのか" と訊いたこと。

最後に姿を見たのが、稜央のピアノコンクールであったこと。

初めて感情的にならずに会話をした、残暑の厳しい土手で、稜央のピアノを褒めてくれたこと…。

「手紙には何て書かれているの?」

稜央は封筒の中を再び見たが、手紙らしいものはなかった。

ただ航空券には付箋で「要パスポート番号」と書かれていた。
稜央はパスポートを持っていない。
航空券の日付は8ヶ月後の、ちょうどお盆休みの頃だった。

「手紙はない…これ使って、来いってことなのかな…」

その時、ホテルのバウチャーから1枚の小さな紙が落ちた。遼太郎の連絡先と思われるIDと番号が書かれている。

「母さんは…どう思う?」

桜子も少なからず動揺していた。

「あんた次第だと思うけど…。初めは彼に冷たいこと言われて傷ついて、もう嫌になってしまったんだろうって思っていたけど、コンクールの時、彼を見たとか言ってあんた泣いてたから…本当は…」
「あの時以来だよ…言葉も交わしてないし…」

稜央は航空券とバウチャーを封筒の中にしまい、連絡先の書かれたメモを眺めた。

「しばらく…考える」
「うん、無理しないで良いんだからね」
「母さんの方が…会いたいんじゃない?」
「えっ…?」

稜央は恐る恐る母の顔を見た。母は目をそらし、困ったように微笑んだ。

「あんたももう子供じゃないもんね。そうね。でも会わない方が良いだろうって思う」
「気持ちが戻るのが怖いから?」

桜子は少し驚いたように稜央を見、言った。

「戻る戻らないとか、ないだろうな…。気持ちは変わらないから。ただ会ってしまうとやっぱり、穏やかではいられないだろうから」
「…今でもそんなに、好き?」

桜子は少し遠い目をして考え、諦めたように笑って言った。

「…そうかもしれない。あたしもダメだね、全然成長しなくって」
「俺…わかるよ、その気持ち。あの人…それこそ人の心をザックリと狩ってしまうような…すごく男性的な人だって思うから」

桜子は稜央の口から出た言葉に驚き、目を見開いた。
息子も自分と同じように感じていたということに。




#4へつづく

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