【連載小説】明日なき暴走の果てに ~Epilogue~
東京の家に戻ると、机の上に小包が置かれていた。
差出人は『柳田正宗』とある。
「夏希!」
慌てて妻の元へ駆け寄る。
「この荷物、いつ届いた?」
遼太郎の剣幕に妻は驚きながらも「昨日の夕方」と答えた。
「昨日…?」
改めて見れば確かに昨日の日付で配達日が指定されていた。
「それ、京都のお友達って言ってた方よね? 今回の件と何か関係あるの…?」
遼太郎は小さな声で「ある」と答えた。
「遼太郎さん、それより…手、どうしたの…?」
彼の拳は潰れて固まった血がこびりついたままだった。しかし何も答えない。
異常さを感じた妻は「何があったの? 大丈夫なの?」と尋ねる。
「いや、大丈夫ではない」
「…何か手伝える事ある?」
「今は何も…すまない、ちょっと一人に」
そう言って自分の部屋に戻った。
初日に正宗の部屋で2人で呑んでいる時、遼太郎が「俺ばっかり京都に来させようとしないでお前も東京に遊びに来い」と押し問答していた時だった。
『わかったわかった。しゃあないな。ほんなら遼太郎ん家の住所教えてな。東京行った時迷わんように』
『俺はお前と違ってちゃんと駅まで出迎えるよ』
『えぇから教えてーな。Google Mapでイメトレすんのや』
『何がイメトレだ』
正宗は遼太郎に紙を渡し「これに郵便番号から書いて」と言った。
ここまでするなら中元か歳暮でも送ってくれよな、と冗談を言いながら遼太郎は言われた通り書いた。
メモを見て正宗は瞬時真面目な顔をしたが、すぐに満足そうに頷いた。
あの時は既にこの荷物を送るつもりでいたのか?
部屋に戻り、恐る恐る箱を開けると、あの日正宗の部屋で酌み交わしたガラスの盃が2つと、自慢の昆布〆を載せていた皿が1枚。
そして、手紙。
達筆な宛名には大きな文字で『野島遼太郎 様』と書かれており、裏を見ると『柳田正宗』とあった。
遼太郎はその手紙の封を開ける事がなかなか出来なかった。そこにどんな絶望的な言葉が並んでいるのかと思うと、今の自分には到底受け止められそうにない。
手紙を机の上に置いたまま、遼太郎はそれを一晩、ただ眺めた。
独特の字体で書かれたその宛名、自分の名前を。
* * *
翌朝。
遼太郎は正宗からの手紙をスーツの胸ポケットに大切に忍ばせた。
いつ、読む勇気を持てるかわからないのと、まるでお守りのように、肌身離さず持つ事が義務であるかのように。
* * *
その日は朝から数件の打ち合わせが入っていた事も幸いし、自席に戻る事もほとんど出来ない程の忙しさから、仕事中はしばし哀しみから逃れる事が出来た。
一日の業務が終わり、自席で眉間を押さえ目を閉じていると、声を掛ける者がいた。
「次長、お疲れのようですね」
直属の部下の飯嶌優吾である。
彼は若干お気楽キャラではあるものの、遼太郎の部下になった事で大きなプロジェクトのチームリーダーに任命され、そこそこ鍛えられ、また期待に応えた人物である。
家が近所だった事もあって、プライベートの付き合いも多い。
顔を上げるといつものようにぎこちないながらも笑顔で様子を伺っている。
「…ボクシングでも始めたんですか?」
遼太郎の右拳に巻かれた包帯を見て優吾は言った。
「いや、そんなんじゃない」
「じゃあ減量も必要無し、相当お疲れの様子…そんな時は、飲み行っちゃいます?」
奢ってもらたい時も彼は声を掛けてくるが、遼太郎の様子を伺って気を遣って声を掛けてくる事もある。
彼なりに上司の鬱憤のサンドバックになることが必要と感じている、優しい男なのだ。
遼太郎自身も何度も彼に救われた。
「今日か…」
胸ポケットには手紙が入っている。楽しく酒を呑む気分では一切ない。
「悪いが今日は…」
「承知しました! またいつでも声掛けてください!」
ニッコリと元気に、優吾はそう返事した。
彼が去ろうとした時、
「あ、優吾。やっぱりちょっと待って」
遼太郎は彼を引き留めた。
遼太郎は優吾には身内には言いにくい話を打ち明けた事もある。
このまま一人でいる事が耐えられるか、自信がなかった。
「1杯だけ、付き合ってくれるか?」
「もちろんです! でも次長、体調が悪いとかじゃないんですか?」
「体調ね…悪いわけではないが…、少しなら。あと条件がある」
「何でしょうか?」
「優吾は得意じゃない日本酒の店に行きたい」
「全然良いですよ! 1杯だけなら大丈夫ですし、その辺はもう次長と前田さんに鍛えられてますから、僕」
エヘヘっとおどける優吾を寂しく見た遼太郎に対し、優吾はやや眉を下げたがまたすぐに笑顔を作って「僕は先に退勤打刻して待ってますので、連絡してください!」と言った。
優吾が去って、ため息を一つつく。
胸ポケットの手紙をちょっと出しては、またしまう。
鼓動が激しく脈打つ。
* * *
2人はランチでたまに入る割烹料理の店に入った。
夜は初めてである。
ここは全国の日本酒のラインナップが豊富でもある。
「優吾は無理に呑まなくても良いからな」
「今更何をおっしゃいますか! 僕もお付き合いしますよ!」
遼太郎は京都の酒を選んだ。正宗の実家のものは置いてない。県外にあまり出さないのかもしれない。
一合徳利に猪口2つ、お通しの穴子の煮凝りが置かれた。
遼太郎が優吾の杯に注ぎ、いつもなら優吾が注ごうとするのを遮って手酌するが、今日は素直に優吾に酌をしてもらった。ほんの少し優吾が不思議そうな顔をする。
「それじゃあ、お疲れさまです」
遼太郎の表情から察したのか、あまりはしゃがず静かに優吾は乾杯の音頭を取った。遼太郎も黙って頷き、酒を口に運んだ。
「おぉぉ、酒だ」
優吾は当たり前のリアクションをした。彼は酒が強くない。普段はレモンサワーの男だ。
「これ京都のお酒なんですね。あ、そっか。次長この前京都に行かれてましたもんね。お土産の阿闍梨餅、めちゃくちゃ美味しかったです!」
「うん…。大学時代の友達に会いに行っていたんだ。土産もそいつが見繕ってくれて」
「そうなんですか。次長の大学時代からだとだいぶ長い付き合いなんですね! いいなぁ」
「優吾は学生時代の友達とか仲間と会ったりしてるのか?」
「してますね。みんな結構近所にいますし…。まぁ淘汰はされてますけど。何だかんだ定期的に会ったりしていますよ」
「そうか」
「次長の歳になっても繋がってるっていいですね。相当仲良かったんですか?」
「うん。大学にいる間は “付き合ってるのか” っていう程、よくつるんでいたよ」
「え、女性ですか?」
「いや、男だ」
優吾はホッと胸を撫で下ろした。彼は遼太郎の家にも何度も来ているので、妻の事もよく知っている。
「いいですね。おじいちゃんになっても続くといいですね」
優吾の言葉に遼太郎は胸が詰まった。
思わず左胸を押さえると、手紙の存在がスーツ越しでもずっしりと伝わってくる。
「次長…大丈夫ですか? やっぱり体調あまり良くなかったですか? 無理させちゃいましたかね…」
「いや…」
遼太郎は手紙を取り出し、カウンターテーブルに立て掛けるように、目の前に置いた。
「手紙…ですか」
ポツリと言った優吾に遼太郎は黙ったまま優吾と自分の杯に酒を注ぎ、宛名の自分の名前をじっと見つめた。
「優吾、ありきたりだが、友達は大切にしろよ。自分のこと慕ってくれる奴には感謝を忘れたらだめだぞ。友達の様子が何かおかしかったら、徹底的に話を聞くんだ。いいな」
手紙を見つめたままそう言い、杯を掲げると一息に酒を煽った。
頷いた優吾も黙って同じように煽り、酒の弱い彼は渋い顔をした。
* * *
普段は酒に強い遼太郎が珍しく酩酊した。
優吾に支えられるように歩き、家の近所まで送ってもらった。
「家まで運ばなくて大丈夫ですか、次長」
「大丈夫。むしろちょっと夜風に当たりたいから、ここでいい」
後ろ髪を引かれるようにして帰っていく優吾が見えなくなるまで見送ると、遼太郎は家の近所の運河まで出た。
橋の上から仄かな街灯が落ちる黒い川面を眺め、再び手紙を取り出す。
ゆっくりと封を開け、深呼吸をして読み始めた。
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読み終えた遼太郎は手紙を握り締め、手を震わせた。声にならない嗚咽が漏れ、手紙を持つ手を振り上げた。
しかし投げ捨てる事は出来ず、そのまま膝から崩れる落ちる。
しわくちゃになった手紙を両手で丁寧に伸ばすと、その上に涙が幾重にも落ちていく。
人は何故、失ってから気付くのか。
人は一体いつになったら学ぶというのか。
しかし失って初めて得るものもある。
友の死が、彼に与えたもの ー 。
END
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