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【連載小説】あなたに出逢いたかった #18

遼太郎にとっても馴染みのない横浜だったが、仕事仲間に紹介してもらった店を予約していた。
箸で食べる焼鳥と、それにペアリングで出される日本酒が売りの店だ。

店内は常連と思しき男性3人組と、少々年齢層の高い男女4人が誕生日会らしきものを開いていて、少々賑やかだった。

そんな喧騒を背に2人はカウンターに並んで座る。目の前では店主が忙しそうに串を炭火にかけている。

乾杯のドリンクは自由との事だったので、2人は生ビールを頼み、グラスを合わせた。

「こっちに出てくるのは久しぶりか」
「うん、北関東は旅行で行ったことがあるけど…こっちの方は多分、学生の頃以来じゃないかな」
「と言う事はあの時・・・以来ということか」

遼太郎は目を細め、稜央はうつむきがちに黙り込んだ。

あの時というのは、2人が初めて・・・出会った時の事である。

稜央が長い間隠されてきた父親の存在を知り、それが遼太郎である事を突き止め、自身の悔恨の念を晴らすために上京してきた時だ。

黙り込んでしまった稜央の心中を察し、遼太郎は「とりあえず食おう。ここは何でも旨いらしい。俺も初めてなんだけどな」と笑顔を作った。

前菜は3品。鴨のスモーク、チーズのような味わいの発酵豆腐、椎茸の時雨煮だ。

店内にはPierre Barouhのシャンソンが流れる。フランス映画『男と女』の俳優としても有名だが、艷やかで渋みのある彼の歌声は老いてもなお老若男女を魅了している。

焼鳥屋でシャンソンか…。
稜央の勤め先も県内では開かれた街ではあるのでそれなりの飲食店もあるが、こういうところに来るとさすがに敵わないな、と思う。

前菜は小鉢に入った一口二口のサイズではあるものの、どれも絶品だった。
続いての汁物の椀は、焼いた筍とほうれん草、削られた柚子がほんのりと香る、これまた絶品の汁だった。

「今の時期に筍、珍しいですね」
「四方竹といって秋が旬の筍なんです。九州や四国で生産されているものなんですよ」

なるほど、と遼太郎は頷いた。確かに、西日本出身の遼太郎と稜央にしてみれば時折見かけていた気もする。互いにあまり憶えていなかった。

稜央はあまりもの旨さに言葉少なく、遼太郎も満足そうに目を細めてビールグラスを空にした。

やがて焼鳥と日本酒のペアリングが始まる。

わさびを載せたささみと合わせるのは、岩手にある酒造の『紫宙しそら』という、女性の杜氏が造った酒だ。

ワイングラスに注がれたそれは、驚くほどふくよかな芳香を漂わせた。香りだけでどれだけ甘みを含んでいるかがよくわかる。口に含むと優しく穏やかで、期待を裏切らないまろやかな甘さがあった。

「日本酒をワイングラスで飲むなんて初めてだよ」
「米のワインと考えれば、香りを楽しむためにワイングラスで飲むのは理に適っているかもな」

焼鳥と言いながらも箸で食べることを売りにしているだけに、串は抜いてある。つくづく東京はさすがだな、と稜央は思う。ここは東京ではないのだが。

続く皿は砂肝とレバー、山椒が添えられている。ささみと反する濃厚な味わいにも、先程の酒は不思議なことによく合う。

背後のテーブルの男女4人組が、誕生日祝いの佳境を迎えてるようだった。店からサービス品と思しき一品が提供されると、お決まりのバースデーソングを歌い出した。

2人共ちらりとその様子を見やると、稜央は言った。

「なんか…すごいね」
「何がだ?」
「俺が住んでいるのはやっぱり田舎なんだなって思って」
「田舎だって誕生日くらい外で祝うだろ」
「そうだけど、そうじゃなくて」

向き直った遼太郎は残った酒を飲み干すと言った。

「お前は一度も故郷を出ようと思ったことはないのか」

稜央は一度遼太郎の横顔を見、自分も向き直ってグラスを見つめて言った。

「ないね」
「今どき珍しいな、あんな何もない所に居座り続けるなんて。故郷で錦を飾りたい欲があるわけでもなさそうだし」
「まぁ…そうだね」
「母親のことがそんなに心配なのか」
「うん、それはあるかも」
「…偉いなお前は。俺とは大違いだ」
「父さんは自分の両親が嫌いだって、いつか言ってたよね」

遼太郎は頷く代わりに和らぎ水のグラスに口をつけた。瑠璃色のグラスに入った水は心なしかまろやかに感じたが、遼太郎の心まで和ませたかはわからない。

微妙になった空気を取り繕うように次の皿が提供された。季節の野菜の炊合せが付いたぼんじり、ハツと九条ねぎを塩で焼いたものが続けて提供される。

酒は新たに群馬の『分福』。グラスはころんとした丸いグラスに変わった。ビン燗し一度火入れをしているとのことで、かなりスッキリと切れ味が良いものだった。

せっかくの肴を台無しにするもの何かと思い、稜央は他愛もない話へと切り替えた。

始めは遼太郎も稜央も「焼鳥は串から食べてなんぼだろう」と思っていたのだが、このように出てくるとちょっとしたフレンチを食べているような気分になる。なるほど、BGMにも合っている。ワイングラスで日本酒を飲むのも納得できる。これはこれで面白い、と2人共感じていた。

コース料理も終盤に差し掛かる。
外側をカリッと焼いた胸肉と、つくねが出てきた。最後のペアリングの酒は長野の『つきよしの』。季節ごとに出されるこの酒、ラベルには兎とすすきと月、月見に一杯、の文字。

〆はとろみのついた濃厚な鶏ガラスープの鶏そば。

料理も少しづつゆっくり出されたせいか、それほど量は食べていないのに満足がいった。酒も最初の乾杯を合わせて4杯しか呑んでいないが、稜央は十分だった。

しかし遼太郎は何だかんだ言っても少々物足りないのだろう。「お酒、足りないんじゃない?」と稜央が問うと苦笑いした。

そんな会話をしながら全ての食事が終わったと思っていたら、もう一皿出てきた。洋菓子のようである。

「こちら、サービスになります。本日は少々お店が騒がしかったと思いますので…ほうじ茶のフィナンシェになります。今お茶もお持ちしますね」

そんなことは気にしていなかったので2人は驚き、返って恐縮に思ったが、同時にありがたい配慮だなと関心した。

店を出た遼太郎が言う。

「じゃあこの後もう一杯、付き合うか」

稜央は遼太郎が招待してくれたワルシャワの夜を思い出していた。あれももう10年も前の話になる。
初めて「父さん」と呼んだ、あのワルシャワの街角を思い出し、熱く胸にこみ上げた。

「もちろん。あんまり飲めないけど」
「俺ももう潰そうなんて思ってないから安心しろ」

稜央は、父さんの脳裏にも今ワルシャワの風景が甦ったのだろうなと思うと、切なくなるほど嬉しかった。


そうして2人は街中のバーへ繰り出した。街はまだまだジャズで溢れていた。





#19へつづく

【過去エピソード】


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