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【シリーズ連載・Guilty】Unbalance #3


2週に一度、わが社内で開催される定例会議にて、野島遼太郎はファシリテーターを務めている。
しっかりとしたアジェンダを用意し、必ず会議のゴールを共有してから始める。時間配分もほぼ完璧。時間内に目標に達しなかった場合は細かくタスクに落とし、各々に宿題を割り当てる。誰が、いつ、何をすべきか完全に把握している。

本当にただの営業マン? たかだか社会人3年目なのに、リーダーどころかPMでも出来そうな器じゃないの。うちのスタッフが彼をヘッドハンティングしようとしたのは、あながち冗談でもない。うちの方が会社規模は数倍大きいのに、彼は本当に冗談話のように一蹴した。

そんな彼が、夜はその腕に私を抱いているのだと思うと、何とも言えない優越感が込み上げる。
時折彼について来る新入社員と思しき韓国名の女の子も、いつも真剣な眼差しで彼を追っている。きっと好意を持っているに違いない。彼は "社内には手を出さない" と言っていたから、たぶん片思いね。かわいそうに。

会議の終了間際、誰にも気づかれないほどさり気なく、そっと合図を交わす。

"今夜は会える?"
"問題ない"

と。



「それにしても若いのに、上手よね」
「何が?」
「決まってるでしょ、女性を悦ばせることよ」

激しい波が引いた後のベッドの上。
腕枕をしながら私の髪を弄んでいた彼は鼻で嗤った。

「よくいるのよ、ベッドの上で煩い男。質問攻めっていうか、言わせたいっていうのかしら? その割に自己満足でわかってないの。でもあなたはなぁんにも言わないのに、的確。若いのに、驚いちゃうわ」
「野暮なこと訊かなくたって、全部教えてくれるのに」
「へぇ。どういう風に?」
「それを訊くのも野暮だな」
「あなたの言葉で聞きたいわ」
「俺には言わせたいのかよ」

彼は呆れたように鼻で小さく息をついたが、私の下腹に手をあて素直に応じてくれる。

「ここの反応。当たり前のことだろ」
「あなたにそれを教えてくれる女性がたくさんいるのね」
紗都香さとかこそ、野暮な男をたくさん抱えているようだけど」

はぐらかすのも上手だ。私の中には静かに嫉妬の炎が渦巻いているのに。

「私なんかより歳上のお姉さまにもたくさん愛されているのかしら」
「ご想像にお任せします」
「そうね。オールマイティ選手だと思うけど、歳上の女性に特に好かれそうだわ。私なんてまだまだヒヨッコなんじゃない?」

蔑むような目で見られ、ちょっとしつこくしたかと反省する。彼は腕を解いて仰向けになり、天井を見据えた。

「俺、高校生の時に初めて付き合った相手が大学生だった」

しばらくしてポツリと、そんなことを言う。やはりそうかと思う。

「あら。どっちから声掛けたの?」
「向こうから。部活の試合かなんかの時に観に来てて」
「何の部活?」
「弓道部」
「じゃあ袴姿? その凛々しさも相まって昔からモテモテだったでしょうね。黙っていたって女の子が寄って来たんでしょう。ね、遼太郎くんって自分から女の子に声掛けたこと、ある?」
「そりゃ…」

彼はまだ天井を睨んだまま。真剣に思い出しているのか。やがて

「…ない、かもしれない」

と答えた。

「じゃあ今まで付き合ってきた子たちは、みんな彼女からの告白?」
「…」

恥ずかしそうに口をへの字にする。全く、こうやって不意にかわいいところ見せつけてくるんだから。

それにしても自分から声を掛けないなんて、確かに遊んでいるけれど、根っからの遊び人というわけでもないのだろうか。
本当は紳士なのか、はたまた単なるウブなのか。それとも全て計算済みなのか。まぁ彼なら充分あり得る。
もしくは、相手に言わせるのが長けているのかも知れない。

いずれにしても、彼は何もかもアンバランスだ。

「明後日も」

ちょっと不貞腐れた顔して天井を睨んだままだった彼が、ふいに結んでいた口を解いた。

「誘われて。遊園地に行く」
「えぇ? そういう所、行かない人だと思ってた」
「うん、俺も」
「でも誘われたから行くんだ。お気に入りの子なの?」
「そういうわけじゃないけど」

言いながら身体を起こし、服を拾い始める。あぁ、今日もここまでか。
ベッドから降りれば彼はあっさりと "幕引き" をしてしまう。言葉遣いも元通り。まさに夢から醒めたように、あっさりと。

私はこのベッドで彼の残した温もりと香りに包まれて朝を迎える。夫とは寝室を別にして本当に良かったと思う。
その夫は来月帰国予定だ。まだ当分帰って来なくていいのにと思う。
こんな極上の恋人が出来てしまったら、もっともっと夢を見ていたくなる。彼は単なる暇つぶしとは違う。明らかに。


現実に戻れなくなる。危険信号に気づかないふりをする。


***


そのまた2週間後の定例会の日。

「おはようございます。本日の進行はこちらのカンチェヨンが進めさせていただきます」
「どうぞよろしくお願いいたします」

彼の挨拶に続いて、いつもくっついてくる若手の女の子が身体を90度に折って頭を下げ、会議が始まった。まさか、担当者変更? いえ、そんな話は聞いていない。

その若手は時折しどろもどろになり、外国人だから仕方がないかもしれないが、独特のイントネーションで話す。彼が側でサポートしながら進めたものの、あまりにも彼の進行とはかけ離れていた。

「今後は彼女が担当ですか?」

私の代わりに同僚が訊いてくれた。その言葉に察したのか、彼女は「本日は至らぬところが多く、大変申し訳ありません!」と再び身体を90度に折った。
彼が言う。

「まだ決まっていません。ただ場数を踏ませたいので、今後は会議の進行を務めてもらうつもりです」
「今年入社されたって仰ってましたよね? 同行実習生だと思っていました」
「彼女はうちの若手の中でもずば抜けて優秀です。今日は少し緊張していたようですが、進行上大きな問題はなかったと感じていますが。もし何かあれば今、ここで指導してやってくれませんか」

彼は一同を見据え、それに圧倒されたかのように同僚たちは「いや、問題と言う問題は特に…」と口を揃えた。

フンと笑みを浮かべた彼はその若手に目をやった。彼女が目を合わせ、一瞬はにかんだ後、すぐに表情を引き締めて再び頭を下げる。

嫉妬、した。
情けない。


そして、会議終了後の合図。
今日も彼は "問題ない" と返した。



いつものバー。

素っ気ない態度の彼も "私と会う時はいつもJazz Clubを付けて来て" と、お願いした事はちゃんと守ってくれる。
生意気なのに素直。
そういう所も、身体の、心の情動を駆り立てる。

いい香りだわ、と心底思う。フレグランスがではない。彼の体臭と混じることで放たれる香りが、だ。

「担当、あの子になるの?」

なるべく他愛もない話をいくつかした後、どうしても気になり訊いた。

「まだ決まっていませんよ。そう言いましたよね」
「じゃあ本当にただ場数を踏ませるだけの演習?」
「とはいえ、僕ももう担当3年目になりますから、そろそろ変え時だとは思っています。僕だって御社の担当になったのは入社1年目の時ですしね。それに」
「それに?」
「今、海外展開をする部署への異動を申し出ているんです」

ジンライムに口をつけながら放った。「あなたの旦那さんのようにね」

瞬時、ジリリと胸を焼かれる錯覚を起こす。

「あなたがいなくなったら困るわ」
「そんなことありませんよ。まだ決まっていないとはいえ、仮に彼女が担当になったとしたら、僕なんか足元にも及ばないほど真摯で、優秀ですから」
「韓国の子はちょっと」

彼はギロリと鋭い視線を投げた。

「今日もちょっとおかしなイントネーションしてたでしょう」
「ネイティブではないのだから仕方がないじゃないですか。理解は充分に出来ますよね? 何なら彼女の日本語は、僕より綺麗に話しますよ」
「…アジア人女性は主張が強い子が多いからやりづらいのよ」
「アジア人…それはご自分も含めて、ということですよね」
「…」
九園さん・・・・、撤回して頂けませんか。偏見です。彼女はあなたの嫌がるようなステレオタイプではありません。むしろ僕の方が口の利き方を知らない、気の強い厄介な人間ですよ」

淡々とした口調に本気の怒りを感じた。

「…ごめんなさい。言い過ぎたわ」

やれやれ、と彼はため息をつく。

「珍しく素直ですね」
「妬いたのよ、私」
「何にですか?」
「今日の彼女に、よ」
「え?」
「会議終了後に雑談した時、あなたと彼女が一瞬目を合わせて、その時に流れた空気に…なんだか…」

彼はプッと吹き出し、大きな声で笑い出した。

「紗都香さん、何言ってるんですか。下らなすぎでしょ」
「もうすぐ夫が帰ってくるの」

彼の笑いは止まった。

「次はいつ、どれくらい家を空けるのかまだわからないけれど、ちょっと会いづらくなるかもしれない。会いづらくなる間、もしあなたがあの彼女と、って考えたら…」
「だから余計に嫉妬心が湧き上がったというわけですか」
「…そうかもしれないわね。ふふ…情けないわ…」

言い終えぬうちに彼は私の腰を引き寄せ、人目も憚らず顔を寄せてきた。

「ちょ…遼太郎く…」

唇を離した彼は私の腰を抱いたまま耳元で囁いた。

「今日は面倒な話が多いですね」



食事もそこそこに私の家に来た彼は、玄関のドアが閉まるなり私を抱き竦め、時折見せる、冷酷な目で私を見下ろす。しかしその冷たさとは裏腹に、薄く目を開けたまま降らせるキスの雨は熱い。

熱い吐息が頬に当たる。言葉はない。靴を脱ぐと私を抱き上げ、階段は登らずにリビングのソファに私を押し倒した。

「ね、ここじゃなくて、2階に上がろう?」

それには答えず彼はスーツのジャケットを脱ぎ捨てると、私をうつ伏せにし、服も脱がせず乱暴に入ってきた。何かを言おうとすると、それを許さないかのように頭を押さえつけられた。

まるで襲っているかのように乱暴、それでも心も身体もヒートアップしていく。強い律動の度に尖った声が挙がってしまう。

「妬いてる…のかな…」

弾む息の隙間からそんな声が漏れる。行為中に彼が言葉を発することはない。これが初めてだったように思う。
…そうじゃない。問題はそこではない。その内容だ。

まさか、夫が帰ってくることに…?
顔を上げた私を見て彼は目を細め「嘘だよ」と笑った。

それでも私の中では悦びが爆発した。彼が私の夫に妬いている、と。

嘘だよ、と言う割には言葉と行為が裏腹に感じられた。夫がこのリビングで寛ぐ事を想像して、わざと…だと。


私は貫かれながらも、勝ち誇った気持ちが込み上げ、笑みが漏れた。







#4へつづく

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