見出し画像

【シリーズ連載・Guilty】Unbalance #4

~純代


紫陽花、わりと好きな花。
青と紫が好きな色だから、余計かもしれない。でも最近は真っ白な紫陽花も見かける。とにかく会社近くには、色とりどりの鮮やかな紫陽花が、灰色のビル群と商用車の行き交う沿道を色づかせている。モノクロ写真にそこだけ色があるみたいな。

とはいえ、今年も空梅雨になるのか、雨の降らない日は続いた。その方が楽だけど、それでいいのか、という気もする。らしくないというのは、どこか不安にさせる。

広報部に異動して2ヶ月半が過ぎ、どうにかこうにかペースが摑めてきた。

今日は同期の野島くんとの "定例会" の日。終業時間が待ち遠しく、夕方から何度も時計に目をやってしまう。
そんな中。

課長が電話で怪訝な声を挙げている。なんとなく、嫌な予感がした。
そして。

「みんな、今日ちょっと残業頼める?」

まさかの声。
法人営業部から急遽キャンペーンで使用する販促資料の校正依頼が入ったという。

「こんな時間に営業部も何言ってくれんだよって感じだけど、社長直々のキャンペーン案件らしいから、ちょっとみんなで頼むわ」

先輩たちはやれやれといった具合に承諾した模様で、誰も拒否する人がいない。どうしてこんな日に。しかも、古巣の部署からというのが何とも皮肉だ。

私はまだヌケモレも多いから、校正にしても3度は見直さないといけない。
それにダブルチェックも掛けてもらっていた。その分時間はかかる。戻しがなければスムーズなのだが…。

割り当てられたドキュメントを受け取り、席の下でこっそりとスマホからメッセージを送信する。

残業入った。ちょっと遅くなるかも。

送っておきながら「ちょっとって、ちょっとじゃないかもしれないじゃん」と自分でツッコんだ。けれど直ぐに返信が来た。

問題ない。俺は時間を有意義に過ごすのは長けてるから。

野島くんらしいな、と思いくすぐったい気持ちになる。とはいえ鼻で長いため息をひとつつき、なるべく早く終えようと作業に取り掛かった。

結局、販促用のチラシだけでなくパワポ資料も飛び込んできて大量のチェック項目を要した。更に地域ごとの表現の差分なども相まって想定上の時間がかかった。私が在籍していた頃、こんな気合いの入ったキャンペーンなんかやってなかったよ!?

時計は21時を指そうとしている。

"さすがに今日は断った方がいいな…。会いたかったのに"

私が異動してからフロアが異なるため、以前のように毎日顔を合わすことがなくなった。だから "定例会" は人生最大の楽しみなのだ。
それなのに。

机の下でこっそりとスマホを見る。野島くんからのメッセージは特に来ていない。

もう少しかかりそう。ごめん。今日はやめておいた方が良さそう。
もっと早く連絡すれば良かった。

そう送った返信はすぐに来て

平気。待ってる。飯食ってないんだろ? 俺もまだ食ってない。
気にしないで仕事しろ

だった。
泣きそうになった。



結局会社を出たのは21:40。野島くんは既に店に入って1杯やっているという。たぶん1杯ではなく "1本" 空いてるんだろう。店まで全力疾走した。

「走ったのか」
「だって…」
「転んで頭でも打ったら、飲み会どころじゃないだろ」
「だから、このように、ちゃんと、着いたでしょ…」

到着して早々、息も絶え絶え。野島くん、笑ってる。

「ごめんね、こんな日にまさかの残業だなんて」

あまりにも悔しい思いを吐露したけど、野島くんは飄々としている。

「それがサラリーマンってもんだろ」
「でも今日じゃなくても」
「徹夜にならなくて良かったな。まず水、飲んでおけよ」

そう言って水のグラスを私に差し出した。受け取り、グビグビと飲む。ふぅ、と息をついたら今度は空のグラスにいつもの赤ワインを注いでくれた。

「野島くん、それ何本目?」
「まだ2本目だよ。安心して」
「1本は空けたんだ」
「俺も明日でもいい仕事片付けて来たから、ゆっくり目に来たんだ」
「いやいや」

お疲れ、と小さく軽やかな音が響いた。タイミングよく前菜がテーブルに運ばれる。

「どうせいつものメニューだから、連れが来たら運んでと伝えてあったんだ」

こういうところ、本当にスマートだなと感心する。

「野島くんの彼女が羨ましい」
「だからいないって」
「わかってるけど…でもお友達・・・はたくさんいるじゃん」
「だからって特別なことは何もないよ」

うそばっか。

そんな私の妬きもちをよそに野島くんは、ようやく食べられるぞと言わんばかりに生ハムを、フライドポテトを、ラム餃子をモリモリ食べだす。それをワインで流し込む。こういうところはスマートじゃなくて…男の子って感じ。リスみたいに頬をいっぱいにして頬張るんだもん。
カツ丼とかそういうの、モリモリガツガツかき込む姿を想像する。きっと外ランチの時はそんな風なんだろう。

ふふっ、と思わず笑みがこぼれる。

「気持ち悪いな。何だよ一人で笑って。食い方汚ねぇなって思ってるんだろ」
「ごめんごめん、そんなことないよ。えーっと…今何人いるんだっけ…その…」
お友達・・・のこと?」
「まぁ、そうね…」

う〜ん、と天井を見上げながら指を折りだした。そんなにいるの?

「あまり会わない人もいるからな。常時は2~3人…ってとこか。多くはないだろ」
「じ、充分でしょ。それぞれの女性たちは何とも思ってないの? っていうかバレずにやってるとか?」
「みんな公認・・だよ。彼氏持ちや既婚もいる」
「えっ? 不倫?」
「勘違いするなよ。恋愛してるわけじゃない」
「いや、そういう問題じゃないでしょ。っていうか言ってる意味わからないし」
「お姐さまが遊んで欲しいっていうからさ」

『隣の家の奴が遊んでくれってうるさいからさ』って、まるで小学校のガキ大将みたいに言っちゃって…。そんな簡単な話じゃないでしょうに。

澄ました顔して、ワインを飲む野島くん。

「セフレってこと?」
「…まぁ、それが一番正しいだろうな」
「何の感情もなく、ただ…するだけなの? そういうの、誰でもいいの?」
「誰でもいいわけじゃない。一応選んでるよ。まぁ一言で言えば身体の相性が良いと思った奴だな」
「ちょ…!」
「何だよ、お前が訊いたんだろ。正直に答えたんだ」

確かに、私もなんで質問したんだろ。聞いたところで嬉しいことなんか何もありゃしないのに。

「…わかんないな」
「だろうな。俺もわからん」
「なにがよ」
「お前と考えてること一緒だよ」
「だったらなんでやめないのよ。旦那さんにバレて慰謝料とか請求されたらどうするの?」

見ず知らずの相手なので家族が傷つく云々は正直どうでも良かった。ただ野島くんが傷ついたり、被害に合うのはごめんと思うだけだ。

「ないだろ」
「その女性が "旦那さんと別れて、野島くんと一緒になる!" とか言い出すかもしれないじゃん」
「それもないね。絶対に」
「そこは相手の女性もただの遊びだと?」
「そう言ったろ。遊んでくれって言われてるだけだって。俺のこと完全に舐めてるしな」

野島くんは平気な顔して食べ、飲む。
まぁ深掘りしても仕方ない。

「でもさ…まともな彼女作る気ないとか言って、野島くんは結婚願望とか、ないの?」
「ない」

スッパリと言い切った。

「もったいない。あ、その人と結婚すればいいとかそういう話じゃなくて」
「当たり前だろ。にしてもなんで結婚が最終目的みたいになるんだよ。そんな選択しなくたっていいだろ」
「そうだけど…。まぁ独身貴族…野島くんらしいか」

それはそれで、野島くんが誰かと家庭を持つかもしれない、という余計な妄想に苦しめられなくて済む。まぁ、直近は苦しめられっぱなしだけど…。

「野口は結婚願望、あるのかよ」
「えっ。まぁ、そうだねぇ…出来たらいいかもしれないけど…」
「積極的じゃなさそうだな」
「イメージつかないんだよね。子供が絶対欲しいわけでもないし…」
「じゃ、俺とそんな変わらないじゃないか」

フォローしてくれたのかな…。何だかこそばゆい。また一人でニヤけないようにワイングラスに逃げ込んだ。


その後野島くんは、先月行った遊園地デートの話をしてくれた。それなりに楽しかったという。

「写真ないの?」
「ない」
「まぁ…撮らなそうだもんね、野島くんは…」
「あったとしても見せない」
「なんで?」
「なんでも」
「恥ずかしいの?」
「なんでも!」

プッと頬を膨らませ、赤肉のステーキをパクリと口に入れる。私も遊園地、誘ったら行ってくれるかな。

ふと時計を見るともう23時半になろうとしていた。そろそろ終電を気にしなければならない。一瞬時計に目を落とした私を見て先に野島くんが言った。

「野口、時間大丈夫?」
「ぼちぼちかな。今日はスタートが遅くなっちゃったしね…」

本当に悔しい。大事な時間を削られたんだもの。残業代なんかよりも大事なもの。
野島くんも腕時計を見て少し考えていた。そして

「まぁ、タクればいっか」

と言う。

「タクればって…。結構かかっちゃうよ」
「気にすんな。俺を誰だと思ってる?」

全く、何様なんだか。
ま、そういうところが、いいんだけどね…。

外は雨が降り出していた。あれ、空梅雨なのに、こんな時に。

野島くんの家は代々木上原。西日暮里の私の家とは同じメトロの沿線上の南西と北東、反対方向だ。

そして車は今、西日暮里に向かっている。私と、野島くんを乗せて。

「逆方向でしょ?」
「一人で帰してもしものことがあったらどうする。俺、責任重大じゃん」
「だからタクシーなんでしょ?」
「降りた瞬間に襲われたりしたらどうするんだよ。日暮里だろ?」
「…軽く失礼なこと言ってるけど…そんなに治安悪くありませんよーだ!」

と、言いながら、びっくりした。そんな心配までしてくれるのか。
こういう優しさ、本当に他の女の人に出したりしてないのだろうか。

野島くんといる限り、このモヤモヤは現れては消え、消えては現れ、を永遠と繰り返す。
掛けられた言葉に天にも昇りそうなほど嬉しいのに、また落とされることを考えると素直に喜べない。

「…このまま近くのお友達・・・の家に泊めてもらったりしないの?」
「そんなことしない。女と朝を迎えるようなことはしない」
「…どういう…」
「ちゃんと家に帰ってるってこと」
「…割と真面目なの? 実は…」
「真面目ではないな」

何も言えなくなる。

それにしてもタクシーの車内という閉塞された空間は、不思議な空気が流れるものだ。更に雨が、閉塞感を掻き立てる。
その雨は音もなく霧吹きのように窓を濡らし、ワイパーが間隔をあけて拭い去る音が、微睡まどろんだメトロノームのよう。

後部座席の私と野島くんの間には、半人分くらいの間があいている。会話が途切れた後、彼はずっと頬杖をついて流れる景色をぼんやりと眺めている。だらりと下がった左手、ちょっと伸ばせば届きそう。


"女と朝を迎えるようなことはしない"


近づく、私の家。

「野島くん…」
「…ん?」

頬杖を解き、顔を私に向ける。私は小さく首を横に振った。

「…運転手さん、次の角を右に曲がって…3つ目の角の先で停めてください」

右に折れ、暗い路地に入った。

「タクシー代」
「いいから。気にすんな」
「でも」
「じゃあ今度奢って」
「わかった。今度必ず奢るから」
「楽しみにしてるよ」

そう言って野島くんは笑顔を浮かべた。

車が停まる。ドアが開く。

「じゃあ、…また」
「うん」
「気をつけて」
「建物の中に入るまでここで見てるから。早く入れ」
「え」

そんな。恋人でも家族でもないのに、そんな。

「じゃあ、またな」

車を降りる。ドアが閉まる。

足早にオートロックの入口内部に入る。
振り返ると、まだ車は停まっている。

よく見えないけれど、手を振った。
すると車は、すーっと前方に走り視界から消えた。


0:47 a.m.


ほんとに、お友達・・・にはこんな風に優しくしないでよ。
なんて、どの分際で言えるのっていうの。


あぁ、好きだ。
やっぱり、大好きだ。


どうしよう。






#5へつづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?