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【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Father Complex #12

アパートメントホテルに戻り、2人はこれからどうしようかと話し合った。

「予定では明々後日には日本に戻る予定だけど」
「…」

梨沙は身を固くした。

「梨沙を一人にしておくことは出来ない」

その言葉にピクッと身体が反応する。だがその先の言葉は、梨沙の思い通りにはいかなかった。

「一緒に日本に帰ろう。留学はこの先にも出来る機会はある。今のままでは無理だと思う」
「…」
「俺がここに残ることも含めて色々考えたんだが、やっぱり家族みんなでいる方がいい」

梨沙を虚無が襲う。

何のための日々だったのだろう。
日本に戻ればもちろん離れて暮らすことはなくなるが、またあの息苦しい日々の繰り返し。
しかも母も弟もいる。父と母が仲睦まじいところも目にしなければならないし、弟の存在は鬱陶しい。またバカにされるかもしれない。
父が近くにいるからと言って、幸せなことばかりではない。それが現実。

梨沙は目を閉じ、唇を噛みしめる。


パパとは距離を置かなければいけない。
あの夜からパパ、ずっと笑ってくれないんだもん。それはきっと日本に帰っても変わらない気がする。

それに昨夜…パパ、泣いてた。あの偉大なパパが。
ショックだった。
私がパパをそこまで苦しめている。
それが、苦しい。

本当は想いを断ち切って、昔のように元に戻れたらいいのかもしれないけれど。
きっとパパも、そうして家族一緒に暮らすことを一番に望んでいるのだと思うけれど。


たぶん、それは、できない。

誰かがいたらストレスが溜まる。またいつ “発作” を起こすかわからない。
帰ったって結局私が快くなる訳じゃない。


だったら離れて、距離を置いて、想い続ける方がいい気がする。


「本当に大丈夫…信じてもらえないかもしれないけど。留学、1年間頑張らせて」
「もしもお前に何かあったら…俺は死んでも悔やみきれないし、ママだって同じ思いする」
「…ごめんなさい」

頭を垂れ、思いがけず梨沙は謝罪を述べた。

「どうして謝る?」
「…パパに迷惑かけてる。最近のパパを見ていると本当に悲しくなる。私が変わらなきゃいけない」
「梨沙、急に無理をするとまた気持ちがパンクするぞ」
「自分で身体傷つけたりして。最低なことしたと思ってる」
「でもそれは…」
「寂しかった。パパとずっと一緒にいたくて…、私の中に残って欲しかった。でも…お互い幸せになる手段じゃなかった」

梨沙の言葉に遼太郎は驚いた。昨日までとは打って変わった態度だったからだ。これは薬のせいなのか?

「梨沙…そういうところに気づいてくれたのは嬉しい。でも、どうして急に?」
「昨夜…パパが隆次叔父さんと話しているの、聞いてたの」

睡眠薬を飲んでいたものの、遼太郎がベッドから離れた事に梨沙は気づいてた。
そして微かに聞こえる話し声にドア越しに耳を澄ませると、相手が隆次だという事もすぐに悟った。薄くドアを開き、会話を盗み聞いた。

「パパ、すごく困ってて。泣いてたし。"俺がいけなかったのか" なんて。パパは何も悪くないのに、私がそう思わせた。私が悪い」
「梨沙…それは…」
「私、絶対パパを困らせたくない。困っているパパを見たくない。だから私が変わらないといけない。今のままじゃダメだって」

梨沙は顔を上げたが、その瞳は揺れている。不安や恐れで。
けれど、言葉は裏腹だ。

「だから私、絶対やり遂げるから。スイッチが入りそうになったらお薬も飲むし、隆次叔父さんみたいに、深呼吸して気持ち落ち着かせるようにするから、本当に」

遼太郎は逡巡した。

「…高校の授業が始まればお前はホストファミリーの家に滞在することになる。もし本当に実行出来ると言うなら、しばらく様子を見るために俺も少しの間ベルリンに残ろうと思う。気持ちが落ち着いて続けられそうなら俺は日本に戻る。どうしてもダメなら一緒に日本に戻る。どうだ?」
「…今、日本に戻りたくない」
「じゃあ一旦ホストファミリーの家に移ることはどうだ? 出来るか?」

梨沙は一瞬言葉に詰まる。人見知りがあるため、他人の家で暮らすことがそもそも大きなプレッシャーであった。不安しかない。
けれど受け入れるしかない。

「…出来る」

梨沙は小さく、ただ出来る限り力強く答えた。

「俺が残れるのはせいぜい1週間か10日だ。そこで様子を見よう」
「…パパはすぐ帰って大丈夫」
「梨沙、本当に心配なんだよ。少し残る分には大丈夫だから」
「いい。今までそういうワガママ繰り返してきて、私は前に進まなかった」
「梨沙…」


『お姉ちゃん、いつまでも赤ちゃんみたいなことしてないでよ!』

以前蓮に言われた言葉だ。
好きなんだから、誰にも渡したくないんだから、しょうがないじゃない。
そして今の私は赤ちゃんじゃない。
愛することを知った、ひとりの女、だと思ってる。

「やるって言って出てきたんだから、やる。でも時折電話してもいいよね? 元気な姿、見せないといけないしね」
「それはもちろん。むしろ毎日して欲しいよ」
「ありがとう」

その後、不器用な沈黙が流れる。以前だったらはしゃいだ梨沙が抱きついて、呆れる遼太郎はため息をつきつつも受け入れていたのだが。

「梨沙」
「なに?」

男と女の愛なんかよりも強い愛があるのだと、遼太郎は言いたかった。言ってみれば夫婦は他人同士だが、親子は血が繋がっているのだから。

けれど自分は親との間に愛を感じたことはない。

子供の頃を思い出す時はいつも、暗くて冷たい真冬の道場だった。
手足がかじかみ、吐く息は白いのに顔は真っ赤だった。
祖父の厳しい稽古が終わると、家で待っているのは化粧品のむせるような匂いを纏った母親の、粘着質な抱擁だった。
父親に何かをしてもらった記憶はほぼない。そのくせ大学進学の時となったら途端に『長男はかくあるべき論』を展開しだし、反吐が出た。

目を閉じ頭を振り、思考からその光景を、匂いを追い払う。
親子の愛というものがどういうものか、遼太郎は手探りしていくしかなかった。

恐る恐る手を伸ばし梨沙の頬に触れると、梨沙は驚いたように目を見開いた。

大きく潤んだ瞳。この瞳は母親似だな、と思う。
身体のパーツは母親、中身は、俺。
勝気で、あどけない少女の顔に少年のような身体をしているのに、ガラスの心とはよく言ったものだ。
誰かに壊されたくない。でも壊すのは俺かもしれない。
愛しいと思う。心から。

「お前は決して孤独ではない。もう二度と寂しい思いはさせない。離れて暮らしても、俺たち・・はいつでもお前の事を思っているから」

梨沙は頬に触れる手に自分の手を添え、目を閉じる。一瞬重ねられた手を強張らせた遼太郎だったが、梨沙は更にその手をシャツの襟から内側へ…自分の左肩へと導いた。

そこには青い蝶が羽ばたくTatooがある。

「梨沙…」
「最後に、一度だけ」

やがて遼太郎は震える指でその羽ばたきを撫でた。

梨沙は目の前にある父の左肩に…あの傷痕の場所に…シャツの上から唇を押し当てた。
離れる前に一度だけでいいから、私のための勲章に、キスをさせて。

そのまま頭を遼太郎の胸に預け、目を閉じた。
くん、と鼻を小さく鳴らし、その香りから記憶と共に様々な想いが引き出されていく。
薄い紫を帯びた淡くまろやかな光が脳の奥に現れ、やがて弾ける。


断ち切れるわけがない。

だって私たちは、共鳴し合っているんだもの。
ママにも蓮にも感じることのない、同じ生命の律動があるんだもの。





END
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